【前編】「ドラゴンクエスト」の作曲家すぎやまこういちと同世代の日本の作曲家はこんな人!
「ドラゴンクエスト」の音楽を作曲した、すぎやまこういち。
彼は惜しくも昨年(2021年)の9月に亡くなりました。
今回と次回の記事は、すぎやまこういちと同世代の日本の作曲家を取り上げます。
年表
まずは、すぎやまこういちと同世代の日本の作曲家をみていきましょう。
ふむふむ、すぎやまこういちと同世代なのは、
・武満
・林光
・冨田
・一柳
・三善
ですね。
すぎやまこういちが2021年に90歳で亡くなられたけど、この人たちも生きていたら90歳あたりだったんだなぁと思うと不思議な気持ちになります…。
年表にも記載しましたが、第二次世界大戦は1939年から1945年までなので、彼らがだいたい10歳から15歳までの時が戦時中ですね。
15歳というと多感な年ごろの中学生の頃、この頃に第二次世界大戦の戦況が終戦へと向かったわけで…、きっとこの環境が彼らに与えた影響は大きいのでしょう。
さて、ここからは、先にすぎやまこういちについてお話しした後、武満と林についてご紹介いたします!
冨田、一柳、三善は次回の記事にてご紹介いたします~!
すぎやまこういち
彼は、1931年(昭和6年)に生まれ、2021年に亡くなった(享年90)。
来歴
彼は音大進学を断念し東大へ進学した。卒業後はアルバイトの後、文化放送への入社を経て、開局準備中のフジテレビへ移籍した。
フジテレビ在籍中に、テーマソングやCM音楽を作曲し始め、さらには音楽家への楽曲提供も行い始めた。その後、フジテレビを退社しフリーへ転身した後、作曲活動に専念し始める。
1986年、彼が55歳の時、「ドラゴンクエスト」の音楽を作曲したことがきっかけで、ゲーム音楽の作曲を開始した。
その他にも、オーケストラを率いてコンサートの企画運営や指揮者としての出演を行ったり、ドラゴンクエスト関連のアルバム販売を一手に引き受けるSUGIレーベルを設立したりも行った。
2018年に旭日小綬章を受賞、2020年に文化功労者に選出された。
余談
彼のHPはなかなかに面白く、
例えば「僕の意見」というページには、社会問題に対する彼の想いが率直に書かれておりますし、
「僕の好きなお店」というページにはおすすめのお店が一覧化されております。「これを食べるなら、このお店!」というコーナーまであり、この人はきっと面白い人だなぁと感じます。
(そして、HPには、彼の来歴 / ディスコグラフィー / 紹介文が掲載されていないという…(笑))
武満徹 (たけみつ とおる)
武満徹は、1930年(昭和5年)に生まれ、1996年(平成8年)に亡くなった(享年65)。
特徴
彼は殆ど独学で作曲を学んだ稀有な人で、その作品は「タケミツ・トーン」と呼ばれる独特な響きをもつ。
詳細は以前のnote記事「5分でわかる!武満徹―2021年メモリアルイヤーの彼の、代表作と派生する文学作品や映画を知る」を参照してほしい。
林 光 (はやし ひかる)
(顔写真がwikipediaになかったため、こちらのリンクを掲載いたします)
林光は、1931年(昭和6年)に生まれ、2012年(平成24年)に亡くなりました(享年80)。
来歴と特徴
彼は、東京藝術大学作曲科に入学したが、中退したそうです。
(珍しいけれど、意外とたまにいる。そう、King Gnuの常田さんみたいに…)
彼は作曲活動のみならず、宮沢賢治の音楽作品を広める活動や、オペラシアター「こんにゃく座」の音楽監督としても活動しました。
彼の合唱曲や歌曲は、方言を含めた日本語の言葉の響きを生かすべく徹底的に追求して作曲されたそうです。
彼の作曲活動においては、日本文化すなわち自国文化を尊重する姿勢が見て取れると言われており、政治や社会問題も多く扱いました。
1955年と1996年に尾高賞を、1998年にはサントリー音楽賞を受賞し、
1996年には紫綬褒章も受賞しました。
代表作
・合唱組曲《原爆小景》
・オペラ《セロ弾きのゴーシュ》
(宮沢賢治の童話をオペラにしたもの)
・合唱曲《死んだ男の残したものは》
(谷川俊太郎詩)
ちなみに、この曲はapple musicに独唱版もあります。
いつ聴いても胸に来るものがあるので何度も聴きたくなる…、とてもおすすめです!
終わりに
いかがでしたでしょうか?
どことなく、同じ時代の雰囲気を感じ取っていただければ幸いです。
次回、後編では、冨田・一柳・三善を取り上げます!
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