見出し画像

僕の習慣〜思考編〜

こんにちは。工藤悠也です。

昨日、
#習慣にしていること
の企画で、「僕の習慣〜行動編〜」をお届けしました。

今日は、思考編です。

大事にしている考え方で、ふとした時に思い出して改めるようにしてます。

1:課題の分離

自分がどうにかできる課題と、自分にはどうにもできない他者がどうにかする課題をちゃんと区別して考えよう。というものです。

「課題の分離」というワードはアドラー心理学から引用しています。

自分にはどうにもならない課題なのに、それをどうにかしようと奮闘するのは不毛な努力。

雨が降ってほしくて、炎天下の中雨乞いをずっとやってて、熱中症で倒れるようなものです。

他者がどう行動するのか、どんな発言をするのか、どんな評価をするのかは、自分の課題ではなく相手の課題なので、どうにもできない。

自分にできることは精一杯目の前のやるべき行動を愚直に実施していくことだけ。

他人の評価を期待せず、やるべきことをやる。

自分の課題と他人の課題をちゃんと区別して捉える。という考え方です。

2:自分で自分を認める

1番からの流れを受けます。

他人が自分のことを評価し、承認してくれるかどうかは他人の課題であって、自分の課題ではないので、それを心の拠り所にしてしまうと、他人に依存してしまうことになります。

すなわち、承認欲求を求めることは他者依存になることで、自分の人生ではなく、他人から期待される、他人にとって心地よい人生を歩む思考になる気がしています。

なので、他人から認められることを至上命題にすることはNG。

とはいっても今の自分を認めてほしい気持ちはあります。

他人依存がだめだったら、自分で自分を認めれば良いかと。

自分で、自分の行為であったり、存在自体を承認して認めることで、十分だなあと考えるようにしています。

非凡な天才であったり、大きな仕事を成し遂げる偉人であったり、多くの人から称賛され憧れられるような、特別な存在ではなく、ごく平凡な自分自身を”それでも大丈夫だよ”と無条件で自分で認めてあげる心持ちを持つようにしています。

ひどいことを言われたり、他人から良い評価を貰わなかったとしても、それは他人の課題で自分でどうにかできることではないし、あなたが僕のことをどう評価しようが、僕は僕自身で自分を評価しているから大丈夫だよ。という柔軟な捉え方をするようにしています。

3:自分は遺伝子の乗り物に過ぎない

最後に、結構強烈だと思うのですが、2番の「ごく平凡な自分自身を、”それでも大丈夫だよ”と無条件に承認してあげる」という考え方を支える論理だと思っています。

我々は宇宙の中にたまたま生まれた生命の惑星、地球に誕生したホモ属のサピエンスという種の生物です。

不思議ですね。なんで生物っているのでしょうか。。

ま、それは謎ですが、生物の本質的なゴールは自分遺伝子を後世に残すことです。

いかに遺伝子を後世に残しやすいか?確率が上がるか?という観点でここまで生命は進化してきました。

ホモ・サピエンスとしても、根本的には生物として一緒なので、自分の遺伝子を後世に残すことが最大の目的です。

僕たちはこの数千万年〜数億年以上にも渡る生命の神秘の文脈の中の100年という刹那の瞬間を生きている遺伝子の乗り物に過ぎないわけです。

仕事をしてお金を沢山稼ぐことやSNSでたくさんフォロワーを集めることを目的に生物はデザインされていません。

遺伝子を残せるかどうかが基本的な論点。

※なお、進化心理学の一部の学者に言わせると、
「芸術も文明も全ては男が女にモテて、YESをもらうための試行錯誤の結果生まれたものに過ぎない」とのことです。

ですが、農耕革命や産業革命により人口爆発し、もはや安定的にホモ・サピエンスは遺伝子を後世に残していける文明ができあがったので、個人的には、遺伝子を残すことを至上命題として捉えなくても良いなと思っています。

子供を作りたいとか作りたくないとかそういう個人的な話はおいておき、別に自分自身が遺伝子を後世に残すことさえできれば生物として目標達成じゃ〜!それ以外は不要だ〜!というわけではないなと。

となると、至上命題として掲げられていた「遺伝子を後世に残す」は別にどうでも良い命題に格下げされます。

結果、(個人の意見ですが)生きる意味とか人生の目的とか、そんなものは実際には存在していなくて、個人個人の主観に基づく幻想なんだろうなと。

僕としては、刹那の100年を好きなように生きてれば十分じゃないか。
というのが結論です。

そして、この結論の前提に立っているの僕の人生テーマは
「好奇心を大切に、生産的に人生を謳歌する」
というものになっています。

生きてるだけでOK。

「自分が何をしたのか?」「しようとしているのか?」
という行為ではなく、
「自分は生きている」
という存在があることだけでOK。

この論理を持っていることで、「ごく平凡な自分自身を、”それでも大丈夫だよ”と無条件に承認してあげる」ということができるようになるなーと思います。

自分だけじゃなくて、他人に対しても、誰がどんな行為をしたのか/どんな行為をしていないのか。という行為レベルではなく、存在していること自体を認めてあげることで、優しく接することができるなと感じています。

うぎゃー。長くなっちゃいましたね。

ということで、僕が習慣的に心がけている思考は、
1:課題の分離
2:自分で自分を認める
3:自分は遺伝子の乗り物に過ぎないと考える

の3つでした。

明日は、仕事編でまとめてみようかなぁ。。

では、また。

▼このあたりの本を読んでました。おすすめ。


この記事が参加している募集

#自己紹介

231,241件

#習慣にしていること

130,786件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?