見出し画像

しきから聞いた話 184 施餓鬼

「施餓鬼」


「すごく怖くて、でも、なんだか哀しげなもの達が、いたんです」

 住職の横に座った初老の女性は、ひざの上で重ねた指先を見つめながら、ぽつり、ぽつりと話し続けた。

「父は、24歳で南方から復員したんだそうです」
「戦友がたくさん死んで、父も死にそうになったって」
「ガリガリに痩せて、でも、帰って来られたんだって」

 父親の結婚は遅く、女性が生まれたのは、父が43歳のときだった。

「とても、可愛がってくれました。いつも優しい声で話しをしてくれて。でも、夜になると喋らなくなるの。決まって夕飯のとき。うつむいて、じっと、何か考えるような。思い返すような」

 でも、と言った女性は、すっと目を上げた。

「いつもじゃないけれど、私、見たんです。小さな、このくらいの小人が何人も、父の周りにいて、父のご飯を食べているの。手づかみでガツガツと、怖い顔の小人が」

 小さな、このくらいの、と言ったとき、女性は親指と人差し指で、二寸くらいを示して見せた。そして、怖い顔の小人が、と言ってから、両手で顔を覆い、嗚咽した。

 横に座った住職は、泣き出した彼女の心持ちが落ち着くまでじっと黙っていたが、やがて、彼女の代わりに事情を話し始めた。

 女性の家は住職の寺の檀家で、今年還暦を迎える女性は、今も独り身で家を守っているが、兄弟もいない。彼女が10歳のときに心不全で亡くなった父親の、今年は50回忌にあたる。先年に母の33回忌を終えたことでもあり、これで両親への回忌法要は仕舞いにすることに決めて、住職のもとへ相談に来たという。

 法要を来月に決めたのだが、どうも女性の様子がおかしい。何か不安を隠すような、落ち着かないような、それでいて助けを求めるような目をする。
 何でも、話してみないか、と水を向けたとき、出た言葉が、

「父は、成仏できないんじゃないかと思うんです」

 だった。

「もう50回忌を迎える佛さんが、成仏できないだなんて、余程のことだと思ってね」

 それで住職は、じっくりと女性の話しを聞くことにした。
 最初、女性は、53歳で亡くなった父が、早くに死んでしまって可哀想だと話した。母も還暦前に亡くなってしまったし、うちは何か良くない因縁があるのだろうか、とも言った。しかし、さらに話しを聞いていくうちに、女性の心の奥にある不安の種は、父親と生前に過ごした思い出にあるように感じられた。

「父は、死ぬまで、戦争のことを、一日たりとも忘れなかったと思います」

 そう聞いたとき、住職は、これだと思った。
 それは不思議な確信であり、手放してはいけない手がかりだと思われた。

「でも私は、目も耳もきかないから、きみならわかると思って」

 にこりと笑った住職と、横に座ってこちらを見る女性の間、少し後ろに、男性の影が立った。
 女性に、目元とあごの形がよく似ている。
 父親だ。
 穏やかな、けれど少し淋しげな目で、こちらを見ている。

 その目が語り、教えてくれた。

 住職に、これから膳を整えてくるから、戻るまで読経を頼むよ、と言うと、住職はハッとしたような顔になってから、得心したようにうなずいた。

 急いで、膳を支度する。
 ご馳走などはいらない。
 白い飯。味噌汁。煮物。漬物。

 女性が幼い目で見た小人。怖い顔のもの達は、父親の戦友達だ。
 南の島でガリガリに痩せて、死んで、餓鬼になってしまった同胞なのだ。
 父親は生きている間ずっと、そして亡くなった後も、彼らを忘れず、共にいたのだろう。

 膳を整えて戻ると、住職は女性と並んで座り、軽く頭を下げた姿勢で経を読んでいた。
 ふたりの前の座卓の上に膳を乗せると、どこからともなく、淡い光に包まれた小人の餓鬼達が姿を現した。

 ひとり、ふたり、5人、7人、
 まだまだ、10人、30人、たくさんの餓鬼達。
 細いほそい手足、痩せて骨の浮いた身体に、ぽっこりとふくらんだ腹、ぎょろりと飛び出た眼。

 飯をつかみ取り、汁椀に顔を突っ込み、煮物や漬物に爪を立ててむさぼり喰う。
 だが、膳のものは減らない。
 いくら喰っても、減りはしない。
 彼らの為を想う、心があるから。

 住職には見えていないようだが、女性の目には映っていた。

「そう。えぇ、お父さんの周りにいたのは、この小人たち」

 見つめる目から涙があふれる。
 その女性の肩を優しく抱くように、父親の影が寄り添う。
 口元には、笑みが浮かんでいた。

 来月は、予定通りに回忌法要が営まれるだろう。
 父親だけでなく、父の友人達も共に、天に還るために。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?