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“顔”のないコケピー #98話

チェンソーマン第二部の連載は既に始まっている。そしてなんと、第一部も初回無料で公開されているからすんごい太っ腹。やっぱりジャンプは子供の味方なんだなぁと思う(味方なのかな?)ただチェンソーマンが子供向けかどうかと聞かれたら……なんと言ったら良いんだろう。いや、でも最近の特撮アニメとか見ていても、これ小さい子供が観てるの!?と驚くくらいの内容だったのでストーリーは問題ないのかもしれない。ただ臓物は出てくるから注意してねとだけ先に伝えたい。

以下チェンソーマン99話までの感想、妄想などの箇条書き。ネタバレ含みますので『チェンソーマン』、『庭には二羽ニワトリがいた』を読んでいない方は読んでからお越しください。あと不快にさせると思います。ご了承下さい。






#98話  鳥と戦争

1、全体の感想


めっっっっちゃっくっちゃ楽しみにしていたチェンソーマン第二部がようやく始まった。日付変更の夜中に読むと眠れなくなること請け合いなので昼間に読む。まっっっっっじで面白かった。最っっっっっっっっっ高に面白かった。最高。
っていうか、デンジ登場しないのかよ!
デンジ登場してないのにこんなに面白い。このあとに登場するのまじでハードル高すぎないだろうか。既に主役の座を奪われている。
第一部でマキマさんを喪ったものの、それでもデンジのごとく“俺の心はマキマさんだけのモンだ”状態だった我々(我々?)であったが
三鷹アサの登場により、もう三鷹アサがメインで問題ないっす!よろしくなぁ!!!という心境になってしまった。畜生。

2、細かい感想


第二部はコケピーの自己紹介からはじまる。98話はオマージュのオンパレードらしく、タコピー、100日後に死ぬワニ、ボボボーボボーボボ、仮面ライダーオーズなどなどいろんな人の「これはこれのオマージュで…」とかいう考察を読んでへぇ~~~~~~~~~~~ってなった。面白いなぁ。
セルフオマージュも組み込まれていることは言うまでもないが個人的にはコケピーをみたとき、藤本タツキ氏の短編の『庭には二羽ニワトリがいた』が真っ先に思い浮かんだ。『庭には二羽~』では“顔”の見た目が重要だったのだが、コケピーには顔がない。カオのないチキン。

これは後で思ったんだけど、
田中先生が言う「命の大切さを知って欲しいんだ」という、
これまでの第一部からのストーリーのギャップに、学校編どうなっちゃうんだ!?と本来だったら思ったかもしれない。だけどジャンププラスで『ルックバック』『さよなら絵梨』『フツーに聞いてくれ』の学校三部作(勝手に命名)を事前に読んでいたからギャップを感じずにすんなり第二部を読めてしまったというか。こういう、読者の受け入れ態勢を事前に準備してしまう作者の手際の良さ?あるいは作為のない天然の天才なのかわからないけど、掌の上で転がされてる感ハンパないな、と思いました。もしかしたら完璧なフィクションというのはそういうことなのかもしれない。ひぃ…。

で、アサの、日常を冷めた俯瞰で見る感じがめちゃくちゃ共感出来てしまってガッツリ心を持っていかれてしまった。そして美人。こんな高校生おらんで。アサが学校の屋上?でパンを食べてるコマが凄く好き。ここ1巻のデンジと同じで凄く良い。
アサは世の中の目に見えるもの全部が気に入らないんだよな、わかるよ……。
コケピーを殺す殺さないの場面からみんなでサッカーやろうぜ、の流れはなんかよくわからないけど気持ち悪かった。あと田中先生はいろんな意味で気持ち悪い(酷い)

