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豊中市の障害児教育 実践編

校区の小学校入学

ここでは長男あきひろの体験を通して、私の個人的な思いを書いてみたいと思う。

3歳から1年半通った通所施設の後、地域の保育所へ行くことを決めた時は、保育士さんが現場の体験から、障害をもつ子の成長を実感していたことが伝わってきたので、迷いはなかった。(健常児と共に 高川保育所へ

小学校も、保育所や近所の子どもたちと同じ校区の学校へ行かせたいと思っていたが、よその地域とは逆に、支援学校を選ぶことを許さないような強い力があることに、少し違和感を感じていた。

あきひろの就学前の年には、既に学校へ行っている子を持つ親から話を聞く機会が、保育所で設けられた。共にいることの良さ、もっと前の代の親たちが頑張って権利を勝ち取ってきたことを、ことあるごとに聞かされて、確かにそれはいいことだし有難いけれど、それを強制されることと、共にいるだけでいいという印象を受け、校区の学校へ行って、重度のあきひろは学べるのだろうか、という不安があった。

一方、校区の小学校の先生の家庭訪問や面談もあり、豊中市の障害児教育の概要を聞き、ぜひ校区の学校に来てほしい、どんな配慮が必要か事前に知っておきたいという内容で、ただ決めるのはあくまで本人と家族だという感じだった。

豊中市の障害児教育①を書くにあたって調べたことで、その時の小学校の先生たちの思いが初めてわかったように思う。障害児も、どの子も分けないことが当たり前であるべきという、先生たちの強い信念を入学時に知っていたら、その後あきひろの学びを求めて孤立し、心身を壊すこともなかったかもしれない。

校区の学校へ通うことを強く勧めてきた親や教師の一部は、共にいるだけでいい、障害児に勉強を教えることはその子の障害を受け入れていないことだという考えを持っていた。教室にただいるだけではなく、あきひろにも学ばせたいという私の思いは全く否定され、その考えを変えさせようとさえされたことが、あきひろの小学校時代で私にとって最も辛いことだった。

今ならば、学ぶとはどういうことか、子どもたちは何のために教育を受けるのか、という問いを立てて、みんなで考えていくべきことだったのだと思う。私があきひろに学ばせたいのは、知識を植え付けるためではなく、豊かな人生を送ってほしいという願いからだ。辛い体験ではあったけれど、今のあきひろが自分の楽しみを見つけ、毎日機嫌よく過ごしているのを見ていると、自分がやってきたことに対する後悔は全くない。


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