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―やれることで世の中の役に立つ。やりたいことに固執しない生き方を―

      キャリアの聴き小屋vol.6 音楽教室IROHA代表 岩堀 努さん

神奈川県横浜市都筑区センター北にある音楽教室「IROHA」。この地に開業して8周年を迎え、地域の人に音楽の楽しさ、レッスンの楽しさ、を伝えてきた。今回、代表の岩堀努さんにIROHAのことから岩堀さんの音楽との関わり、生き方まで多岐に渡ってお話を伺った。

日本一“ユルい”教室がコンセプト

音楽教室IROHAは横浜市営地下鉄「センター北駅」から徒歩3分。 路面にある青い看板が目印

音楽教室IROHAではギター、ウクレレ、ベースのレッスンを提供するほか、教室主催の発表会などを企画したり、地域の音楽イベントに参加し、趣味として楽しみながら楽器を習うということを大事にしている。
趣味として楽しむことの根底にあるのは“ユルさ”であると岩堀さんは言う。

「コンセプトとしては“日本一ユルい教室”。日本一遊んでいる教室っていうのを目指しているんですね。というのも、レッスンを通じて楽しむこともするんですけど、イベント、例えば、発表会とかそういうイベントをやると、みんな、ほんと文化祭の如く楽しむんです。衣装をバッチリ決めたりとか、すごい下準備をして思いっきり楽しんでいて、『16歳の文化祭か』っていうくらいはしゃぐんですよ。大人も子どもも同じ目線ではしゃげるような感じになるんです。レッスンもイベントもそういう楽しい場を提供したいと思ってやっています」

楽しめる場を提供する、そのツールの一つとして楽器があり、レッスンやイベントをみんなで楽しむということを続けてきたIROHA。
IROHAでは、その楽しむを担保するために大事にしていることがある。それは“怒らない”ということである。上手くできないから怒る、その日のレッスンまでに練習をしていなかったから怒る、このようなことをしない講師がIROHAには集まっている。

「IROHAに通っていただいているのは50代60代の子育てが終わってひと段落して自分の時間を持っている方が多いんですよ。その方たちにとって習い事っていうと、“子どもの頃習っていた習い事の先生がめちゃめちゃコワかった”っていうイメージがあるらしいんですよ。ピアノだったりとか。
『趣味で習いに来てるのに怒られるってめっちゃ嫌じゃない?』って僕は思うんですよね。『あ~、明日レッスンじゃん』ってなるんじゃなくて、ほんと楽しみに、息抜きに来てストレス発散もできるような、そんな場所にしたかったんで。怒るとか先生が不機嫌になるのはダメだなって思ったんです。
怒ったり不機嫌になったりすると言いたいことも言えなくなっちゃうし、聞きたいことも聞けないし、せっかくお金払ってるのに先生に気を遣うのはあり得ないなっていう。習うっていうことだから先生を尊敬しなきゃいけないとかも思っちゃうかもしれないんですけど、俺らとしては楽しんでもらうためのサービス業ぐらいに思っていて、先生たちにもそれを浸透させているので、『怒らないように、楽しい時間を過ごしてもらいましょう』って決めてますね」

夢破れて講師在り。夢見たロックスターの先に見つけた講師の仕事

音楽の道でご飯を食べていくと聞くと、最初にイメージするのはミュージシャン、すなわち楽器を弾く、歌うプレーヤーとしての姿ではないだろうか。もしくは作曲や作詞という道もイメージされるかもしれない。現在は音楽教室を運営するという形で音楽の道を歩む岩堀さん。彼が音楽教室を開くまでどんな音楽の道を辿ってきたのか、ここまでの歩みについて伺った。

「音楽に最初に触れた記憶は、小学6年生くらいですかね。まだCDプレーヤーがあった頃にデッキを買ってもらって。たまたま家にあった1枚のCDがクラッシックだったんで、それをずっと聴いていました。その後、すごいゲームが好きだったんで、例えば、ゲーム自体は持ってなくて、音楽だけ聴こうと思ってゲームミュージックのCDを買って聴いてましたね。ファイナルファンタジーとかそういうゲームのバックミュージックを聴いていました。
中学生なってからはMr.Children、B’z、そういうのをちょこっと聴くようになったっていう感じですかね。当時(CDが1枚)500円で買えて、お小遣いが2,000円だったんで、1枚2枚買えるなって感じで買ってましたね。最初は「名もなき詩」かな。Mr.Childrenの」
 
