ギリシャのストリートで三味線を弾いたら(前編)
(7〜10の日本語のまとめです)
■日本語まとめ
https://note.com/shamisenist_jp/m/mbbc9df938c80
■1〜6 Greece with friend https://note.com/shamisenist_jp/m/m5fdccc1b021f
■7〜15 Street shamisen in Athens
https://note.com/shamisenist_jp/m/mee7a8335b519
■16〜20 Paris
https://note.com/shamisenist_jp/m/mdc3fee7a0cb4
とりあえず次に住む場所もなく、どこの国をまわるかの検討もついていない状態で最後の宿をチェックアウトした。
そのままロビーで次のAirbnbをとり、ロンドンにいる友達に連絡し、その日の宿になんとか午後に向かった。
到着するとビルや廊下は真っ暗で心配になったが、部屋の中は綺麗だった。
まずは洗濯が全然できていなかったのでクリーニング店を探して向かった。
入ってみるとギリシャのグランマのようなおばあちゃんがにこにこ預かってくれて、クリーニングの間爪切りや食べ物を買ってから受け取りに行く。
おばあちゃんがふかふかのいい匂いにして丁寧に畳んでくれた洗濯物には幸福感が漂っていて、ありがとうグランマ!とお会計をした。
カードが使えると言っていたがおばあちゃんのため機械に弱く、全くカード決済ができない。現金30ユーロのうち10ユーロを使った。
部屋に戻り荷物を整理し、とりあえずパルテノン神殿で三味線を弾こうということだけは決めていたので三味線のメンテナンスをした。
部屋のテレビのYoutubeでは大音量で師匠の動画を流して過ごした。あの部屋のギリシャ語のYoutubeで師匠や高橋竹山を流すのは歴代の客でわたしが初めてだったに違いない。
次の日、とりあえず三味線を持って出かけた。もともとここがいいなーと思っていたパルテノンのスポットに座って、とりあえずコーヒーを飲んで優雅に過ごしていた。
三味線の練習もなかなかできていなく、そもそも路上で弾くのは初めてで、そこで弾いていいのかもわからないしふむ…と思っていたらあやしげなおじさんにHi!と声をかけられた。
人通りがとても多い場所でもあるので世間話をして、
オモニアという駅の近くのホテルにいると言ったら
「あそこは治安が悪いから気をつけろよ」
と言われた。
この怪しいおじさんが危ないというところで爆音で竹山の三味線を流しているわたしって一体…と我ながら思った。
アーティスト?と言われて、路上で弾くの初めてなんだよねと言ったら
「Don’t worry, be happy! Today is beautiful day, you can do it.」
とにこにこしてくれた。そしてがんばれ!と言って弾いてもいないのにチップを置いていってくれた。
怪しいことには変わりないが怪しいとか思ってごめんねと心の中で思った。
どうせ三味線は毎日練習しなきゃいけないし失うものは何もない。
それに弾き始めると自分一人だけの世界に入りこめる楽器なので、もういつもの練習をただしようと思って弾き始めた。
とりあえず弾いていたのは弥三郎節である。
Youtubeを開いた時に、ぜひ検索して好きな方の弥三郎を聞いて欲しい。
青森県民だったら、絶対に小さい頃から温泉や和食屋さんで聞いたことのある音色だと思う。
内容はというと、嫁が旦那家族に牛馬のようにこき使われ、旦那も見て見ぬふりをするというなかなか辛辣なもので、
恨みが強すぎて歌詞は12番まで存在する。
そんな歌を弾いていたら、思ったよりもたくさんの人が足を止めチップを入れてくれて、ヨーロッパが芸術にお金を払う精神やチップ文化が根付いていることを実感した。
そうしているうちに、大荷物を抱えたカップルがやってきてHi!と声をかけられた。
2人はいつもこの場所でアクセサリーを広げて売っていて、どこから来たの?その楽器は何?といろんな話をしてすぐに仲良くなった。
