AIには絶対できない共感力
「病院が検査取らないみたいで。先生、急ぎで検査とってくれます?」
思わぬところで、小人弊害がわたしに来た。
医療は今、とんでもないところまで、逼迫しているようす。
だって、わたしのような、末端も末端にまで、影響をするのだもの。
4月の自粛の時は、出務を止められ、再開したら、今度は鬼のように人が押し寄せる。
あぁ、雇用の調整弁って、コレかぁ、なんて、しみじみと痛感する。
よもや、よもや。
わたしのような、心理士のはしくれにまで、及ぶとは、知らなんだ。
疲れた。とても疲れた。
1日で、発達検査と知能検査を切れ目なくとった。
場所によっては、もっと多く検査を担当することもある。
ここに、カウンセリングが入れば、だいぶ楽なのだけど、検査ばかり続くと、イヤになる。
久々に消耗し切った。
検査といっても、機械的にとれるわけでないからだ。
相手は、何らかの問題を抱えている人たちだから、例え大人でも、一筋縄ではいかない。
これだけ、デジタル化が進んで、AIによる音声入力や読み取りができても、心理テストはオートマテックにならない。
コンピュータのボタンを押せば、知能指数(IQ)がポーンと出たら、楽だ。
子どもでも、ことばが通じない子たちだけでなく、ことばを獲得していても、やりとりが上手くない子も多い。
アセスメント(心理テスト)とは、機械のように相手に問題を出すものではない。
確かに、手順はある。
だが、手順通りにいかないことは多々あるし、相手の深度、呼吸に合わせていく必要がある。
アセスメントは、道具や心理テストだけを使うことでなく、相手の行動をつぶさに観察する行動観察もアセスメントなのである。
そして、アセスメントも、また、治療の一環なのだ。
こうして、観察した結果とテストの結果を総合して分析し、それを検査所見として言語化する。
そして、テストを取れたとしても、数値を分析すること、分析を相手にわかるように、相手に言語化して、伝える技術も必要だ。
たかがアセスメント、されどアセスメントだ。
検査室から出てきた子どもが楽しそうにしているからといって、楽しいだけじゃないのだ。
相手に負担をかけないように、かなり、気を使いつつ、テストは取る、という、高度なワザを駆使しているのだから、そう簡単ではない。
「今日は、テスト取れないと思ってました!とれたんですね!」
そう、保護者はおっしゃるが、せっかく来てもらうのだから、テストが取れるように、すんごく努力してるんですよ!
子どもがニコニコして「バイバイ」と帰れば、「やったー!」と、嬉しくなるけど、エネルギーをお互いに消耗していることに、変わりはない。
そして、いつも、そんないい雰囲気であるとは、限らない。
途中で、ドロップアウトしてしまうこともあるくらい、負担が大きいものだ。
そんなに簡単に、結果を出して、所見を書けるワケないでしょ、機械じゃないんだから。
話は戻るが、そんなワケで、疲れた。
そんなワケで、心理職が軽んじられていることに、心を痛める。
大学院の修士課程まで進み、修了後も、自己研鑽が求められる、かなりマゾな高学歴職業の割に、ペイは低い仕事で有名なのだ。
もう一度言う。何度でも言う。
介護や介助、保育や教育など、よそ様へのケアや教育をする対人援助職は、疲れる。
すごく疲労する。
心理職だけでなく、あらゆる、対人援助に共通する、この疲れを「共感疲労」と言う。
なのに、ボンボン検査を入れられることに、わたしは、憤りを感じえないことに腹が立っていることに、気づいた。
共感疲労をするケアの仕事は、簡単なものでないし、簡単に扱われてよいものではない。
だけども、心理もそうだけど、介護や介助の仕事、いわゆる福祉の仕事もまた、心身ともに疲弊するのに、経済面で、軽んじられてきた。
「共感力」って、すごく高度な人間らしいスキルなのに、誰でも出来ると思われているのだろう。
ちょっと前に、流行った「非認知スキル」という、認知(理解の仕方、ざっくり言えば、言葉)では測れないものがある。
共感力も非認知スキルの1つで、個人差が激しい。
そして、この共感力は、デジタルでは再現が難しい。
人は、機械じゃない。
こんなこと、10年前なら、思いもしなかった。
なぜなら、その頃、勤めていた職場は、心理士にとても優しく、配慮があったからだった、と、今、気づいた。
トップが心理士の先生だったから、心理士が燃え尽きないように、守られていた。
ケアするものが守られていない環境では、クライエントに適切な支援なんてできないのだ。
小人騒動の中、医療で働く方たちは、守られていると言えるのだろうか。
対人援助職こそ、デジタル化が進んでも、機械化ができないし、守られなくてはならない職であり、人間を人間たらしめる、社会性だ。
AIがこの先、絶対もてないのは、そう、共感力なのだ。
こうして、はなはだしく、非認知スキルを使いまくり、認知スキルを駆使した1日は過ぎていった。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。