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【🇰🇪#87】ナイロビ:ハラカハラカと「重力の虹」の旅
「ケニア」と聞いて私が思い浮かべるのは、西きょうじの『ポレポレ英文読解プロセス50』である。
ロングセラーの大学受験参考書で、130ページほどの薄い冊子にはぎっしりと文章が詰め込まれている。
ときおり動物の挿絵が現れる。これは著者がケニア旅行で実際に目撃した動物を描いたものらしい。
表紙には象が印刷されていて、カバーを外すと見えるキリンの柄も可愛らしい。
「ポレポレ」とはスワヒリ語(ケニアの公用語)で「ゆっくり」という意味だそうだ。
落ち着いた時間が流れる遥かなケニアで「ポレポレ」な旅をすること、これが一つの夢になっていた。
6月14日(金)
朝5時28分、ナイロビ市内のホテルで目を覚ます。今日はナイロビ国立公園でモーニングサファリをする予定だ。
昨日到着したばかりの体には、厳しいものがある。しかし、ポレポレしている暇もない。
チャーターしたサファリバンは、予定時刻よりもずっと早く、宿に来ていた。
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早朝のナイロビの街角には、通勤・通学をする人たちであふれている。昨日の夜8時には人が皆無だった薄暗い通りにも、ちらほら人とが見える。
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ナイロビ市はたくさんのビルがあり、発展した都市である。
その近郊部にライオンやキリンが住む国立公園があるというのは、にわかには信じがたい。
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20分ほどすると、国立公園前ゲートに着いた。入場待ちの車でちょっとした行列が出来ている。
自動小銃を持ったパーク・レンジャーは、口早に手続きについて説明する。
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正直に言うと、「ポレポレ」という言葉が先行して、ケニアは「ゆっくりとした」国だという先入観を持っていた。
しかしこれまでナイロビで出会ったケニア人は全員時間に正確で、約束をきちんと守る人ばかりだ。
私は到着してから数時間のうちに、ケニアに対する新しい印象を持ち始めていた。
「ポレポレ」ではなく、「ハラカハラカ(急いで)」である。
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薄暗い道を軽快にバンが走り抜ける。
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日本で見かける植物とは明らかに異なる形の木は、風通しのよさそうな林を形づくっている。
膝まで隠すほどの草が、道路以外のすべての陸地を覆いつくしている。
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コンクリートで舗装された道とそうではない道があるが、いずれにせよ道路状態は悪くない。揺れは許容できる範囲だ。
バンの天井を開け、上半身を車から乗り出す。湿度ある朝の風が心地良い。
5分ほど走ると、大きな池が見えてきた。40メートルほど先、池の水面を蒲色の塊が漂っている。
カバだ。
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カバはのんびりと水辺を漂っていて、望遠鏡なしでは生き物なのかどうかも判別しがたいくらいだ。
鳥たちはこの可愛らしい置物のことなどはつゆ知らず、近くで水を飲んだり地面をつついたりしている。
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私もご相伴にあずかりたいところだが、カバの縄張りに入れば命の保証がない。ドライバーは言った。
「カバは一番、危険な動物なんだ。」
太陽の高度が少しずつ上がっていく。ひんやりとした空気が徐々に失われていくのを感じる。
日中、という明瞭な定義の下に世界が組み込まれていくのと同時に、あらゆるものに明確な輪郭が与えられていく。
運転席にあるトランシーバーから突然、大きな声が流れてくる。
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「ライオンが見つかった!」
ドライバーはアクセルを思い切り踏み込みはじめる。雨の影響でやや前衛的に波打つ土の道も、軽快に突破していく。
道中すれ違った他のドライバーとも何かを話し合っている。
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驚くべきことに、ナイロビ国立公園は117平方キロメートルもある。(高槻市よりやや大きく、三沢市より少し小さい!)