わたしがここで演奏をしている分には何も問題もないらしく、わたしが客を呼び込む役になり3人でお店を開いているようなスタイルになった。
わたしのYoutubeのパルテノン神殿と弥三郎の動画はこのとき彼女が撮影してくれたものである。
2人は毎日会うことになり、いろんなことを教えてくれたり毎日一緒に休憩したりともはや同僚のような関係になっていった。
路上で何かを売っている人や路上に座っている人は怖かったり危ない気がするかもしれないしそれは間違っていない感覚だと思うが、
自分が汚い格好をした路上のアジア人になるとその辺の人たちは自分の仲間になるので、
ある意味自分が怖い怪しい側にまわると怖いものがなくなるので不思議なものである。
(もちろん一応このときの、昼間人通りの多いパルテノン周辺に限った話としておきたいし真似しろとは絶対に言わない)
三味線を持って座っているだけでも中高生の子達が何それ!と駆け寄ってきてくれたり、
家族で聞いてくれたり、
台湾の団体旅行の人たちは
「Yeah! Asia!」
とチップをたくさん入れてくれたり、
(もちろん小学生でも誰でも、少しでもいいなと思ったら通りながらさっとチップを入れてくれるし、立ち止まって聞いたら多めに入れてくれる)
日本が好きなの!と言ってくれる人もとても多かった。音楽の力、三味線の力ってすごいなと大袈裟じゃなく初めてここまで実感した。
休憩していたら次の訪問者がHi!と声をかけてきた。
アーティスティックな感じの男性で、わたしの演奏が終わる頃に向かいのスペースでパフォーマンスをしたいらしい。
暗くなる前には帰りたいので15時くらいかなと返事をしておいた。
わたしの演奏がとても好きで、コラボしたい!とか言っていたのでThank youと返事しておいた。
その後も老若男女に三味線を楽しんでもらい、そのへんの犬や子供と遊んだりして15時頃になったので閉店準備をしていたら次の訪問者にHi! と声をかけられた。
なんだかイケてる感じの女の子で、犬を可愛がりながらアーティスト?と聞かれて世間話をした。
アジア系の彼氏とスイスから旅行に来ているらしく、少し話をしていたら向かいでパフォーマンスが始まった。
さっきの彼はクリスタルボウラーで、相方がハンドパンのようなものを奏でている。
その様子を、そこで出会ったスイスの子、アジアの彼、わたし、アクセサリーカップルで聞いている謎の光景になるとは、ミコノスにいる時点では予想もしていなかった。
するとボウラーがコラボしようと声をかけてきて、相方に「This is my girl」と紹介し始めた。
わたしは気づいたらいつの間にかクリスタルボウラーの女になっていたらしい。
わたしは好きなスタイルで弾いてよくて、相方にはこの子に合わせてくれと言うのだが、日本の三味線のスケールに合わせるなんて多分無茶な話で、相方にとってはたまったもんじゃない。
そして弾いてみたらやっぱり伴奏が難しいらしく、バンドは解散となった。
そしてスイスカップルの元に戻り、ヨーロッパまわるんだという話をしたら
「スイスに来てうちに泊まったらいいよ!」と言ってくれて、連絡先を交換した。
イケてる姉ちゃんなのに汚い路上のアジア人にそんなことを言ってくれるなんて、よっぽど恵まれた身分の素敵な子か、アジア人に特化した人身売買かのどっちかだなとうっすら考えていた。(本人が見ていたら大いに笑ってほしい)
ちなみにこの子の家への涙ながらのステイはスイス編へと続く。
そして店じまいをし、お金をじゃらじゃらまとめ、メテオラツアーがなくなって駆け込んだときの思い出のカフェでご飯を食べ、じゃらじゃらの小銭で払い、ホームレスのようなおじさんにまで心配される我が家へ帰った。
相変わらずヨシユキカサイのじょんから節と三下りをとりあえず爆音で流し、小銭を数えると、3時間まったり弾いて5000円くらい稼いでいた。
「えー!」と叫び、家族に自慢すると青森出身の家族はおおはしゃぎし、「津軽の音をヨーロッパに響かせろ」と指令が下った。
お金はもちろん嬉しいのだが、100円、200円の小銭がこの額になるまでの人数が聞いていいねと思ってくれたことが、本当に嬉しかった。
