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学校の本来の目的とは?

コロナ禍の影響がまだ続いており、自分の時間も少しできたので、今月から空いた日には、ボランティアをすることとしました。小学校低学年の学習支援ボランティアです。本日2回目の支援に入りました。

1回目もでしたが、やはり本日も今の子ども達が置かれている状況。決して無視できないなと感じました。

それは、授業についていけない子がこんなにもいるのかということ。また、集中出来ていない・授業に参加出来ていないなどの状況下で、先生はなんとか単元をクリアしないとと、先に先に進んでいました。

私はそのついていけていない子たちのサポートをする、ボランティアです。少し踏ん張って教えれば出来る子もたくさんいて、限られた時間で出来るだけ多くの子に対応するように頑張るのですが。。。。

「やっぱりなんか違うなー」と思うのです。

この勉強って誰のための勉強なの?

ついてこれない子、仕方なくしてる子、先生の言うことをきちんと聞いている子様々

何のための勉強なのか?教科書の問題をただただ解くことは、一体なぜなのか?子ども達はどう感じているのかが、とても気になります。

(一部分しか見ていないので、先生たちも時間がない中、何とか勉強は遅らせないよう頑張っているので、すべてとは言わないが)

色んな腑に落ちない問いで、私の頭はモヤモヤ。

色々と予想はしていたけど、実際目の前で起きている状況に、目の前のことしか出来ていない自分に力のなさも感じました。

長年就職支援の仕事をしていると、今学んでいる学習が何の役に立つのか分からない子。社会とのギャップに苦しむ子。自己決定をできない子。自信がない子。などたくさん見てきました。

学校は勉強を通して、皆で考えることや、自分の力で解いていこうとすることや、考え方の過程は人それぞれであって、いろんな考えがあること。今の学びがどう繋がるのか?を考えること。など

社会では正解が一つでないことを、学校でも様々な体験を通して、練習していくことこそが大事なのではないでしょうか?勉強の方法もしかりです。

それが出来るのが学校なのに。と改めて感じました。

せっかく友達と勉強しているなら、どう違うのか?を考える問い。個別対応できずとも、他者との違いを見る問い。小学生でもきちんと問いかければ考える力は備わっています。

(現に私の子どもも、小学低学年で不登校だった自分を客観視できるようになり、自分に何が足りないか?を見つめることが出来るようになりました。)

そんな自分の力で考える学びが、これからますます必要となってきます。

またボランティアを通して、学校の先生の厳しい現状も見れました。子どもに関わる様々な外部の人間が必要で、先生や親以外の人との関わりで、子ども達の視野も広がっていくだろうなと感じます。

ただの知識の詰込みは、家庭でも出来るし、オンライン学習でも出来る。なんのための学校なのか?今私たち大人が真剣に考える時だと、改めて考えさせられました。