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『ポストコロナの生命哲学』を読んで1

読書会にて

先日、主催メンバーの一人として社会学の読書会に参加した。
テーマはコロナについて。
課題図書は『ポストコロナの生命哲学』という本だ。


有名な生物学者の福原伸一さんを中心に、美学者の伊藤亜紗さん、歴史学者の藤原辰史さんのそれぞれの原稿と鼎談が収録されている新書だ。

読書会では、コロナなどの時事ネタの取り扱う場合、課題図書の設定が難しい。
なぜなら、状況が刻々と変わるので、課題図書を決めてから読書会開催までの数ヶ月の間に、情報が古くなっていってしまうからだ。
そのため、現状報告的な内容の本ではなく、なるべくタイムレスで俯瞰的な内容の図書を選ばなければならない。
この本は、タイトルの通り、コロナがテーマでありながら、生命や哲学が中心に据えられているため、課題図書に決まった。
コロナ禍の始まりから2年以上がたち、ようやくコロナへの評価も定まってきたこのタイミングで、この本での読書会開催となった。

レジュメ

下記のレジュメに関しては、読書会のメンバーが作ったものをベースにした。

2020年代の世界は、地球温暖化、コロナ、ウクライナ戦争等、矢継ぎ早に従来の世界観を一変させざるをえない事象が相次いで可視化されることになり、まさに人類は待ったなしの対応を迫られる状況に直面している。
『ポストコロナの生命哲学』では、生物学者の福岡伸一、美学者の伊藤亜紗、歴史学者の藤原辰史の3人が、従来の多くの関連書籍から抜け落ちている「いのち」について基本的な姿勢を示そうという、注目すべき試みである。
大枠として、生命を情報と見過ぎたこと、ロゴス(論理)化しすぎたことを問題とし、ピュシス(自然)の歌を聴けと、藤原が問題提示している。
まず最初に、福岡がコモン(共有の財産)の喪失は資本主義発展の必然であり、すべての面(人間も自然も含め)で他者との共有を拒否する社会が形成されることとなった、と指摘する。
 人間はピュシスをロゴスに変え、そのロゴスの力で自然を客観視し、外化し相対化したという。
しかし、この行き過ぎが、一体何をもたらしたかをポストコロナの生命哲学を通して考察しておくことは不可避であり、その意味では今こそ、ピュシス(自然)に素直に耳を傾けるべきである。
したがって、ポストコロナは決して新しい時代の創造の時代ではなく、私たちがコロナ以前に直面していた多くの諸問題が可視化され、それらへの対応が本格的に問われることになるのであろう。

福岡は、新しいワクチンや治療薬によって、ピュシスとしてのウィルスの存在を排除したり、消去したり、変更することはできない、ピュシスとしてのウィルスを受け入れるしかない、という。
ロゴスの本質は論理であり、効率性、生産性、そしてアルゴリズムによって達成される最適解である。
しかし、こうしたアルゴリズム的な究極のロゴスの神殿は、ピュシスとしての我々の生命のあり方を損なってしまうものでもあるという。
こうしたロゴス的な見方にとらわれていると、そうしたウィルスと人間の相互関係は見失われてしまう。
本来、人間が選び取ったのは、ロゴスを求めつつもピュシスに従う生き方である。
社会がロゴスによって完全に制御された方向へと向かおうとしている今だからこそ、ロゴスとピュシスの狭間にある人間のあり方について深く思いをめぐらせるべきである。

もう一つ、ポストコロナの時代の人間のあり方として重要なのは、自由を手放してはいけないという指摘は、極めて重要である。
藤原は、…コロナ以前から、コロナ以上の危機を抱えて暮らしてきた人たちが大勢いたことに今こそ気づくべきであり、…コロナ禍は、…構造的暴力(ガルトゥング)の中で弱い立場に置かれた人々のことを自らの身体感覚として気づくチャンスを与え、新しい社会を築きあげる大きなヒントになってくるはず、という。
その際、感染拡大を防ぐため、ドイツで移動の自由が制限されたとき、メルケル首相のこうした基本的人権を制限することへの躊躇と日本の政権与党との違いは大きい。

鼎談

後半は三人による鼎談だ。
ロゴスの本質は論理であり、現代社会はロゴスによってコントローラブルで予測可能な完全制御された文明を目指しているといえる。
しかし、そうしたロゴスの神殿は、本来のピュシスとしての我々の生命のあり方とは違う。
私たちが今後目指すべき方向は、ピュシスとロゴスのどちらにも完全には帰依しないように、迷いつつもバランスをとりながら、この相克を進んでいくしかない。
ワクチンや特効薬ができても……すべてのことが解決するというのは幻想。…私たちが取れる選択肢はただ1つ、ウィルスと共に生きると言うことだけ。
ロゴス的に行き過ぎた生活のやり方は必ず破綻し、逆にピュシスがあぶり出されてくることを覚えておくべき。
…テクノロジーで危機を乗り越えていこうという動きが強まっていった結果、監視システムを発展させて一人ひとりの生物学的情報を分析し、つなげていくという社会がもたらされる可能性がある。
それにある種便乗する形で、いわゆる自粛警察的に、人々の間に監視装置が充実していくということも危惧される。
ナチスの民間監視人もう普段はごく普通の生活を送っていた人達であったことを想起すべきである。

以上、わかりやすくて読みやすい本ですので、是非読んでみてください。
次回は感想です。

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