そしてまた明日からの宿を探す。
そもそも弾けるのか、弾いて稼げるのか、楽しいのか、がわからなく、すぐ別の国に飛ぶ選択肢もあったため2日しか宿をとっていなかった。
しかし同僚もでき友達もでき、道ゆく人に三味線を知ってもらうことができ、ちやほやされ、もう少しアテネの路上にいてもいいかもと思った。
もう少し治安が良さそうなところに長めに宿を予約して、その日は眠りについた。
起きて荷造りをし、歩いて次の宿に向かった。
しかし荷物が本当に重い。
今回、三味線を持っていくために全荷物は
①三味線をバラバラにして入れるトラッシュのようなケース
②組み立てた1.2mくらいの三味線を入れる長いケース
と手荷物に全てを詰め込んでいる。
普段だったらタイヤ付きスーツケースに入れ乗せている荷物
+三味線一式
を手で持つため、物理的に女子一人が手で持つには不可能な量だった。
あと2ブロック、というところで力尽き、もう荷物を道端において数十分呆然とした。
歩く人を眺めながらクロワッサンを食べ、タイヤを買わないとヨーロッパなんてまわれないなとため息をついた。
なんとか次の宿に辿り着いてから、土曜日だから人が多いかもしれないと思い三味線を持って職場に向かった。
すでに同僚は店を広げており、そんな決まりはないのに遅刻した気持ちになるから日本人はつくづく不思議な生き物だなと思う。
いつもの犬がわたしの定位置にいて、アクセサリーカップルが「場所取っておいたよ!めっちゃいい天気だねー!」と話しかけてくれて、みんなで太陽を愛でた。
弾こうと準備していると、100mくらい先で弾いているギタリストが
「ちょっと場所ずらせたりするかな?」とナイスに声をかけてきた。
カップルに聞くと、譲り合いは大事だし別の場所開拓してもいいかもね、と一緒に考え、少し離れた、昨日オーケストラがいたところを陣取ることにした。
パルテノンを見ながら演奏できて、石畳だから三味線の音がとても響き渡る。
昨日の場所より日焼けもしないし、パルテノン神殿にいく人とプラカの通りを歩き終わった人どちらも通る、開けた場所だった。
向かいにはパンのお店を出している人がいて、初日のおじいさんが「今日はそこなんだね!」みたいな顔で手を振ってくれている。
2日目にして異国の路上はわたしのホームになっていた。
本当に人生はわからない。
津軽の民謡をさまざま弾いてみた中で、人々が「どこの国の曲?」「心を動かされたよ」「あなたはスペシャルよ」と一番駆け寄ってきてくれるのは弥三郎節だった。
とにかくゆく人くる人、ヨーロッパ各国からギリシャに来ている人、ギリシャに住んでいる人がお世辞じゃなく心から感動してくれているのが、顔と声から伝わってくる。
ロンドンのライターの女性は「ロンドンに来たら教えて!」と友達になってくれたり、家族旅行をしている人は家族みんなで応援してくれるし、個人的には老夫婦が喜んでくれたり飴をくれるのが嬉しかったし癒された。
そうして弾いていたら「すちゃっ」という効果音が似合う現れ方で、男の子が私の前に降りたって
「日本人?」
と日本語で聞かれた。
思わず顔をあげたら、少しグリーンがかった青いふわふわのジャケットを肩にかけた小学5,6年生くらいの、日本人だけど日本人じゃない感じの雰囲気の男の子が立っていた。
「そうだよ、これ三味線」
と言ったら、
「ちょっとお父さんとお母さん呼んでくるから!」とうさぎのようにいなくなり、お父さんとお母さんと女の子みんなで来てくれて、「こんにちは」と久々に日本語を話すことができた。
聞いてみると、シリア、ヨルダンを経由して今エジプトに住んでおり、家族でギリシャ旅行に来て明日はメテオラにいく予定らしく、とにかく寒いとだけ助言しておいた。
ヨーロッパまわるつもりなんです、と話すと、ハンガリーに三味線を弾くダニエルと言う人がいるらしく、その場でまずハンガリーを訪れることが決定した。
一緒に写真を撮ってチップまでいただき、連絡先を交換して「エジプトで会おう!」と別れた10分後くらいに、子供二人が走って戻ってきた。
「これあげる!」とくれたのはSIMカードだった。
