いけばなと俳句
皆様はどのような句を詠んでみたいですか?
・フラワー・アレンジメントのような句
・いけばなのような句
・茶花のような句
私の中で「フラワー・アレンジメントのような句」とは、満開の薔薇を17本束ねたような句です。華々しくて目をひきますし、それを渡された人はその色や香りを堪能するだけで満たされます。
「いけばなのような句」とは、上を目指す花と、足元を固める花と、注意をそらすように張り出す枝が、相互に呼応しあって絶妙な間を作っている、そんな句です。それを愛でる人は、自らの想像力を駆使してその間を補完し、全体を一つの形として感知しようとすることを愉しみます。
「茶花のような句」とは、十七文字が連なって一本の花となり、それが一輪挿しに投げ入れられている、そんな句です。地味で人目を引くことはありませんが、そこにあるだけで空気を和らいだものにしてくれます。
私がいつか詠めるようになりたいのは「茶花のような句」です。「茶花のような句」に対する憧れを詠んだ句がありますのでご紹介します。
でも、私が「茶花のような句」を詠めるようになるのは、かなり先のことだと思っています。今はまだ「フラワー・アレンジメントのような句」が多く、たまに冴えている時でも「いけばなのような句」しか詠めません。例えばこんな感じです。
高まった波は崩れる進みたくて
我ながら着眼点は面白いと思いますが、いかんせん説明しすぎです。下の句でばっちり答えを書き込んでいるので、読んだ人は「へぇ、そうですか」と言って次にいってしまうことでしょう。それに、今気づきましたが、これだけ語っておきながら季語がありません。あるいはこの句を詠んだ3年前は「波」を夏の季語であると勘違いしていたのかもしれません。このようにまだまだ未熟なので、「茶花のような句」は夢のまた夢です。
ちなみにこの海をイメージした花の作品は、二十代の頃、池袋の芸術劇場に展示するために一人で活けたものです。当時、私は草月流の師範で、かなり真面目にいけばなに取り組んでいました。『草月』という雑誌に載ったこともあるんですよ、とプチ自慢。
こちらの記事は、オープンしたばかりの天王洲アイルに大作を飾らせていただいた時のもの。写真では左から2番目が私です。この企画では草月から10万円の予算をいただき、仲間と楽しく創作をさせていただきました。
いけばなから遠ざかって久しいですが、俳句を詠むようになってから、いけばなで学んだ「間の取り方」を思い出すことがよくあります。お稽古事で身につけたことは、なんらかの形で一生自分の中に残るものですね。
お稽古事といえば、昨年の今頃、お稽古事として俳句を学びたいと思うようになりました。それで、7月に星野高士先生が主宰されている『玉藻』という結社に入れていただきました。次回は、私がなぜ『玉藻』にしたか、また、楽しい吟行句会の様子等を書いてみようと思います。22日(時間未定)にアップする予定です。どうぞ、お楽しみに。