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臨床/研究

職業としての「仕事」をざっくり二つに分けるなら、「臨床(的)」と「研究(的)」(註1)に集約できる。患者を診るお医者さんと、患者は診ないけどいろいろ研究している先生の働く姿は、容易に想像できると思う。

で、「臨床」医が研究をしないかというと決してそんなことはない。単に、お給金をいただく仕事としてそれを専業でやっている訳ではありません。という話で。同様に、コピーライターや日本語教師が日本語の研究をまったくやらないかというと、決してそんなことはない。

更に枠を拡げて見てみると、どっちかというと臨床の仕事だけど、まあ研究(とか練習とか関連する日頃の鍛錬とか)もある程度やってますね。みたいな人は多い。と言うより、働く人の大部分はそんな感じなんじゃないか。少なくとも「臨床」職に対して「研究」が禁止されているといった状況には、たぶん今のところない。

ところで、もし「正しい日本語」なんてものがあるとしたら、コピーライターは、日本語教師は、その「正しさ」について、どのような見解を持っているのか。あるいは、職業的にどんな感じで折り合いをつけているのか。

そのへんは人によるので一概にこうだとは言えないが、総じてコピーライターの方が、この問題に対する関心は薄いようだ。職業コピーライターにとって、自分の書いたコピーが日本語的に正しいか正しくないかより、効果のあるなし、案件ごとに求められる機能を果たしているかいないかの方に関心があるのだから、当然と言えば当然。

日本語教師の場合はどうか。ネット上で_たぶんtwitterだったと思う_ありがちな両極端のタイプを戯画的にまとめた書き込みを見たことがある。元の書き込みとかなり違うかも知れないが要約すると、

(1)日本語の正しさにこだわるタイプは、正しい日本語を教授したいと思うあまり些細な揚げ足取りが増え、結果的に面倒な「言語警察」みたいなことになってしまいがち。

(2)日本語運用の多様性を認めるタイプは、それもこれも日本語が変化していく過程で生まれたものなので全部正しい→何でもOKてなことになり、結果的に日本語学習者更には日本語そのものを混乱させてしまいがち。

自分はどうか。たぶん後者寄りな気がする。もちろん、それ検定試験では×です。ぐらいのことは言いますが。確かに、前者の方が学習者の混乱は少なく、学習効率も上がるように思うので、割と悩ましいところではあります。

なんか、いきなり難しい問題に入ってしまったので、とりあえず、今日のところは答えを出さずそのまま置いとくことに。

(2021年10月15日)



註:「臨床(的)」と「研究(的)」

「パロール」と「ラング」になぞらえてみることもできる。「臨床」の反対は「基礎」であり、「臨床研究」「基礎研究」といった用例もある。といった反論があり得ることは承知の上で、私は上記の語彙をざっくりというか「ラング的に卒なく」ではなく、「パロールとしてこりゃええわ」ぐらいの感じで使ってみた。このように、大概の人間が一見正反対と思えるようなことを平然と両方行っている事実を観察した上で、分断(またはそれを煽る論理)たらの真実たらを冷静に眺めてみる態度を推奨したい。


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