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『古事記』は“にわか”だけど、『鬼滅の刃』との関係性についてほんのちょっとだけ語らせてくれ

鬼滅の刃は古事記と関連があるというのは有名な話ですよね。

ネットで「鬼滅の刃 古事記」で検索するとたくさんの記事が出てきて、古事記の知識がなくても読んでいて楽しいです。

こんなに多くの考察が飛び交うのは鬼滅の刃1巻の大正コソコソ噂話にてタイトル候補として「鬼狩りカグツチ」「炭のカグツチ」が出てきたことから「古事記」との関連がほのめかされているからでしょう。

(この「大正コソコソ噂話」というミニコーナーのタイトルも個人的には大変感心してしまうのですが、長くなりそうなので省きます)

個人的には古事記がめちゃくちゃ苦手です。
手始めにWikipediaを見ても名前が覚えられないし相関図すら理解不能。
ぼくの場合、古事記を頭に入れるには人生が足りないと思いました()
でも知りたい気持ちはあるのでちょっとずつ頭に叩き込もうと思っています。

古事記については簡単なあらすじ程度しか知らないのにおこがましいですが、その世界観と鬼滅の刃の世界観の関連について少し語らせてください。

古事記の世界観

古事記には「神の物語」いわゆる「神話」が書かれています。
神の事ばかりで、人間のことは書かれていないっぽいですね。(たぶん)
古事記によれば世界はざっくりいうと「神の世界」「人間の世界」「死の世界」の3つに分かれています
神は子供を川に流したり、兄弟を殺したり、かなりドロドロしています。
というか、古事記の世界では神って殺そうと思えば殺せるということです
そしてどういういきさつかわかりませんが、人間の世界に神が降臨し、それが天皇になったということらしいです。
神だからと言って死なないわけではなく、天皇も人間と同じように寿命で死にます。
天皇中心の国家体制を作るために編纂されたともいわれていますが、古事記が書かれた理由ははっきりわかっていないみたいです。
古事記は「神の世界」を主体として書かれているので、鬼滅の刃で描かれている「人間の世界」とは少しズレるなぁという印象でした。

しかし子供を殺したり兄弟を殺すという「家族すら殺してしまう」という点は鬼滅の刃の「鬼」と似ています

鬼殺隊の柱と呼ばれる人たちは神の数え方が「柱」であることから「鬼殺隊の柱=神」と解釈してよいと思うのですが、「人間の世界に神が存在する」という意味では「神道」のほうが鬼滅の刃の世界観と近い気がします。
ので少し神道を調べてみました。

神道の世界観

個人的に「人間の世界に神が存在する」というキーワードで思い浮かぶのは「八百万の神」です。
日本人にとって「神」は身近な存在で、太陽や月、植物や獣に至るまで、「自然に神が宿っている」という信仰がありました。
古事記と神道は一応繋がりはあるみたいです。

神道と古事記の関係

神道についてWikipediaから引用します。

神道には確定した教祖、創始者がおらず、キリスト教の聖書、イスラム教のコーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないとされるが、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『先代旧事本紀』『宣命』といった「神典」と称される古典群が神道の聖典とされている。

つまり神道は「神典(古事記を含むその他の書物)」をもとにして確立されていった信仰だということでしょう。
神道では人間が神になったりします。徳川家康は日光東照宮という神社で神として祀られています。他にも「菅原道真」や「平将門」など神格化された人間は多数いるようです。
日本人の感覚としては、人間も神と成り得るんですね。

それからちょっと面白い用語を発見しました。民俗学で「まれびと」と呼ばれる人がいたことが折口信夫によって発見されたそうです。

民俗学とは庶民間の信仰や迷信などを研究する学問ですが、詳しくはネットで検索してみてください。
(民俗学は「信仰」も対象としていることから、古事記と神道とも繋がりがあると思われます)

「まれびと」というとなんだか「稀血」と関連がありそうですが…。

「まれびと」Wikipediaから引用

外部からの来訪者(異人、まれびと)に宿舎や食事を提供して歓待する風習は、各地で普遍的にみられる。その理由は経済的、優生学的なものが含まれるが、この風習の根底に異人を異界からの神とする「まれびと信仰」が存在するといわれる。
「まれびと」の称は1929年(昭和4年)、民俗学者の折口信夫によって提示された。彼は「客人」を「まれびと」と訓じて、それが本来、神と同義語であり、その神は常世の国から来訪することなどを現存する民間伝承や記紀の記述から推定した。

「血」と「まれびと」は関係がなさそうですね。
「まれびと」は「神」ということでしょうか。

「まれびと(神)」が来たら宿舎や食事を提供するなんて、宿や食事を用意してくれる藤の花の家紋の家みたいじゃないですか。




そして常世とはなんでしょうか?

