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東京シューレ、フリースクール見学会

6月10日、4か所で保護者説明会。柏にもよりは流山ですが。

やっぱり府中にも寄りで新宿が指定されました。説明者は創業者でもある奥地代表。淡々としたお話、その周りで何名かのスタッフが身軽に飛び交うように進行をサポートします。

フリースクールの草分け、そして中核

1984年に「登校拒否を考える会」が発足。きっかけとなってのは1978年から始まった奥地代表お子さんの登校拒否。

まず、親の会ができて、そして子供たちも会合に加わるようになって、すると子供たちの間で友達の輪が出来上がり、広がり。誰からともなく「みんなが集まれる居場所が欲しい」。

「子供たちがどんどん元気になっていく」そんな現象がそこかしこで起きる。そんな様子を見ながら一念発起して22年務めた教師の職を辞して専念し始めたのが1985年のシューレ開設。それからすでに36年。

王子(東十条)、大田、新宿、流山と広がり、NPO法人化、高卒資格取得もできるようになり、大学も開校?多様な広がりに理解が追い付かない。

日本中のフリースクールを集めて2009年には「日本フリースクール大会」第一回を開催。2015年段階では全国400校となったフリースクールの中核となっている。

自由、だから元気になる、挑戦する、成長する

なんだか一つの循環を見ているような気分になる。

二人の子供、と紹介されたが19歳。不登校から東京シューレ利用をはじめ、たぶん間もなく巣立っていく若者たち。「不登校になったころの記憶、いきさつは?」と問われて、「今のインパクトの方が強くて、楽しすぎて忘れてしまいました」との返事。一人は、「声優になりたい」と夢を語り、今一人は「ともかくも高卒資格テストに通って、大学は生きたくなったら行くけど、そのうち起業したい」と。

小3から、あるいはまた中一から。不登校が始まり、時間を経てシューレへ。すると、自由!印象は「とにかく雑多だ」というもの。そして好きなことをしてていい。居場所「今の自分が、この自分でいい」と思える場所。自分を出していい。そして楽しい。

すると元気になる。「これまでで楽しかったのはフリ・フェスやったこと。今楽しいのはフリースクールの映画を作っていること」挑戦している。そして成長している。

コミュニティとしての安全基地

案内を得て2階へ。個室のような空間もあり、パソコンルーム?グループワークにも利用できそうな。説明会場の一階よりも小さめの部屋に十数名がたむろしている。多い日で30名くらいが利用するという。

在籍は4校で200名。これまでの卒業者数は3000名。そのほかに、自宅で学ぶホームシューレもある。

「私は私のままで大切な存在」そんな根拠の必要ない自信が心の中の安全基地だとすれば、東京シューレは、場、実在する空間としての安全基地なのだろう。一人一人の集まりが、コミュニティとしての安全基地を形作っている。歴史に染め上げられた自由の空気感が、一人一人を染め上げていくのかもしれない。



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