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『中学生までに読んでおきたい哲学』 松田哲夫(編)

あすなろ書房から出ている「中学生までに読んでおきたい哲学」というシリーズが素晴らしいので、ぜひ紹介したいと思う。

全8巻のシリーズで、それぞれ、愛、悪、死など哲学的なテーマが掲げられており、著名な書き手達による文章が、巻ごとのテーマに沿って選ばれ収録されている。
「日常の暮らしの中に潜んでいる哲学的な問いかけを探り当て、自分の頭で考えるきっかけとなるような文章を集めたアンソロジー」(編者松田哲夫氏の言葉)だ。

今私の手元にあるのは、1巻「愛のうらおもて」と7巻「人間をみがく」だが、そこに収録されているのはエッセイや小論文から短編小説、そして落語。
書き手のラインナップも、太宰治、須賀敦子がいれば向田邦子に吉行淳之介の名があり、星新一や小松左京がいれば河合隼雄、寺山修司、内田百聞と、並んだ名前を見るだけで読書欲が刺激されまくりである。
編者である松田氏のセンスに敬服する。

このシリーズをスラスラ読める中学生が何パーセントほどいるかと言うと、それは決して大きな数にはならないだろう。
というのは恥ずかしながら大人である私が、いくつかのものは理解するのに難儀したし、正直に言うと諦めて読み飛ばしたものもある(内容の問題ではなく私の読書姿勢の問題なのだが)。

私がこのシリーズについて嬉しく思うのはまさにそこだ。
「中学生が読むのにちょうどいい」ものを作るのではなく、スラスラ理解できなくてもいい、全てを吸収できなくてもいい、どれかから何かしら感じて考えることがあれば、という思いで松田氏はこのシリーズを編んだのだろう。
文章の内容としては大人向けレベルである。しかしぜひこれらをまだ心も頭も柔らかい中学生に触れさせたい、という編者および出版陣の意欲が尊い。
未来を担う若者へ希望を託す意志が嬉しいのだ。
このような本がもっと広まればと心から思う。

7巻「人間をみがく」から作品を一つだけ紹介する。
白州正子のエッセイ「人間の季節」だ。
こんな出来事について書かれている。
ある時二人の少年が、電車に轢かれそうになっていた酔っ払いを身を挺して助けた。
また、別の一人の少年が、踏切でエンストしたトラックを見て駆け寄り、窮地を救った。
三人ともそのことで表彰されたが、後で人々から批判が出た。自分の命を粗末にするような行動を称賛するのは戦時中の特効精神の悪影響だ、というものであった。

困惑したのはかわいそうな少年たちだ。
偶然事故の現場に居合わせた彼らはとっさに体が動いただけだ。何か考えて動いたわけではない。
言ってしまうならば表彰されたことにすら困惑するのに、今度はそれが悪いことだと言われると、もうどうしてよいか分からない、と彼らは正直に話した。

大っぴらに表彰するのではなくひそやかにほめてやればいい、と筆者は言う。
大人の態度だと感銘を受けた。

批判したい気持ちになる人がいても、その気持ちを否定はできない。特攻精神の香りを感じて拒否反応が起きたことも当時を考えれば十分想像できる。
ありていに言えば、人それぞれの感じ方がある。ひとつの事象にも多角的に光を当てれば見え方は様々だ。
ただ、誉めるべきことを誉めてあげることは必要だし重要だ。特に少年期青年期であればなおのこと。

筆者はこんな美しい文章でエッセイを結んでいる。

暖めれば、のびるし、傷つければ、しぼむ。人間も植物のように、それほど強いものではない、ということは私自身常に経験するところである。と、こんな話を思い出したのも、目前の景色が、今朝はあんまり美しいからである。

一つ一つの作品は読み切りサイズなので、ちょっと手に取って開いたページを読むというのに最適だ。そしてどの作品も、何度読んでも、いや何度も読むほどに発見があり味わいが深まる名文ばかりだ。
大人が読んでも、面白味、学び、読み応えたっぷりなのは言わずもがなである。
名品集という意味でも、一家に一セット揃えたいシリーズだ。

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