音楽との関りが“聴く”ことであった岩堀さん。プレーヤーに転向するきっかけは訪れたのは中学3年生のときだと言う。

「高校に進学した時に、自己紹介で『ギターが趣味です』って言ったらモテるかなって思って、友だちがたまたまアコースティックギターをくれたんで、それで練習したみたいな。でも、高校ではスポーツ推薦で空手部に入部し、中学の卒業式の次の日から練習でした。なので、ほとんどギターを弾けなくなりましたが、そんな中でもギターを弾き続けていました。そして、高校卒業する頃に『ロックスターになろう』と思って、音楽の専門学校に入りました」
 
音楽の専門学校入学後は楽器店でアルバイトをしながらバンド活動、サポートでの演奏、レコーディングの活動を約10年続けた。岩堀さんは当時を「本当に全力で頑張ってました」と振り返る。しかし、気づけば30歳を迎えていた。

「何も考えずにやってて気づいたら30になっちゃうなって。めちゃくちゃ焦りまくってました。周りは結婚とかするじゃないですか。30でほぼ無職みたいな状態だから、やばいじゃんみたいな感じで。ちゃんと就職しようという風に思っていました」

ロックスターを夢見たこの10年は岩堀さんに何をもたらしたのだろうか。

「挫折をちゃんと味わえました。フラフラと生活して暗闇を彷徨っていて、もう絶対に戻りたくないんですけど。やっていることは他人からみたらしょうもないことなんです。でも、自分の中では一生懸命やっていたんですよ。20代で『ロックスターになれるわ』って自信満々。自分で好き勝手やってそれでいけるって思ってたんですけど、それが30代でその自信が根っこからボキっと折れたんで。それが良い経験になったと思いました。ロックスターも誰かの協力とか、いろんな支えがあってロックスターになる。独りでは生きていけないっていうのを本当にめちゃくちゃ痛感できたっていうのが良かったですね。10年かけて、でっかい失敗をひとつ手に入れた。そんな感じですかね」

ロックスターになれないという挫折を味わい、音楽の道を辞めようとしていたときに、講師として声が掛かり、岩堀さんは音楽講師として働き始めた。「こういう音楽の道もあるんだという風に感じた」と岩堀さんは言う。

「演奏するとか、曲を生み出すクリエイティブなことじゃなくて、楽器を使って楽しんでもらう、サービス業的な感じっていうんですかね。これはこれですごく楽しいなって。自分のできることで人が喜んでくれるっていうか。今までは、クリエイティブとかロックスターになりたいっていうのは“やりたいこと”だったんですけど、そうじゃなくて10年間で培ったものを使って“できること”がそこにあったんで。『自分、これできるんだな』っていうのが発見できてすごい楽しかったですね」
 
講師として2年間勤務した後、家族の事情により、講師の仕事から離れた岩堀さん。別の仕事をしていたが面白みを感じられず、元々興味のあったインテリア関係の仕事を探すも雇ってもらえずという時期を過ごした。そんなあるとき“独立して音楽教室を開く”という発想が岩堀さん降ってきた。

「ロックスターになるっていうときと同じ感覚で独立がパーンときて、そこから『動こう』と思って、その日から動き始めて1年ちょっと計画を立ててお金を貯めてという感じでしたね」

“任せたら任せ切る” 岩堀さんの経営思考

体験レッスンの問い合わせに対応する岩堀さん

岩堀さんは音楽教室開設に向けて動き始めた。飲食店でアルバイトをしながら開業資金を貯めた。そこで知り合ったお客さんからアドバイスを受けたり、自分で情報を集めて、日本政策金融公庫の融資獲得やレンタルスペースでの教室の試験運転を行い、準備を進めた。
現在の場所に音楽教室IROHAを構えて8年。この間、岩堀さんが病に倒れたり、新型コロナウイルス感染症の流行があったりと、教室の存続が危ぶまれる事態も経験した。それらを乗り越えてここまで続けられた理由を問うと

