cantabilele

日々感じること、感動することは沢山あるのに最近は流してしまうことが増え(これは年齢的な…

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日々感じること、感動することは沢山あるのに最近は流してしまうことが増え(これは年齢的なものでしょうか?笑)、言葉にすればより心に残るのではないかな?と思いアウトプット始めました。

最近の記事

しあわせって何だろう

しあわせって何だろう。 年配の知人、Sさんと窓際で道行く人を眺めながら話した。 良く晴れた気持ちの良い昼間。 『若い人が歩いてきたわねえ、あたしにもあんなときがあったのよ、そのときはそんなこと思わなかったけど、自分で好きなとこにいって色んなことしてね、そういう平凡で普通のことが幸せだったのよねえ』 『でも、今もね、こうやって人に手伝ってもらわなきゃなんないけど何もしなくても暖かいとこでのんびりできるんだもの、しあわせって思わなきゃあねえ』 まるで、自分に言い聞かせるように話す

    • 心静かに

      10年に1度の大寒波、と言われるだけに、ここ数日の寒さは身に染みる。 とはいえ、強い風と大雪に見舞われ、混乱を来している街にお住まいの方々の状況を思えば この辺りに大変なことなどは1つもない。 本日は朝から所用を済ませやっと一段落。 手元に温かい飲み物をおいてぼんやりしていると、今はなき祖父母宅の、ほっこりとしたあの暖かさが懐かしくなる。 思い出すのは、自然光に映し出される昼間の室内の様子である。 大きな窓から入る自然光が、時間によって色々な場所を移動してそこにある家具など

      • 2023年に寄せて

        新春 関東では年始からずっと快晴が続き、寒さ堪えるものの気持ちの良い日が多い。 元旦の朝、既に初日はある程度まで昇っていたが家族揃って手を合わせ、健康で新しい年を迎えられたことに感謝した。 午後からは初詣に出掛け、鳥居前からの長蛇の列に並び、時間が沢山あった分その間にあれもこれもお願いしよう!と考えていたにも関わらず、ようやく参拝の順になった時に後列からの押し出しに負けてしまい?2礼2拍手で頭を垂れたところで終わってしまった(こんなことは後にも先にも初めて😂) 何と!あんな

        • 闘病の後

          先月末から今月初めにかけての出来事。 とうとう我が家も家族全員が、将棋倒しの如くコロナウイルスに感染して完全ダウンとなっていました… 7日から10日を経て、 大学生の息子から順番に、起き上がり小法師的に 自宅療養解除となって、何となく元の生活へと戻ることが出来たのであるが、やはり一週間以上も殆どベッドに横になっていたのでは、久しぶりに外の地面を歩いた際はふとした瞬間に踏ん張れずにふらついた。 ようやく体力共に本当に回復したな、と感じられるようになったのは極最近のことである。

        しあわせって何だろう

          今日の出来事

          先週末から三日間、胃痛から始まった体調不良に襲われた。 なんとも言えない頭痛、38度後半の発熱が二回。 コロナ感染ということもあるやも知れぬと、急遽自宅内隔離を始めた。 今は、65才以下で重症化リスクがない場合は、自宅療養をしつつ、抗原検査キットで陽性であれば最寄りの先へ届け出る、というような流れになっている(はず) 準備していたキットを使い、発熱の毎に検査をしてみたが何れも陰性であった。 そして今日、丸3日が経ち、症状も残すところ時々の胃痛のみとなったため、家族に相談

          今日の出来事

          道中記

          しらない町の、この小さな駅に集う人々は 顔見知りが多いのだろうか ひとつ、ふたつ、 爽やかに言葉を交わしてすれ違っていく はじめて訪問したこの私にも 人々はやさしい 土地の者ではないとわかると 自分の息子が関東にいて働いていること このお正月に帰省してきたこと、 久しぶりに一緒に出掛けて楽しかったこと などなど、、、 自分の記憶の宝箱にあるとっておきを 通りすがりの私にも、惜しみ無く語ってくれる それは本当に惜しみ無く その人の人生のひとこまを魅せてくれた だから、わ

          夢と現実

          今日は久しぶりに気温が下がり、過ごしやすい日となった。 昨日の蒸し暑さにくたびれていたが 大好物の西瓜を食べて復活。 午前中、母から電話があった。 『うたた寝していたら夢を見たよ』とのこと。 もう、この世にはいない親戚や友人と会食をしたというものであった。 そして、『○○さんていたでしょう? あの人ね、今度○○に引っ越すって言っていたのよね』と言う。 私『あれ?お母さん、、、それ夢でしょ?』 母『あら!そうだったわ!(爆笑)』 面白いことは夢と現実のはざまにある。

          そらみみについて

          良く晴れた日の夕刻は、1日のなかで最も気分の良い時間帯である。 今日という日が善き日のまま過ぎていく、 静かな気持ちで見る綺麗な夕焼け空。 はるか昔、子供の頃からもやっぱり好きだった。 学校から帰って、校庭などで友達と遊びながら、 太陽が見えなくなって薄暗い空に変わるまで、 一体どのくらいの時間がかかるのか、数を数えていたことがあった。 途中で帰る友達がいて そうすると、また一人、二人いなくなって いよいよ自分だけになったこともあった。 『できるだけ暗くなるまで数えるぞ~

