「共に」と「学び」は両立できるのか(仮)
あきひろが入学した高川小学校では、当時(1998年)「取り出し(障害児学級在籍の児童が別室で授業を受けること)」はしないという方針だった。豊中市の障害児教育実践編に書いたように、その環境であきひろが学べるのだろうかという疑問を持っていた私は、担任と障担にIEP(個別指導計画)を作ってほしいと頼んだ。その頃はまだIEPはあまり知られておらず、”個別”に引っかかる先生に対し、「みんなと同じ通知表では、あきひろはずっと全部に最低評価が付くだけで何を学んだのか全くわからない。あきひろのオリジナルな通知表を作ってほしい」と説明した。
取り出しをしないのであれば、みんなと一緒の教室の中であきひろにもちゃんと教えてほしい、という強い思いがあった。
学習面は通知表を土台にして先生と話し合って作り、その他に生活面として言葉による人との関わりに重きを置いて、私が作った。
国語を例にあげると、・話を聞いて、「どこ」「だれ」「なに」にこたえることができる、という目標は、文を読んで、意味を理解すること②で、あきひろが家でできるようになっていたことを、学校の授業でもできるようにと立てたものだった。
教科書の進度は障害をもつ子どもにとって、あまりにも速い。1学期にはひらがなをひと文字ずつ習っていたのに、2学期にはもう「思ったことを話す」「したこと、見たことを書く」ことを求められる。あきひろに限らず、言葉に障害をもつ子はそこでつまづいてしまうのではないかと思う。IEPを作りながら障担の先生は「本当は(IEPは)どの子にも必要なんだけれどね」と言った。
評価の欄に書いてあるように、”話を聞いて”というのは、あきひろには難しく、文に書いたものを読む、「だれですか?」と聞かれて人の名前を答える、答えられなければ声かけや指差しでその部分を知らせる、といったガイドが必要だった。その点では、1年生の国語の時間は障担があきひろに付いていたのは大きかった。
1年生の時は障害児学級在籍の児童が、あきひろと軽度の3年生の2人だけだったため、ほとんどの時間障担があきひろに付き、担任ともIEPを共有し、学校での様子は毎日連絡帳と電話で知らせてくれた。私の方からは、家でできていること、工夫していることなどを伝えて、学校でのやり方を一緒に考えていった。
取り出し無しで学ばせようとすると、これだけの労力が必要となる。これだけやっていても十分だとは思えなかった。「共に」を優先させて校区の学校に入れて、「学び」の方は私が引き受けていたが、そこに限界があることは明らかだった。
(続く)
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