「今の教室の構造上、僕が企画とか、経営をやって、現場でレッスンしてくれているのは先生たちなんですよ。先生との連携をしっかり取るのが大事かなって思いますね。彼らを信用して、基本的に『お願いします』って言った後、ほぼノータッチなんですよ。彼らに任せるっていう。彼らしっかりやってくれるんで、それが多分、良かったのかな。あと、コンセプトを“怒らない”とか“ユルい”とか決めているので、それをしっかり一貫性を持たせることですかね。ルールと仕組みをちゃんと作って、それに沿ったやり方を皆でやる。それが一番なのかな。あとは、感謝ですかね。講師の皆さんには助けられているので、『助かってます』っていうのは伝えていますね」
と岩堀さんは答えた。

8周年を記念して作られたバッジ

8年間の経験の中で、今の現状に満足せずに、どんな問題が起きているのか気を張らせて解決をしながら、経営のやり方や考え方を変えてやってきた。これから変えようと思っていることは何かあるのだろうか。

「講師の皆さんが活躍できる場所をたくさん増やしたいっていうのはありますね。今まで教室をデカくすることとかに重きを置いていたんですけど、何か違うかなって。音楽家ってどうしても理解されないというか、『好きなことやってるだけじゃん』みたいに言われちゃって悔しい思いがあるんですよね。最近で言うと、『結婚したいんで教室辞めます。“ちゃんとした仕事に就いて”って向こうの両親に言われたんで』っていう風な相談を受けた時に、めちゃくちゃ悔しかったんですよね。『これ、ちゃんとした仕事とか、ちゃんとした収入得られる仕事じゃないと思われちゃってるんだな』みたいな。そういう音楽家の人たちが活躍できる場所を提供したいっていうのが、今、めちゃくちゃありますね」

やれることは“才能”。やれることに焦点を当てる

ロックスターを夢見た青年が、その夢破れて音楽講師の仕事と出会い、新たな音楽の道に楽しさを見出した。そして、楽器を使って音楽を楽しめる場所を提供すべく、自ら音楽教室を起ち上げて経営者として歩みを進めてきた。岩堀さんは自分自身の人生をどうとらえているのだろうか。

「やってみたいことは漠然とあるんですけど、結構、運命の流れに身を任せるじゃないですけど、とりあえず目の前のことに一生懸命になっておいて、流れ着いた場所に行ければいい、ぐらいなんですよね。『ここに絶対行くぞ』っていうと流れに逆らったように泳いじゃって、ちょっと疲れるじゃないですか。流れに任せて行き着いた場所に行ければいいかなぐらいですかね。やりたいことはあるんで一生懸命やりますけど、その流れに身を任せる。逆を言えば、流れに身を任せるんで目の前で起きたことを受け入れていくっていうことなんですけど。例えば、この教室が無くなっちゃいましたってなっても、それも受け入れるしかないなっていう感じなんです。だから、短期的な目標で『これをやる』って決めたら、その目標に全力注いで、その先は何があるか。目の前のことを一生懸命やっちゃえば、先はまた景色が変わってくると思うんで」
 
やりたいことをやってみたら、思い描いた理想や目標に辿り着けず、違うところに行き着く。理想や目標とのギャップに戸惑ったり、理想や目標への未練はないのか。そんな問いを投げかけてみた。

「バンドのときもそうですけど、『ロックスターになりたい』って“やりたいこと”があったんですけど、今、“やれること”に焦点を当ててやっているんで。それで世の中に役に立てているんであれば、やれることで生きていった方が良いかなっていう風に思ってますね。”やりたいこと”、”やれること”、”やらなきゃいけないこと”、3つがあると思うんですけど、それの重なり合うところをやるというか。でも、やっぱり、“やれること”と“やらなきゃいけないこと”に重点を置いていった方が良いのかなって思うんですよね。
やれることって才能だと思うんですよ。やりたいことって夢なんですけど、やれることは才能だと思うんで。そのやれることっていうのは自然に人が喜んでくれているとか、単純に自分がやったことで『ありがとう』って言ってもらえること。この教室を8年続けられているので、自分にとっては今、経営が“やれること”なのかもしれないなと思ってて。もうちょっと、こっちで頑張ってみようかなって思ってます。」
 
“やりたいことで生きていく”ということが謳われる世の中、やりたいことができないと自分の人生が充実しない。そう感じてしまいがちな状況があると思う。
しかし、岩堀さんの生き様、メッセージは、“やれること”に目を向けて自分の人生を輝かせる。そんな道筋があること示し、希望を与えてくれている。

音楽教室IROHA HP:https://iroha.yokohama/
音楽教室IROHA Instagram: iroha_yokohama
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