連絡先を交換するときに、わたしが電波がなかったのでご両親が買ってくれたらしい。
「がんばってね」と笑顔で手を振る二人は、天使のようだった。
ヨーロッパをまわったあとエジプトに訪れ、そこで人生観が変わるくらいの経験をしてさらに納得するのだが、
「この両親だからこんなにすてきな子達なんだな」
と納得してしまう素晴らしいご両親で、日本人だけど海外っぽい、リベラルでオープンな、とても素敵な家族だった。
そのままパルテノン神殿を見ながら弾き続けた。大会に出たりする前は1日10時間練習する日もあったりしたので、何時間弾いても疲れることがなかった。
ちなみにわたしは三味線は全然うまくない(それどころかひどい)。
津軽三味線は、一生をかけられるし、かけても足りないと思うほど素晴らしい総合芸術の世界である。
幽玄、上品な妖艶、荘厳、たくましさ、一人でオーケストラのように迫力ある音も、泣くような繊細な音もどんな音も表現できるかと思えば、
ただ叩いてうるさい下品なものにも成り下がる。
そんな無限さにわたしは恋をし続けている。
一打聞けば、だいたいどんな人だとかどんなことを考えているかがありありと鏡のように映される。
上手い下手にかかわらず、「とりあえず弾けばいいと思っている」音と、
内から気持ちが溢れ出している音の違いは
近所の青森県民談によるとわかるものらしい。
そしてその気持ちが「うまいだろ、すごいだろ」とかではなく、純粋に美しい音のため、好きな三味線のため努力しているものだと、人には伝わるものがある。
こんな話をしていると「それは青森の人や、音楽や三味線をやっている人だけの話だ」と思う人もいるかと思う。
しかし、だいたい人の声や話し方でなんとなく「こういう人だろうな」というのは誰しも少しわかる感覚はあると思っていて、
三味線は喋って唄う楽器なので、同じようなものと考えたりしている
(ちなみに青森出身の人の三味線は津軽弁と同じようになまっている)
個人的には、速く激しく叩いているのに、疲れている時に聞いても癒される三味線が至高だと思っている。
竹山先生はまさにその人で、時の止まるような禅の世界がそこには存在している。
彼の音は、盲目ながら生きるために、餓死しそうになりながら、蹴られ罵倒されながら、一生をかけて磨かれた芸術なのだ。
現代社会に、それ以上の辛いことなんてあるだろうか。
道のりは遠いどころか見えるわけもない。
そんなことを考えながら三味線を弾いていた。
すると、一人のギリシャ人の人に話しかけられた。
どうも弥三郎節が出身のクレタ島の音楽にとても似ているらしく、さらに驚くことに、いつもYoutubeで竹山を聞いているとのことだった。
そんなの世界でわたしと近所のおじいさんだけだと思っていた。
この広い地球に同志がいたのかと思うと、地球の裏側で聞かれていたのかと思うと胸どころか目頭まで熱くなった。
同志のギリシャ人には竹山の弥三郎のリンクを教えてあげた。
ちなみにこの人以外にもギリシャ人、ヨーロッパ人の日本好き・三味線好きは驚くほど、予想以上に多い。
本当にたくさんの人がいつも見るや聞くやいなや走ってきて、いつもお礼を言われていた。
鬼滅の刃や、KUBOという映画の影響で三味線は更にアツくなっているらしい。
この日はエジプトファミリーと、ヤサブロークレタトーと、竹山の地球の裏側での人気の衝撃が強すぎて、ぼーっと空を見ながら帰った。
すごく夕焼けがきれいな日だった。
この日は確か7500円くらいチップをもらっていて、
演奏して、目の前で人が喜んでくれてお金をいただいて、それでご飯を食べて、
生まれて初めてくらいの「生きている」実感がわいていた。
もっと綺麗な音を聞いてもらいたいなあと、夜も家で練習した。
すごく美しく、楽しく、充実した気持ちで眠った。
https://www.instagram.com/japanese_shamisenist/
Contact : happy.michelle.island@gmail.com
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?