このように広い場所で、動物がどこにいるのか事前に把握するのは不可能だ。そのため、ドライバー同士で密に連絡を取り合っているのである。
ハラカハラカでライオンがいた場所向かう。
現場には20台以上の車両が集い、車列をなしていた。ちょっとした壁である。
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楽しい朝食の時間を見世物にされて気分が悪くなったのだろうか、ライオンさん一家はすでに消えていた。
数百メートル離れた場所には、おそらく同胞を食い殺されたであろう草食動物の群れがあった。
ガゼルたちは周りを気にするような素振りを見せつつ、草を食んでいた。
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「あっちを見ろ、セクレタリーバードがいるぞ。」
道路前方を見ると、すらりとした美しい鳥が立っていた。1メートル以上はゆうにある大きさだ。
鳥類図鑑か何かで見たことがある、ヘビクイワシである。
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ドライバーは無線でヘビクイワシを発見したことを報告していた。きっと珍しい生き物なのだろう。凛とした表情で地面を睨んでいる。やわらかそうな白い羽と、引き締まった足の対比が特徴的だ。
これほど神々しい見た目をした鳥が実在するとは。
餌を探しているのだろうか、頭を前後に振りながら、のそり、のそりと歩き出した。鳥の中に潜むであろう、恐竜から続く遺伝子を思い起こさせる動きだ。
そして間もなく、歩みを止めた。餌を見つけたのだろうか?
鳥は不意に、真っ白な糞を大量に射出した。
尻から純白の液が解き放たれると、それは「重力の虹」を描きつつ、まもなく地面にちょっとした水溜まりを作った。
「あら、ご免あそばせ。」
気まずそうな顔をしたヘビクイワシは、そう言いながら飛び去っていった。そんな気がした。
5泊6日のケニア旅行で最も印象的な瞬間を挙げろと言われれば、私は間違いなく、この数秒のスペクタクルを紹介するだろう。
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車は高台を目指して走っていく。
1キロほど離れた小高い丘の上には、キリンが見える。
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道中、可愛らしい生き物が岩に腰かけているのが見えた。モルモットサイズのその生き物は、近づいても特に逃げる素振りを見せようともしない。
姿勢と表情に既視感がある。そうだ、リビングで朝ドラを見ている私の母である!
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高台の上に着いた。
国立公園を一望のもと見渡せる。世界の果てまでも見通せそうなほどに空気は透き通っている。
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「愛と哀しみの果て(Out of Africa)」という映画を想起する。
ケニアを舞台にしたこのロマンス映画は、必ずしも私の好みではなかった。
(私は「ブルース・ブラザーズ」のような、「爆発・爆走・ロック」に要約できる映画が大好きである。)
それでも冒頭のモノローグは、私に鮮烈な印象を残した。
an incredible gift: a glimpse of the world through God’s eye, and I thought, “Yes, I see. This is the way it was intended.”
すばらしい贈り物――神様の目を通して垣間見る世界。そして私は思った。「そうよ、これこそ神様がお望みになった姿だわ。」
無限に透き通った世界と、数えきれない不思議な動物たちの営み。
「神様の目を通して」ではなくて、どのようにして体感できようか?