そしてコケピーはアサがコケてその下敷きになって死にました。ダジャレかよ。
ここ、アサの覚醒とコケピーの死で展開がいろいろ急すぎるし、衝撃的で何度も読んでしまう。アサはどうしてみんなとサッカーやろう、って思えたんだろうか。
みんなと仲良くなろうと思った瞬間日常がぶっ壊れる展開が辛すぎる。
委員長が墓参りすれば「コケピーも許してくれる」と言ったが、どちらかというとアサはクラスメイトに許してもらわなきゃ学校に行けないだろう。
委員長は正義の悪魔と契約していて、アサの顔を引き裂く。ここグロい。アサはコケピーを殺してしまった罪悪感で落ち込んでいるのに委員長からも恨まれ、そして殺されてしまった。
アサは眼球で鳥の姿を見る。チェンソーマン第1話のごとく悪魔が命を繋ぐ展開、本当に良い。復活したと思ったら田中脊髄剣て…笑 まさに骨抜き…ダジャレかよ。
“田中脊髄剣”っていうワードが3日くらい頭から離れなかったです、ほんとに。「なんだテメェだぁ~?!」ってアサが言うコマが爽快過ぎて最高に良い。
そんで「よし、ハッピーエンドだな」と言って爆発するところも良かった。お前らのハッピーエンドなんかクソ喰らえだ。
戦争の悪魔はチェンソーマンを探しているらしい、とわかったところで98話終了。
………最初にも書いたけどすっっごく面白かったです。


3、妄想考察など



3ー1、「鳥と戦争」「犬とチェンソー」


まず「鳥と戦争」というタイトルが1話の「犬とチェンソー」に掛かっていて良い。“戦争”と“チェンソー”って音が似ているんだなぁ。
“犬”は英語で“Dog”であり、これを逆さに表記すると“God”つまり“神”になることから”犬“は“神”の隠語なんだとか。
じゃあ“鳥”はなにかあるんだろうかと調べてみたけど全然わからなかった。が、既に読者から指摘されているように鳥の後ろには「アンク」と描かれており、“生命”、“生きること”を意味するらしい。つまり98話では“戦争の悪魔”は“生きること”の意味を持つということになる。戦争(死)によって我々は生きていること(命の大切さ)を実感するように、“戦争と生きること”は隣り合わせである。うわ…めちゃくちゃ炎上しそうな案件だな…。
これについてはまたあとで。

「犬とチェンソー、鳥と戦争」の話に戻る。
“鳥”とはコケピー、戦争の悪魔のことだ。アサの名前が「三鷹」なので“鳥”にはアサも含まれている。
これは1話も同じで、犬はポチタ、デンジのことだ。そしてマキマも「キミ、変わった匂いがするね」と、嗅覚でかぎ分けていることからマキマも“犬”として描かれている。

そしてマキマがデンジに「キミは何もわかってないのに…チェンソーマンに“選ばれた”」と言っていることから、
アサが戦争の悪魔に乗っ取られたのは偶然ではなく“選ばれた”ということも考えられるだろう。

アサは特別な人間だったのだろうか?
『チェンソーマン』では“チェンソーマンに食べられた悪魔はその存在も名前も消える”という世界である。クラスの誰からも名前を覚えてもらえなかったアサだったが、コケピーと委員長と田中先生だけはアサの名前を覚えていた。コケピーも委員長も“悪魔”だったから覚えていたとしたらどうだろう。(田中先生は生徒喰ってるので悪魔確定です、ハイ)戦争の悪魔もチェンソーマンが食べた“核兵器”を覚えていた。人間が知らない名前を悪魔だけは覚えている可能性がある。三鷹アサは悪魔である可能性もゼロではないかもしれない。……………………………そんなことある?????????

3ー2、アサと委員長の“正義”


委員長は正義の悪魔と契約していた。が、どちらかというと夜中の赤信号でも渡らないアサのほうが規則に正しく、”正義”という感じがする。そもそもアサは悪魔を嫌っていたし、飲酒運転した市長や違法建築に憤りを感じていた。この憤りはアサの“正義感”から来るものではないだろうか。
さらに委員長はハッピーエンドを迎える方法として「お前が死ねばいいんだ」と結論しており、
これはアサが心の中でカップルに対して「死ね」と思っていたり、「コケピーもチェンソーマンも早く死なないかな」と言っていた部分と重なる。つまり“正義の悪魔”とは相手の“死”でしか打開策を見いだせない、歪んだ正義のことではないだろうか。そしてこの“歪んだ正義”は人を殺すことで解決しようとする“戦争”と同義なのではないろうか。戦争の悪魔は“死”によって(戦争の悪魔にとっての)ハッピーエンドを迎えている。“正義”と”戦争”はとてもよく似ている。
委員長と三鷹アサは真逆のようで実はイコールに近い存在なのだ。
ふたりの“歪んだ正義”はどこからやってくるのかと言えば、アサが悟ったように“嫉妬”によるものである。
委員長は田中先生がアサを好きであることに嫉妬し、
アサは人気者のコケピーとチェンソーマンに嫉妬して「死ねばいいのに」と言っていた。アサがその“嫉妬”を克服したのが、コケピーがアサの名前を呼ぶシーンではないだろうか。

