わたしまけましたわ

「わたしは負けたのだ」

2日間のファスティング体験を終えたばかりの今、スッとこの言葉が出てきた。

いさぎよく、負けをみとめるしかないほど、ぐうの音も出ない。

自分の意志なんて、なんと脆くはかなげなんだろうか。

ぐー。

こんなにも己は弱く、その己の出どころである脳みその弱さを痛感する。

心理学をやっていると,心(意識)は体よりも上位概念であると思ってしまう。

でも,そうじゃなくて,この地球で肉体を持っている限り,やはり体が上位なんじゃないかと思い直した。

頭で考えたことなんて,すぐに騙されるし,間違えるし,つまり,脳なんて誤認ばっかりだ。

脳だって体の一部で,体のさまざまな感覚器(五感など)に集まった情報を脳に伝えて,脳が交通整理をして,指令を出す指揮者なんだけども,じゃぁ,指揮者はえらいのか問題だ。

さまざまなパートに分かれた楽器演者を統括して,ハーモニーを奏でるのがオーケストラの役割。

ピラミッドの上位に誰がいますか問題だ。

いやいや,からだって,ピラミッド型じゃなくて,横に平行というか,循環型の集合体なんじゃないか。

それぞれの臓器や筋肉に情報を伝えるセンサーが神経系で(自律神経とか),脳と体を繋ぐ役が神経系で,神経からの信号を脳が拾う係。

統括係,連絡係などたくさんの係活動があって,からだはできていて,とりたてて,脳がえらいワケではない。

そんなことをファスティング体験で思った。

だって,2日間の食事を普段の半分以下の総カロリーにしても,歩けたし,なんならトレッキングにもでかけられた(翌日筋肉痛)。

あんなに食べなかったのに,体重はほぼ変わらず,劇的な変化はない。

待てよ?てことは,普段から食べ過ぎていたってことだ!

人間の祖先たちが誕生した頃は,狩猟採集だったから,定住ではなく,獲物を追い求め移動していくし,いつも食べ物にありつけなかった。

いつでもお腹が満たされているわけでないし,今度いつ食べられるか見通しがつかないから,食べられる時に食べて,脂肪として蓄えておく。

わたしたち日本人のまぶたが腫れぼったいのは,寒い時に脂肪があるとよいから,瞼に脂肪とつけたと聞く。

ラクダだって,背中のコブの中は脂肪で,砂漠の中で食物にありつけなかった時は,脂肪をエネルギーに変えて生き延びる。

1億年前の祖先と違い,定住して,食べ物もあまるほどあるのに,それでも食べ物が目の前にあると,食べたくなくても食べてしまう。

1億年が経っても変わらない「生存本能」としての脳の特性。

「生き延びて遺伝子を繋ぐこと」これがわたしたちの最大の使命なのだから,それに抗うことは無駄な抵抗だ。

ということで,わたしは無駄な抵抗をやめた。

わたしは,遺伝子に負けたのだ。

何よりも頭脳上位で生きて来たけれど,ごめん,わたし動物だった。

頭脳優位がエライ,優秀な知能ってすごいって,知能優先で生きて来たけど,むしろ,知能が高すぎる弊害もある。

(あくまでも自分比です。わたしが知能が高いと言いたいわけではございません。知能は,同年齢集団との比較もできますが,個人内(自分)での能力バランスの比較もできます。わたしは後者推しです)

例えば,知能が高すぎると結婚をしようと思わない,子どもを産み育てようと思わないなど「知能のパラドックス現象」が指摘されている(サトシ・カナザワ,2015)。

頭脳<<<<<<<体<<<<<<<遺伝子

と書くと,あたかも別物に思えるけれど,違う。

頭脳も体も遺伝子の表現型。部位として繋がっているのだ。

まぁ,そんなところだ。

ということで,体ってすごいな,遺伝子の生存戦略ってすごいな。そら,1億年前から生き延びてきたホモサピエンスの末裔だもんな。

ミトコンドリアさんには,かなわない。

心からそう思う。




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