しきから聞いた話 149 毒出し
「毒出し」
馴染みの古道具屋の女主人から、見てほしいものがあると言われたのは、十日ほど前のことだった。
あれこれと雑用に追われて行けずにいたが、ようやく片付いたので訪ねて行くと、こちらの顔を見るなり、女主人がにやりと笑った。
「なんてまぁ、いいところに来るものかねぇ。丁度良かったよ」
何のことか。呼ばれて十日も経つので嫌味かと笑うと、女主人は片眉をつり上げて、ふふっと妙な顔をした。
「見てもらいたかったもののうち、一番気になっていたのは、売れちまったんだよ。でもね」
これから、買っていった客が、返しに来るという。
買ったのは七日前。そして今朝、電話があったそうだ。
「招福守りと言うから買ったのに、たった七日で不幸続きだ、とさ。買い取ってくれなくていいから、どうにかしてくれ、と。なんだか私が、あこぎな商売してるみたいじゃないか、ねぇ」
言葉のわりに、女主人は不機嫌でもなければ、怒っているふうにも見えない。むしろ、何か楽しんでいるようにも見えるのだが。
「そうかい。まぁ、あんたがどう見るか知らないけど、あれはなんだか、仕方ないように思うのさ」
そもそも、見てほしいと言っていたのは、半年ほど前に亡くなった、行者が遺したあれこれだったという。家族のいない行者の、遠い親戚が処分に困って、女主人に相談をしてきた。女主人としては、
「今から戻ってくるのと、あと、これ以外は、何てことないと思ったんだけどね」
そう言いながら、卓上に置けるほどの小さな掛け軸を出してきた。
「どうかね。戻ってくるのも、これとおんなじだと思うよ」
にやり、と笑う。
軸には、くずした文字が三文字、描かれていた。
どうもこうもない。これは、確かに招福守りの符ではあろう。しかし。
「あぁ、やっぱりそうなんだね。そうじゃないかと、」
そのとき、入り口に人の影が差した。
「すみません。電話した、黒沢です」
高価そうなスーツに身を包んだ、三十代後半と思しき男が立っていた。
手に提げてきた紙袋を、顔の高さに上げる。
「これ。お返しします。で、なんか厄払いみたいなの、紹介してもらえるんですよね」
黒沢と名乗った男は、ずいぶんと疲れたような顔をしていた。女主人はその顔を見、そしてこちらを見て、目配せをよこした。
「この人が、大事なことを教えてくれますよ」
そんな言い方をされたら、喋らないわけにはいかないだろう。
仕方ないので、要点だけを話すことにした。
これは確かに、福を招くように祈り込めた符であることに違いはないだろう。しかし、この符が福を招くためには、下準備が必要だ。たとえて言うなら、この符が招く福は、とても清らかな水のようなもので、汚れた器に入れたら、福ではなくなってしまう。なので、この符はまず、器をきれいにしようとするのだ。汚れた器を洗ったら、洗った水は汚く濁るだろう。器が汚れていればいるほど、洗う水はたくさんいるし、きれいにするには時間もかかる。わかるね。
黒沢は、少し唇をとがらせ、眉を寄せ、じっと聞いていた。
高価そうなスーツをまとう、これまでの行いがどのようなものかは知らないが、少なくとも、こちらの話を理解できない者とは思われなかった。
器がきれいになれば、この符は、清らかな福を招くようになる。器がきれいである限り、福は清水の湧くがごとく、絶えることがないだろう。
目線を落として、紙袋をじっと見ていた黒沢は、それを女主人の前にずいと差し出して、ぽつりと言った。
「俺には、向かないわ」
そしてくるりと背を向け、すたすたと出て行ってしまった。
「あれ、まぁ」
女主人が呆れたような声で、ため息まじりに言った。
「もうちょっと辛抱して、ついでにちょいと心を入れ替えれば、福を招ける子だと思うけどねぇ。こんなに質の高い、毒出し招福の守りは、なかなかあるものじゃないのに、ねぇ」
うふふ、と笑う女主人にも、少し、毒出しがいるのではないか、と思った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?