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女の生きづらさの正体

女の子だから。

ピンクが好き?
パンツスタイルよりもスカートが好き?

一般職はなぜ女性だけ?
お茶汲みをするのは女性の仕事?
男女の給料格差が埋まらないのは何故?
役職クラスはなぜ男性ばかり?

結婚して戸籍変更するのはなぜ女性ばかり?
共働きでも家事比重がなぜ女性に偏る?
子どもが産まれてキャリアを諦めるのは女性?


女の子だから。

女の子のくせに。


女性が生きている日常の中には、刷り込まれてきた辛さがある。

自分でも気づかないほど当たり前となった、なんとなく感じる『女性』としての生きづらさ。

日常に潜む男尊女卑。
バイアスがかった男女平等。


フェミニズム小説に出会った

先日旅行をしたのだが、帰りのフライトが悪天候のため欠航となってしまった。
もう一泊しようか悩んだ挙句、最終新幹線にギリギリで間に合うことが判明し、
慌てて新幹線を手配したものの、なんと4時間半もの長丁場。

旅の疲れも相まってげっそりしながら駅弁を買っていると、小さな書店が併設されていることに気がついた。

移動中暇だし本でも読むかと気軽な気持ちで入ったものの、家に積読された本を思うとなかなか手が進まない。


そんな中、ある一冊の本が目に止まった。

『82年生まれ、キムジヨン』

2016年に刊行以降、話題沸騰したベストセラーのフェミニズム小説である。
映画化もされ、今年に入って文庫化されたようだった。

なんとなく韓国文学に興味があまり持てずに敬遠していたが、これもご縁だと思い、手にとって新幹線の中で読み進めた。


思いの外コンパクトな小説で、小一時間くらいで読了したのだが、
結論から言うと後味は悪い。

じわじわと共感とも違う、言葉には表現し難い得体の知れない感情が押し寄せる。

女として生きること。
それに伴う挫折、疲労、恐怖感。


主人公は33歳のキムジヨン。
幼少期から青春時代、就職、結婚、出産、子育てと生涯を通じて、女性として生きることの辛さが淡々と、でも明確に描かれている。

特に大きな事件も事故も起きるわけでもなく、キムジヨンの日常が描かれているのだが、読み進めれば進めるほど、胸が苦しくなる。


「それで、あなたが失うものは何なの?」

「その手伝うっての、ちょっとやめてくれる?家事も手伝う、子育ても手伝う、私が働くのも手伝うって、何よそれ。この家はあなたの家でしょ?あなたの家事でしょ?子どもだってあなたの子じゃないの?」

「82年生まれ、キム・ジヨン」 チョ・ナムジュ
斎藤真理子 訳


キムジヨンが夫に言い放った言葉。

結婚、出産や子育てといった人生のフェーズに入ると、何かを諦めたり、失ったりするのは何故女性だけなのか?

十月十日体内で子どもを守り、生命の危機を伴う出産を経て、身体がボロボロの最中に育児が始まり、心身共に疲弊する母親を気遣う声よりも、
たかだかオムツを換えただけの男性がイクメンと賞賛される声が多いのは何故なのか。


気づかないふりをしてやり過ごしてきた、
『女性』の生涯の節目で感じる『生きづらさ』を如実に表している一冊であった。

韓国の歴史的背景も違うことから多少の違和感もあり、
この本の主人公が日本人女性であったら、読み進めるのがもっと苦しかったかもしれない。

ネタバレになってしまうのでこれ以上は記述しないが、ショッキングな内容も描かれている。
最後の解説、評論までセットで一読の価値あり。

但しテーマからもお察しの通り、メンタルが落ち込んでいる時に読むことはあまりオススメしない。


刷り込まれた日常

読了後なんとも居た堪れない気持ちになり、自分の人生と共に考察をしてみた。


中学時代、部活中。
周囲が異様な雰囲気で騒めきだっていて、どうやらグラウンド近くに露出狂が出たようであった。
幸いな事に私は見ることはなかったが、多感な時期に目の当たりにしていたらトラウマになっていたかもしれない。


大学4年生。
就職活動中、面接官から容赦無く突きつけられる女性としての選択。

「結婚、出産しても働き続ける気はありますか?」

今でこそコンプライアンスも厳格化し、こんな発言をする人事の方が問題と叩かれる時代だが、たかだか10数年前は当たり前の出来事であった。


全国転勤ありで何処に飛ばされるかも不明の総合職の企業からの内定を受理しようか悩んでいると、

母から
「女の子なんだから地元で、、地銀の窓口の仕事とかでも良いんじゃない?」と言われた。
 
今思えば、地元どころか実家すら出たことのない22歳前後の娘の将来を心配する親心もわかる。

それに母親世代とでは、女性の働き方の価値観も違って当然。

しかし当時はそんな親心など到底理解できずに、揉めに揉めた出来事であった。


結局、地域総合職(転勤なしで職種や評価・給与基準は総合職と同等)の企業に就職したのだが、
現場に配属されて一番に教わった女性新入社員の朝一の仕事は、いわばお茶汲みであった。


