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「説明のうまくできないなんとなくの感覚」 それこそが定着の証明なんじゃないのかな。

この4月から小3生になる次女8歳。

日本人小学校に通っていますが、英語の方が強く、漢字や文章作成が大の苦手です…

春休みの宿題もこのままだと終わらないんじゃないかと心配になり、時間があれば次女の横に付いて問題を解くのを見ていて気づいたことがありました。

漢字や文章作成はとにかく危ういとしても、「て、に、を、は、」の格助詞を選択して文を完成させる問題については感覚で分かるらしく、ブツブツ言いながら空欄の◯に選んだ文字を書き込んでいて、なにげに全問正解。

これ、恐らくピュアな日本人のお子さんをお持ちの親御さんだったら当たり前のことかもしれませんが、私にとってはとても興味深く感じたんですね。

例えば、これ、皆さんだったらどう文を完成させますか?

「 妹◯アサガオ◯種◯まきました。」

「妹はアサガオの種をまきました」恐らくこれが王道だと思います。

しかし、下のような例も(なんとなくおかしい気もするけれど)、完全に間違いでもなく、そう言われたら想像できませんか?

・妹にアサガオの種をまきました。←嫌がらせ?
・妹がアサガオに種をまきました。←Wヘッダー
・妹のアサガオの種にまきました。←肥料かもしれない
・妹のアサガオが種をまきました←オートフォーメーション化

文章の最初の格助詞が変わったら、その後ろの格助詞を消して違うものに書き直しているのを静かに眺めながら「へ〜、ちゃんと分かってるんだ〜。」と一人静かに感心。

前の前置詞が変わったからって後ろを変えないといけない暗黙のルールはないので、次女に「どうして後ろの方も変えるの?」と聞くと、

「よく分からないけど、このままだとおかしいから変えてるの。」

とのこと。

『なんとなくシックリこない違和感がある。でもうまく説明できない。』これこそが習得して自分のものにできている感覚なんだろうと感じた瞬間でした。

英語にしてみても長女13歳に「なんでここはofでinじゃないの?」と聞いたりすると、「え!なんでって、だってそうじゃないし、理由はうまく説明できないけどinじゃおかしいから?」との答えしかもらえない。

なるほど、それは感覚であって理由ではないらしい。

と、ここで以前《 Multilingual Ask-Tetsu》のTetsuさんにインタビューをした際に言われていたことを思い出しました。

『どんなにTOEFLや英検で満点を取ろうとも、その言語でジョークを飛ばして笑いが取れるくらいでないとマスターしたとは言えない。』

私もこれには大きく賛成で、ここでもやはりその場の雰囲気の『感覚』が必要になってくるのでしょう。

座学の勉強ももちろん必要です。

しかし、

こういった「説明のうまくできないなんとなくの感覚」を身につけるためにも、どれだけその言語を使って人と話したり触れ合ったりのコミュニケーションが大事なのかを、子供の成長と学習を見ながら感じつつ、

『勉強は一人でできるけれど、仕事は一人ではできない』

この言葉が全てを語っているのだと思いました。


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