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22.がんでお悩みの方へ綴る《言霊1》

言靈:ことだま
古代では名は体を表し、言葉はそのものの真の姿を表していたといいます。名を汚されることを現代人でも侮辱と捉える方は少なからずいらっしゃるかと。少し前の時代では成長に合わせて名を変えていくことが普通でした。例えば、徳川家康←元康←元信←竹千代、こんな感じです。落語界や歌舞伎界などでも格が上がると名が変わっていきます。同じ名を継ぐ家もあったりします。

襲名:しゅうめい
名がその人を襲う!? 凄い漢字です。襲名披露で会が催されるほどの一大イベントは伝統の重さを感じさせる単語です。その重みを背負えるだけの稽古を積み重ね、名乗るのにふさわしい品格を身につけなければならない、ということでしょう。

で、言靈。これは名ばかりではありません。言葉が持つエネルギーのすさまじさを知っておいた方が良いと思うので、ここに綴ろうと想います。これはイジメ問題にも繋がるので小学校の授業にも取り入れるべき案件であり、子育てに取り入れることも大切なことです。どのような想いで、どのような言葉を発するのか。それが重要です。

キネシオロジーとか、O-リングとか、聞いたことはありますか? どなたにでも筋肉反射を用いたテストが簡単にできます。これは心身が受けた影響を神経伝達と筋肉の強弱で状況を反映させる方法です。

色々なやり方がありますが、要は筋肉の強弱が分かれば良いのです。例えば片腕でも両腕でも前に真っ直ぐ出して、実験者がその腕を上から押されても下がらないように被験者は耐えます。あるいは、両腕を前で軽く組んで浮かせ、それを実験者が前から両肘を下げる力に耐える。あるいは、両手で拳を作り胸の前で上下に離れないようにグッとくっつけ、実験者が上下に拳を開く力に抗い、拳をくっつけようと耐える。この時の筋肉の力の入り具合を実験者が確認し、被験者は体感します。
*O-リングは指を使いますが文字では伝えがたいので省略します。

被験者に「もう私はだめだ」と声に出して頂き、筋力テストを行います。次に「私は問題なく大丈夫だ」と声を発して筋力テストを行うと、如実に差が出ます。この筋力の感覚は実験者も被験者も明らかに分かるレベルです。ネガディブな発言をすると神経伝達が滞り、筋力が下がります。

なんでしたら、被験者に先の言葉を口に出さず、脳内で繰り返し唱えて頂きながら実験者が筋力テストを行っても同じ結果になります。

更には、舞台に被験者を1人立たせ、被験者に見えないように実験者が「お前はもう駄目だ」と「貴方は絶対に大丈夫だ」と書かれたボードのどちらかを参加者10数名に見せ、その文字を被験者に対して口に出さず一斉に念じてもらうだけで筋力テストに差がでます。何時、何処で、何度やっても、同じ結果になるので事実認定しております。

こんな簡単な実験により、被験者の筋力に差が出るということは何を意味しているのかです。念じるだけで被験者の筋力に差が出てしまうということは、悪口やネガディブな言葉を面と向かって言ってしまうと、その負のエネルギーを相手は直に喰らうということです。有名なアニメの登場人物にも術として使う方がいますね。

また、誰か特定の1人に対して数人が陰口を言うと、そのエネルギーは特定の1人に向かうでしょう。言い方が悪いかもしれませんが、これを呪いと言うこともできます。

そんな負の言靈を医者は患者さんやご家族へ何の悪意もなく言い放つことがしばしばあります。例えば、余命半年です。とか。再発は免れません。とか。もう出来ることはありません。とか。あなたの病気は難病で絶対に治りません。とか。生涯薬が必要です。とか。通院する度に言われる負の言葉に疲れ切って通院したくないとおっしゃる患者さんは数多くおります。
*逆に「大丈夫ですよ」と言われると妙に安心したりもします。

特にがん患者さんへ医者はなぜポジティブな言葉をは伝えられないかの理由は以前より書き続けていることですが、現代医学に治癒させる術が無いからです。無いから大丈夫だとは言えない。良くて「変わりない」かな。また、医者自身の身を守る為に起こりえる合併症や副作用を全て伝えて記録する、ということもあります。訴訟対策ですね。言った言わないを避けるために、可能な限り伝え尽くし、記録する。

医者に対する権威感や信頼感はまだまだ大きいです。そんな信頼度の高い人の口から超ネガディブな言葉を浴びせかけられるエネルギーたるや、かなりの衝撃でしょう。時には頭の中を「もうだめだ」が延々とリフレインしてしまいます。

その人はどうなります?
筋反射は低下して神経伝達が滞り続ける ってえ話です。
要は、その人の健康度に影響してしまう可能性があると。

ですから、どのような想いを持って相手に言葉を投げかけるのかは大きな問題なのです。世間でよく起こる学校や職場におけるイジメ問題は物理的攻撃も加わり、もの凄いエネルギーとなってその人を覆い尽くします。SNSは不特定多数の歯に衣着せぬ膨大な念を心に喰らいます。時には人が死にたくなるほどのエネルギーとなって。

それが言靈であり、念であり、想いでもある。時には応援にもなるし、呪いにもなり得ます。という訳で、医者の放つ言葉の責任は思いのほか大きい、というお話です。しかし、悪意なく放たれる言葉なので、患者さんの心構えとして言葉の受け取り方を工夫しなければなりません。私も無意識で放つ言葉にショックを与えることがあるので、都度反省の日々です。

つづく・・・

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