「常世」Wikipediaから引用↓

折口信夫の論文『妣が国へ・常世へ』(1920年に発表)以降、特に「常世」と言った場合、海の彼方・または海中にあるとされる理想郷であり、マレビトの来訪によって富や知識、命や長寿や不老不死がもたらされる『異郷』であると定義されている。

常世とは理想郷のことのようです。
鬼滅の刃でいえば、「お館様の屋敷」「蝶屋敷」「刀鍛冶の村」といったところでしょうか。人から隠されているという意味では古事記で言うところの「神の世界」のニュアンスに近い気がします。

鬼滅の刃の世界観

これまでの通り、古事記や神道の世界観に基づくと「人間の世界にも神は存在する」ようです。

個人的には禰豆子は「山の神」ではないかと推察しています。
山の神は女性で、醜女(しこめ)と呼ばれていたそうなので。あと伊之助も山の神かもしれません。(これについてはまたの機会に)

そして、鬼舞辻無惨も神として描かれているという考察はネットで検索するとすぐに出てきますよね。

個人的にも鬼舞辻は「神」として描かれていると思っています。
「人間の世界の神」(まれびとや八百万)ではなく、「神の世界」の神という感じがしますね。鬼舞辻は常軌を逸してます。

古事記では、例えばスサノオという神は「母に会いたいと駄々をこねて泣きわめき、川や海や山が枯れてしまい、そのためにもののけ(鬼)が増えて疫病が流行り、人間の世界を荒らした」、「ウケヒを終えると大暴れし、田んぼの水路や作物を荒らした」とあります。(スサノオが鬼舞辻だと言いたい訳ではなく、あくまで例として挙げさせていただきます)
つまり人間の世界の山や川が枯れるなどの「天災」も「疫病」も神によって引き起こされているということです。

神だからと言って「聖人君子」とは限らず、嫌な性格の神が出てくるんですよね…。

16巻で産屋敷耀哉が鬼舞辻無惨に「君が死ねば全ての鬼が滅ぶんだろう?」と言うように、鬼舞辻(神)が滅べば、神によって引き起こされていた「天災」も「疫病」も消えるということになります。

「疫病と鬼滅の刃」については既に様々な考察がありますが、「天災と鬼滅の刃」は関係ないのでは?と思ったかたもいらっしゃるかもしれません。
しかし21巻で鬼舞辻はこうも言っています。

「私に殺されることは大災に遭ったのと同じだと思え」

鬼舞辻が山の噴火や天変地異を引き起こす描写はないので鬼舞辻と「天災」は実際関係ありません。
しかし炭治郎の家族や、鬼殺隊の隊士たちの大切な人が無差別に、悪いことをしたわけでもないのに、ある日突然なんの前触れもなく死んでしまうという現象はまるで「天災」です。

そしてさらに鬼舞辻はこう続けます。

雨が風が山の噴火が大地の揺れがどれだけ人を殺そうとも天変地異に復讐しようという者はいない(略)鬼狩りは異常者の集まりだ」

古来より日本人はどれだけ疫病が蔓延しようとも、天変地異が起きようとも、神を崇め、祀ることで鎮めようとしてきました。
大災を引き起こす原因である神に「復讐」しようとする者はいません。神には誰も逆らわないのです。
だから鬼舞辻は神に逆らおうとする鬼殺隊を「異常者の集まりだ」と言うのでしょう。

鬼滅の刃の世界観は古事記の世界観にそのまま当てはまるような気がします。

以下、最終回に関連する事柄も含みますので最終回をまだ読んでいない方は、読んだあとに、よろしければお越しください。

まとめ

これだけ古事記や神道の話をすると、宗教っぽくて嫌だと思う方もいるかもしれません。しかし鬼滅の刃は信仰を諭す物語ではないと思います。
「地獄」や「輪廻転生」という言葉も出てきますが、これらは物語の性質上そうせざるを得ない、という感じを受けます。(これについては長くなるので省きます)

古事記や神道の伝承が深く関わってはいますが、鬼滅の刃はその「“神という恐怖”を断ち切った物語」でもあると思います。
「信仰」は同時に「恐怖」の現れでもあります。
神に対する信仰は天災や疫病という「恐怖」によって庶民が縛り付けられてきた結果です。
那田蜘蛛山編で登場した下弦の伍の累の言う「恐怖の絆」みたいです。

昔は現代のように科学が発達しているわけではないのでわけもわからず神を崇めるのも無理はないですが、例えば神の怒りを鎮めるための「生け贄」は最も最悪な例ではないでしょうか。

現代となれば病気はもののけの仕業ではなく遺伝子や生活習慣の問題ですし、地震は神の怒りではなく地球の胎動です。

そして鬼滅の刃が大正時代を舞台にしていることは重要なポイントです。


科学や医学の発達、新聞による情報の獲得など近代化によって「神への恐怖」はやがて消えていきます。

「神への恐怖を断ち切る」というより最終的に「古事記」をバッサリ斬ったとも思えますね。輪廻転生は古事記だけの概念ではなく世界各所に共通する概念らしいです。

おわり

今回はあくまで古事記をテーマにした世界観について、でした。


「炭治郎の世界観としての鬼滅の刃」は全く別物になるので今後機会があったらそちらで書きたいと思います。

結局だらだら長くなってしまいました。

最終的に言いたいのは鬼滅の刃は凄いということですね、いやもう本当に凄いと思います。
本当に。

note更新の活力にします‼️