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平原に戻り、ドライブを継続する。
道端にダチョウが佇んでいるのが見える。ぎょっとするほど大きい鳥だ。鉄砲を持っていても戦いたいとは思えない。
おまけにダチョウは何を考えてか、急に羽を広げて走りだすことがある。
かなりの迫力だ。
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シロサイの家族が日向ぼっこしている所を見た。
もう昼も近く、容赦ない日差しが肌に痛い。こういう日は、ゆっくり寝るに限る。
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サイはナイロビ国立公園ビッグ・ファイブの一つだ。多くの人が楽しそうに観察している。
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私も負けじと観察する。
皮膚がごわごわしていて、体の上は鳥の糞まみれで……。
考えているうちに、私も眠くなってきた。
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もうお昼ご飯を食べるような時間だ。どんどんレア動物を見つけたい。
キリンが美味しそうに葉っぱを食べている。
木が禿げていくのが分かる。
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もしもキリンが故郷にいたらと想像してしまう。
きっと畑や裏山の葉を食い尽くしていたに違いない。猿や鹿、猪とは比べ物にならない食害をもたらしていただろう。
ケニアの自然のスケールを想う。
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ナイロビ国立公園内では基本的に歩くことが出来ない。ただし一部のセーフエリアが存在し、そこでトイレ休憩をとれる。
そこにはライフルを構えたレンジャーが駐屯している。
彼らに1人当たり500ケニア・シリング(約600円)を払い、「ワニがいる」という川辺を歩かせてもらった。
歩いていて気付いたのは、意外とプラスチックごみが沢山落ちている、ということだ。
自然遺産でこのような光景を目の当たりにすると(当然街中でもそうだが)、残念な気持ちになってしまう。
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川の対岸には「マサイ族の土地」があるそうで、迂闊に入り込むことはできないという。
途中で出会ったマサイの商人からお土産を売られたが、高いので買わなかった。
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残念なことに、ワニには会えなかった。
「草食動物ばかりのエリア」に着いた。
実は、道中で沢山の生き物を目撃しているうちに、少しずつ「慣れ」が来てしまっていた。
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贅沢な話だが、ガゼルなどはそこら中の道端にいるわけで、いわば駅前の鳩、あるいは奈良公園の鹿と大差ないのである。
園内は草食動物だらけであり、このエリアには珍しさがない。
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何か刺激的な動物が見たい。そう考えていると、草食動物たちの中に、久しぶりの「本日初めて」を見つけた。
シマウマである。
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見つけたときは感激したものの、眺めているうちに1つの結論に至った。
これは想像していたよりもずっと、「ウマ」だ。
公園職員が普通のウマを買ってきて、白黒の厳ついペインティングを施したのではないか。そんな気さえする。
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全国のシマウマファン諸賢からご叱責を頂戴しないよう、付言しておこう。シマウマの模様は人間の指紋のようなもので、それぞれ異なっているらしい。
私はそれを事前に知っていたので、模様を一つ一つ吟味した。
なんだか同じに見える。
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そろそろお腹がすいてきた。帰り道を行こう。
オスのダチョウは数多く見たが、メスを見るのは始めてだ。
カラフルなオスに比べて、ずいぶん質素な見た目をしている。
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ドライバーの提案で、最後に大きな池を見て帰ることにした。
遠くの方にワニが見える。車から降りて近付きたいが、ぐっと我慢した。
カバと違い、全く動く気配がない。岩のようにさえ見える。
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しかしワニが脅威であるのは紛れもない事実であり、池から100メートルほど離れた丘にいるガゼルの群れは、決して水辺に近づこうとはしなかった
13時ごろにモーニングサファリを終えた。
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7時間近く立ちっぱなしで楽しんでいたが、驚くほど元気だ。この調子なら、午後も観光を楽しめそうだ。
ナイロビの旅は、私の固定観念を崩すのに十分だった。
「ケニアはポレポレ」で「日本だからハラカハラカ」。そういう考えは、全く無価値な偏見に過ぎない。
人々は朝から懸命に働き、ライオンは飯を急いで食い、ヘビクイワシは「跡を濁して」速やかに飛び去っていく。
しかしそうかと思えば、シロサイなどは昼からまどろんでいる。
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遠く離れた異国の地の人も、そこに暮らす不思議な生き物たちも、「ポレポレ」と「ハラカハラカ」で片づけられるほど単純には出来てはいない。
ただ、それぞれが自らの命を懸命に生きているのである。
そして「これこそ神様がお望みになった姿」なのだろう。
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サファリを終え、昼間から「タスカー・ビール」に酔う私の頭は、ポレポレと思った。
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