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再開と再会について

気が付けば、長いこと書いていなかったnote…
特にこれといって大変なイベントがあったわけではないものの、息子の入試やら何やらで “あー…"と思っている間に今日になってしまった、いう感じである。
丁度、今月は父の一回忌を迎えることもあり
(そして、我が家の息子もこの春から晴れて大学生となり!)心新たに書き留めていこうと思う次第。

この数ヵ月を振り返ると、父亡きあと実家で一人ぼっちになった母のもとを訪れる機会を増やしたせいもあって、わたし自身が一人の時間を持つということがずいぶん減っていた。
自宅での毎日はさておき、母を訪れた際に何をしていたかというと、、、
他愛のないその日その日のおしゃべり
昔ばなし
庭いじり
片付け、、、等々

中でもわたしを忙しくさせたのは…
もう自分の物など実家には残っていないと思っていたのに、結構あるわあるわで(親が大事にしまいこんでいる可能性もあるので皆様もお気をつけください!)その整理に追われたことだった。

日記帳!(衝撃が走った!)
本(本棚は片付いているのにどこにあったの??)
友達からの手紙の山(前、探してたんだよ!)
ばらばらになった写真…etc

一通り目をとおし、懐かしみ、
躊躇なく処分、処分

『どうしてそんなに捨てるの?』という母を制し
『このまま置いてもゴミになるからね』と黙々と作業を続けた。

それでもどうしても捨てられないものがある。
それはまた預かってもらうことにしたのだが
一番懐かしくて、再会できて本当に嬉しかったのはある一冊の本。

骨肉腫に侵された大学生の、亡くなるまでの一年間の闘病生活について記された本だった。
大切にしていた本で、何回も何回も読み直して
想像して、思い出しては大泣きした本だ。
わたしがその本を手にしたとき既に、その大学生のSさんはこの世から去って10年以上経っていたのだが、その本を読んではじめて存在を知ったわたしには、その本を読み終えるその瞬間にいなくなったように思われて、何ともいえない喪失を味わった。

自分だったら、
もし、自分だったら?
と、深く深く考えさせられた。
いま読み返しても、やはり泣けてしかたがなかった。何でだろう?
これでもか、これでもか、と容赦なく癌が転移していく中で、痛め付けられてもなお、希望を持ちながらいなくなっていく様子…

この本を読んで、
どんな辛い状況でも、人間は最後の最後まで
もしかしたら良くなるかもしれないって心のどこかに希望を持ち続けるものなんだなとわかった。
勿論、Sさんのお母様をはじめ、ご家族が皆愛情深く、少しでも楽に、苦しくなく過ごせるように、
心を砕いて寄り添って、Sさんに安心を与えておられたからこそ、Sさんは最後まで自制心を失わず、けなげなまでに希望を持ち続けられたのだと思う。

この本を読むと、生きていられるということは
ただそれだけでも素晴らしいことなんだということがはっきりとわかる。
本当に本当に切ない本なのである。

Sさんが亡くなった5月28日という日、
そっと手を合わせた。
じめじめとした梅雨の関東にいても
心は澄み渡る青空でいたいものです。

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