いわゆる女性だけの職場ではない一般企業に就職した経験のある女性なら、誰しもが経験したことかもしれない。

私自身、これらの経験が『女性だから』という理由だとは微塵も思ってなかった。

何故なら、既にバイアスがかかっていたからだろう。


令和の今でこそ、小学生のランドセルは男女問わず自由に好きな色を選択できるが、

昭和生まれ世代は、男子は黒で女子が赤。
出席番号も男子が先で女子が後。
会長は男子で副会長が女子。


日本の教育システムに男尊女卑が組み込まれていた。
何の疑問も持たない幼少期〜思春期に受けた教育は人格形成にも繋がる。

ある意味、バイアスがかかってしまうのは当然なのかもしれない。

ジェンダーギャップ指数2023において、日本は過去最低の125位に後退、G7で最下位である。



女性だからこそ

女というだけで向けられるあからさまな好奇な視線。
性的被害、DV、セクハラといった社会的弱者と見做された女性が被害に遭う構造が今も尚残っている。
男尊女卑と女性蔑視は無くならないのか。



社会に出ると、いい意味でも悪い意味でも『女性』として扱われる機会が多くなる。

女性だからこそ得をした経験を持つ人も多いのではないだろうか。

数ヶ月前にX(旧Twitter)で話題になった男女間における奢り奢られ問題も、一昔前の価値観だと男が奢って当然。
バブル世代ではアッシー、メッシー、貢ぐ君(死語すぎ)。


女性だから差別的な扱いを受けることもあれば、女性だからこそ優遇されたりもする。



常軌を逸していて全く参考にはならないだろうが、私自身の事例を紹介しよう。

新卒で入社した会社ではゴリゴリの営業職で、
営業(ウー)マンたちの電話する大声がフロア中に響き渡り、1時間毎に数字(営業成績)を集計され、詰められ、数字が取れてないと罵声が飛んでくる、ひどい時には物を投げつけられるといった、
ここはヤクザの事務所ですか?という職場であった。

今振り返ると恐ろしいが、新卒で入った最初の会社だったのでこれが当たり前となり、数ヶ月後には何の疑問も抱かずに日常の光景と化した。


入社して3年目くらいだったろうか、関西人が部長になった時には一層凄まじかった。

数字が取れてない男性社員に対して容赦無く
「お前、どこで数字とってくるんやボケえ、いっぺん○んでこいや」といった具合に罵声を浴びせまくっていた。

しかし、そんな部長でも女性社員に対しては罵声を浴びせることはなかった。

他にも、営業同行時に車を運転するのは部下がセオリーだと思うが、上司であろうと男性が運転をしてくれたおかげで私は一度も運転することなく、助手席や後部座席でのんびり移動することができた。

会社の飲み会でも、女性社員がお金を出す機会はほとんどなかった。
ところで営業マンって何であんなにお酒好きなんでしょうね?お酒がガソリンなんですかね?
かくいう私も営業時代、週6、7で飲み歩いていた。(毎日やんけ)


ちなみに超余談だが、
信頼関係があるお客様と少し口論になってしまい、電話を切った後もブチギレていたら、
誰もが恐れる激怖関西部長を

「お、おお、、キャンディス、落ち着け・・・」

と、ビビらせた伝説のエピソードの持ち主は私である。(強すぎか)




話を戻すが、
女性だから嫌な思いをする事もあれば、女性だからこそ優遇されることもある。

逆説的に捉えると、男性側も同様のことが言えるのかもしれない。

きっと女性とは違った生きづらさが男性にもある。
途中でリアイアすることは許されずに生涯現役を求められ、勝者になるか敗者になるか、競争社会で勝ち残り続けるための責任や重圧がのしかかる。
埋まることのない自己有用感や、己のプライドに苦しめられたりもするのだろう。
この辺の男性の苦悩はまた別の機会に語りたいと思う。


男女にはそれぞれの役割、得意不得意があり、生物学的にも構造そのものが違うのだから、完全な平等というのは難しいのかもしれない。

何事も表裏一体。

それに女の敵は女という場合もある。




だけど、女性は人生の中でふとした時に何となくの違和感をどうしても感じてしまう。

その違和感を見て見ぬふりをしない。現実から目を背けない。


自分と向き合い己のバイアスを正してみたり、
ミソジニー的思考に囚われずに、『女子力』という呪縛から解放し、

家族や友人知人と共有することで、自分だけではないと認識することが出来ると少しは救われることがあるのかもしれない。
(心理学上、ある程度のネガティブな感情は共感し合うことで解消できるとされている。)



そうやって先人たちが声を上げてくれたおかげで、きっと今がある。


ランドセルの色が自由になった。
出席番号が男女混同になった。
お茶汲みが女子の仕事ではなくなった。
男性が育休を取れるようになった。(制度として整っても実際に取得できるかは別問題)


少しづつ社会も変わってきている。

悲観だらけの世の中ではない。


女の生き方と男の生き方がこれほど違っている社会では、どれだけあなたがこだわりたくなくても、社会の方があなたの性別にこだわってくるでしょう。
それを無かった事にして、見ないふりはできません。

「女の子はどう生きるか」   上野千鶴子

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