3ー3、”演技”は世の中で生きていくための”顔”


最初の方にも書いたがコケピーには”顔”がない。
藤本タツキ氏の短編、『庭には二羽ニワトリがいた』では“顔”がとても重要なキーワードだった。
地球に宇宙人が住み着き、その宇宙人は“顔”で食べられる生物かそうでない生物かを識別している。
そして顔を隠すため、ニワトリの被り物をした宇宙人はニワトリの演技をし、地球人のアミの前では人間の演技をしていた。

どんな言葉を発するか、どんな表情をするか、その状況によって本音を抑え込み、演技をするのが人間である。そうでないと世間という集団には馴染めないから。そうやって人はいくつかの“顔”を持っている。

委員長はアサと仲良くなりたそうにしていたがそれは演技で、本当はアサに嫉妬し、死んで欲しいと思っていたし、
田中先生は本当はアサが好きなのに委員長とほにゃららしていた。

アサは“演技”とは無縁に思える。これは“顔”を持たないコケピーと重なる部分がある。

アサは世間に悪態をついている。学校の屋上で委員長にその本音を語っていたし、クラスメイトからは「怖っ」と言われていた。先生にも「勉強しに学校来てるので」とかなり素っ気ない。演技をしないアサは孤立していた。
ただ委員長にしてみると“正論を言っていつもいつも良い子ちゃんぶってる”と思われていたようだ。(“正義”は集団を作るのが得意だが、同時に孤立を生むのかもしれない)

アサが「みんなが羨ましかったんだ」と気づいた瞬間、アサは孤立をやめ、集団に入ろうとする。このシーンはアサが“演技する”という社会集団に入ることを良しとした瞬間なのではないだろうか。これまでアサのクラスメイト(委員長筆頭とした演技をする集団)は演技をしないアサを認知しようとしなかった(むしろ委員長は名前を覚えることこそ演技だったし、最後までアサを認めなかった)
アサがコケピーに”認知”(名前を呼ばれた)されることは、アサが“顔”を獲得したことを意味する。集団に入ろうとした瞬間、“顔”を持たないコケピー(演技をしないアサ)が死んだのがその象徴ではないだろうか。しかしクラスメイトからコケピーを殺したと避難され、コケピーの死と同時にアサは社会的な死を迎えた。アサが髪をふたつ縛りにしているのはコケピーの羽を模しているのかもしれない。

ちょっとだけ99話のネタバレをしてしまうが、
戦争の悪魔は思ったことをすぐに言ってしまうタイプで、“演技”とは無縁の性格をしている。この戦争の悪魔が98話のアサ(演技をしないアサ)を肯定するかのように“復活”させたのは個人的にかなり胸熱だった。
…鳥を殺したアサが鳥によって復活するというね…。

戦争の悪魔が「なんだテメェだぁ~?!」と言うシーンは本当に爽快で、心の中でいつも悪態をついていたアサが表面に出てきたみたいで凄く好きなシーンだ。
委員長がアサの“顔”を切り刻んだのは本音を抑え込んでいる顔の皮を破ったようにも思える。
委員長にしてみればアサのことを“いい子ちゃんぶっている”(演技をしている)と思い込んでいたからその化けの皮を剥いでやろうと思ったのかもしれない。



チェンソーマン第二部、本当に凄い始まりだったと思う。
また気づいたことがあったら加筆します。


だらだら書きましたがお読みいただきありがとうございました。









文章にするのに時間がかかるので更新は遅くなると思うけど今後もざっくり感想、考察をしていく予定。





















note更新の活力にします‼️