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ギフティッドの専門家ではない私が、ギフティッドをテーマにしたシンポジウムに携わることになり、研究者の方々から教えていただいたことで、個人的にすごーく興味深かったこと、印象に残ったことを紹介します。

きっかけは2021年のシンポジウム

2021年10月に行われた「第17回子ども学会議」で会員が自主的に企画して開催できるプログラム枠がありました。角谷詩織先生(上越教育大学)が「ギフティッドの的確な理解と支援のために:心理・医療・教育の観点から」というお題でエントリーし、榊原洋一先生(お茶の水女子大学名誉教授)、松村暢隆先生 (関西大学名誉教授)、そしてアメリカで学ぶ大学生の当事者の女性が登壇するという、今思えば豪華な顔ぶれのプログラムでした。

IQが高いだけではないギフティッド児

この会に参加するまで、おそらく一般的に思われているギフティッド児のイメージ、IQが高い、飛び級で大学に入るとか学力的に秀でているお子さんのイメージでした。

しかし、もちろんIQが高いという点はあるのですが、正義感が強い、リーダーシップに秀でている、社会問題に強い関心がある等の特徴もあるとのこと。すごい、こんな人が政治や経済の点でも活躍してくれたら、日本はもっといい社会になるんじゃないか!と希望を感じました。

その才能ゆえの生きにくさ

そんなに現実は甘くない。ギフティッド児のエピソードを聞いて、残念な気持ちでいっぱいになりました。その会で出たエピソードとは違いますが、おおよそこんなことなんだろうとイメージしました。

・小学生で既に高校レベルの数学の知識のある子にとって、小学校の算数の授業は苦痛でたまらない。でも、わかっているから授業中にぼんやりしていると、よそ見をしている・集中していないと注意される。

・学校の先生(だけではないですが)が「みんなで掃除をして徹底的にきれいにしよう」といったのに、まだ全然きれいになっていないのに掃除の時間が終わったから掃除を止めるようにいう。言ってることとやっていることが違うと先生にいうと、うるさがられるようになった。

・テレビで地球温暖化の番組を見て、氷河が融ける映像を見た。それから温暖化が気になって、氷河がドンドン融けているように思えて、不安でたまらなくなった、

もっとショッキングだったのは・・・

これはあくまでも統計的な数字として出ている話で、全員がそうだ、という話ではありませんので、どうか誤解しないでください。周囲との違いや誤解、とても感覚が繊細であることから、うつっぽくなってしまう方もいるそうです。また、成人になってからも悩みが続き、自ら命をたってしまう方もいるそうです。

確かに、高校生や大学生が毎日授業を受けなければならない、それも集団授業で他児とも協力して、積極的に授業に参加しなければならないとしたら・・・それは苦痛で苦痛で仕方ないと思います。

アメリカから参加してくれた当事者の大学生も、中学、高校の頃の話を、淡々とですが、かなりシビアな話を聞かせてくれました。

ギフテッドの問題は教育の多様性の問題

昨年のシンポジウムは、どちらかというとギフティッド児の現状とその困難な状況に対しどのような支援が考えられるか?という視点でした。

今年度も継続してこのテーマを取り上げることにした際に、困難な状況にあることはもちろん問題であるんだけれど、才能あふれたギフティッドの子どもたちが「生きる楽しみいっぱい」で、のびのびと幼児期・学童期を過ごせるようになることも話題にあげたいね、となりました。

学校も社会も、多様性多様性というけれど、まだまだ多様な存在は尊重されないところもあります。ギフティッドを通して、教育の多様性について参加者の皆さんと考えるようなシンポジウムにしたいね、と10月9日の会を準備しています。

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