言葉にならぬ想いに色をつける恋愛上手は育児上手?
魔の2歳児
「テリブルツー」という言葉をご存知だろうか。
英語でterrible two 、日本語にするなら、恐るべき2歳と言ったところか。
2歳は、魔の2歳と言われ、イヤイヤ期と呼ばれる。
1歳前後に1人で歩けるようになって、その後に言葉が出てくる。
定型発達とは、一般的な発達のことをさすが、まず歩く、そして言葉という発達の機序は、逆には、まず、ならない。
どうして、歩くのが先なのか、その説明は長くなるから、今はしない。
気になる方は、ご自身で調べるか、筆者が開講するPWM講座に来ていただくとして、話をすすめる。
さて、魔の2歳は、また、第一次反抗期とも呼ばれる。
自我という、自己意識が育ち始めるから、なんでもかんでも、「自分でする」と自己主張する。
横から手を出そうものなら、烈火のの如く、怒り狂い、泣きわめき、手に終えない。
触らぬ神に祟りなし、時間はかかっても、養育者は、側でじっと忍耐強く見守るべし。
「やって」と言われるまでは、我慢して、待つ。
この待つという行動ができない養育者もいて、あれこれ横からアシストしてしまうと、自己意識が希薄な子に育ってしまうから、御用心。
指示待ちニンゲンまっしぐら。
反抗期はあるべきもので、ないからと言って、手放しで喜んでいけないのだ。自己主張できてるんだもの。
行政の育児相談で、イヤイヤ期に困りはててるママに、そう伝えると、ママたちは、ホッとする。
「そんなこと知りませんでした」
そうか、そうだよね。知らないよね。
本当はわたしたち、心理学者たちが自己の成長と発達のしくみをもっと知ってもらう努力をしないといけないなぁと、思う。
どうして2歳児は怒りっぽいのか
言葉が出始めたけど、うまく言葉にできないから、イライラするのだ、と知れば、助かるママたちは大勢いるのだ。
言葉は自然に勝手に獲得するものではなく、周り(環境)が与え、体の育ちとともに、自分が獲得してゆくもの。
言葉は勝手に育ちませんよ〜、と伝えると、ママたちはさらにのけぞる。
そうなんよ、親たちの与える養育環境がなければ、子どもの言葉は育ちませんわ。
反抗期の2歳には、養育者が代わりに言葉にしてあげる、気持ちの代弁がよい。
上手くできなくて癇癪を起こしているなら、「上手くできないね〜。難しいねぇ」でいい。
お菓子を買って欲しくて泣いているなら、「そうだよね、欲しいね」でいい。
そうすると、「ママ、わかってくれたんだ」って、共感を呼ぶし、上手く言葉にしてもらえてスッキリする。
大人も同じ
イライラ、クヨクヨ、シクシク、どれも感情を表すオノマトペ。
オノマトペって言葉は、なんかかわいい、擬態語。
よく、イライラしないママになりたい、って言う人がいるけどイライラしないのは無理だ。
だって、感情がないあるいは、感情を感じない人はいない。
むしろ、感情を機敏に感じるからヒト。
もちろん、感情を感じやすい繊細なセンサーのヒトはいる。
だけど、感情に振り回されることと感じないことは違う。
感情を感じたら、その後、どう扱うかが分かれ目。
イライラやクヨクヨを表にストレートに出せば、どうしたの?って、周りが気づかってくれるのは2歳児の特権。
だけど、大人がそれをしていたらまわりから人がいなくなる。
だから、必要以上にイライラしてはいけないと思い込む、負のループだ。
いやいや、イライラは悪ではなく、イライラを外にぶつけることが悪なのだ。
もっと洗練されたまわりも自分も安全なやり方で外に出せばいい。
ならば、言葉にできないモヤモヤはどう致しましょ。
モヤモヤした想いをカタチする
1つは、色や形を具体的に頭の中でイメージして、形にしてみることだ。
形になると、言葉になる(形も言葉だ)。
もしくは、絵に描いて、さらに具体にしてみる。
想いには形がないから、わからなくてイライラしたり、不安になる。
恋も同じだ。形にならない想い(感情)が募るあのドキドキする気持ち。
想いが高ぶって、人を詩人にしちゃうから、メルヘンなラブレターやメールをもらったことあったっけな。
相手がどう思うかは、別だけど、具体的に形にして目に見えるようにすると、自分が安心する。
感情は言葉にならなくても、色や形をつけて具体化できる。
色や形も非言語という言葉です。
(ロジックですね〜)
ないものをあるとして、言葉にしてあげると、スッと楽になるのだ。
まずは、自分の気持ちを簡単な言葉にしてみよう。
小説家じゃないんだから、緻密な言語表現なんていらない。
形として表現してみることから、始めよう。想いに色をつけて表現してみよう。
あなたの今日の想いは、何色ですか。
論文や所見書き、心理面接にまみれているカシ丸の言葉の力で、読んだ人をほっとエンパワメントできたら嬉しく思います。