          そらみみについて

          本日の日記

          都内でのコロナ感染者数について、 『いくらか減少傾向』といわれているが、まだ足踏み状態が続いていると思う。 わたしの身近で言えば、芋づる式に増えている。 コロナは形を変えてどんな風に収束していくのだろうか? 皆目見当がつきませんね。 今日は8月19日、マスク着用が実に辛い夏だったけれども、気づけば残暑の時期となった。 昼間はそれなりに暑いが、夜には蒸し暑さのなか、秋の虫の鳴き声が聴こえている。 出るべき季節をうっかり忘れたりしない虫はすごいな!と思う。 しかし今年に限っ

          本日の日記

          猛暑だから心もへたばる

          あの日も、ものすごく暑い日だった。 西日がギラギラしてきた大通りの歩道を 自転車を押しながら歩いていた。 後ろの籠に積んだ食材が重いのと、 歩道の道幅が狭いので、押し歩いた方が 安定感があったからである。 よく、自転車は車道へ!と言われるが 環状線などは、とてもじゃないが怖くて走れない。 車を運転する側からも 荷物を積んでフラフラしている自転車は車道に来ないでほしい、と思われていると思う。 ところがその日、 初老の女性から『自転車は歩道を通らないで!』と言われてしまった

          猛暑だから心もへたばる

          親のココロ

          この春から大学生となった息子が 『お母さん、オレは元々親切だけど、朝、時間に余裕があるとみんなに挨拶したくなるよ。大学生って時間があっていいねえ!』 などと言っていたのに、それから一月もせずに 今ではレポートに追われる毎日を送っているようで朝は眠くて仕方ないらしい。 だけど、自分で好きな道を歩いているのだ。 健康を損なわない程度にうんと学んで、枝葉を伸ばして大きくなれば良い。 18才は、未来を見据えて様々な希望が湧いている年代の最中。 何者にでもなれる(かもしれない)という

          親のココロ

          再開と再会について

          気が付けば、長いこと書いていなかったnote… 特にこれといって大変なイベントがあったわけではないものの、息子の入試やら何やらで “あー…"と思っている間に今日になってしまった、いう感じである。 丁度、今月は父の一回忌を迎えることもあり (そして、我が家の息子もこの春から晴れて大学生となり!)心新たに書き留めていこうと思う次第。 この数ヵ月を振り返ると、父亡きあと実家で一人ぼっちになった母のもとを訪れる機会を増やしたせいもあって、わたし自身が一人の時間を持つということがずい

          再開と再会について

          何でもない毎日

          これを『充実した日々』、というのだろうか 昨今、会議の類いは全てオンラインに切り替わり 企画する側になると準備がギリギリになる 通常業務をこなし、 時間がとれるときに準備を進めるからである 私におけるこういった短期集中型の行動は 悲しいかな、年齢と共にもはや廃用の入り口? に到達しつつあるように思う 年々、注意力の低下をひしと感じるのであるが 何と言っても、経験の積み重ねがあっても その引き出しを開けるのに時間がかかる 若しくは引き出しの存在を忘れ去っている! な

          何でもない毎日

          読書の秋

          いま、隙間時間で 夢中で読んでいる本がある 和田竜さんの 『村上海賊の娘』 それと、故池波正太郎さんの 『散歩のとき何か食べたくなって』 『食卓の情景』などの随筆である どちらも読んだ方は沢山おられるだろう 後者は言わずとも知れた作品であり 随筆なので読みやすいし 食の描写が素晴らしいところがお気に入り 実際にそのお店に出向いて、 『ああ、こんな風にして池波先生も召し上がったんだなー』 『当時はこうだったんだなー』 などと思いながらお腹を満たしたり 読みなが

          葉書

          昨日、懐かしい便りを頂いた 以前、お隣に住んでおられたYさんからの絵葉書 Yさんは年配の女性であったが 同居する娘さんが結婚するにあたり 一人で住み続けるには広すぎる家を引き払い 近くのマンションへ移っていかれたのだった これはもう、10年ほども前のことで 今では別のご家族がお隣の家に住まわれている はじめのうちはたまにひょっこり現れて 『ちょっと来てみたの。変わってないわねぇ』 『あら、あんな建物が出来たのねえ』 『来る度に変わってわかんなくなっちゃう』 な

          あさがお

          今年もいつの間にか咲いたあさがお 敷地ではないところに芽を出しているのを 早くから知っていたが、 我が家の散水栓のあたりにも一本 いつの間にか芽を出していたのだった 種を撒いたわけでもないのだが 昨年タイルの隙間に落ちた種が うまい具合に水分を得て、 日の目を見ることになったのだろう たった一本の芽から 随分とにょきにょき蔓をのばすものだから 気が付く度に(殆ど毎日) 蔓の先を棒に絡めていたのだったが 今日の朝、息子が呼ぶので 外へ出てみると、、、 息子の自転車の前か

          あさがお