一週一話〜余命〜no.25

先日、急遽、大阪の病院から電話がかかってきた
親父が緊急入院したらしく、大阪に来てほしい
とドクターに言われた

親父は昨年、食道がんを患い
口から水も飲めない状態になったため
お腹に穴を空けて、直接栄養を入れる
胃瘻を行いながら放射線治療と
抗がん剤治療で、一年弱闘病し
着々と腫瘍も小さくなって、今年6月には
僕たち家族と一緒に食事するくらいの
回復をみせつけた

一安心していたところだったが
その翌月に事態は急変し、腫瘍が再増大
自ら救急車を呼んで、入退院を繰り返して
いたとはじめて聞いた

親父は、一人息子の僕に
できるだけ迷惑をかけたくなかったようで
ドクターが電話するまで、何も連絡しないで
ほしいと言ってたようだ

うちの家庭は、親父、おかん、おばぁちゃん
僕の4人家族だった
決して、めちゃめちゃ裕福な家庭ではなく
両親も小学生のときに離婚したが
みんなから、凄く愛情を注いでくれた環境で
育つことができた

親父もおかんも、金銭的な支援は他家庭よりも
無かったが、絶対に僕が挑戦したいことには
一切否定せずに、応援してくれている

今回も、僕の人生に足を引っ張りたくなく
ギリギリまで隠していたんやと思うと
親には頭が下がる一方で、複雑な気持ちになった

夜行バスで弾丸帰省し、病院へ

親父、親父の弟二人、僕、ドクター5人で
現状と今後について話し合った
ドクターから、余命宣告された

半年〜1年

言いづらそうに、吃りながら告げられたが
親父はじめ、僕たちは気丈な振る舞いだった
全員が腹を括っていたんだと思う

冷静に、今後のことについて決めていった
一人で暮らすことは不可能なので
医療老人ホームに入ることや
自宅の撤去などの具体的、現実的な話しだ

全員解散した後に、親父に電話した

「親父の人生やから、親父のやりたいように生きて欲しい。親父が俺にやってくれたように、俺も親父の人生をできるかぎり応援している。」

親父は
「ありがとう。今日そのまま東京戻るんか?明日はそのまま仕事か?みんな元気か?交通費渡すからいくらか教えてくれ」
と全く自分のことより、僕のことだけ
心配してくれた

親父の器の大きさ、人としての厚みに
改めて感謝と尊敬の念を抱いた
俺も、こんな親父になりたいって強く思った

僕たち家族は、僕が学生時代から
死生観について話すことが多々あった
僕の生き方の根幹もここに在って

人類皆、生を授かった瞬間から、死に向かって
人生が始まる普遍的な事実

だから、いつ命が絶っても後悔しないくらい
毎日自分を使い果たし、やりきることを
テーマに生きてきた
おかげさまで、あのときに戻りたいと思う過去
は一切ない
その時々で、全力を出し続けたから、戻っても
仕方ないと思えるから

親父もそうなんだと思う
だから、泣くこともなく、気丈でいられたのかな
でも、人間は人間
一人になってからは、親父もどうなったのか
正直わからない

命は本当に限られている、有限で尊いものだ
とはいっても、生まれてきた意味なんて
宇宙規模で考えると、何もなく
みじん粉みないなレベルだと思う

でも、どう生きるか選択・決断し
体現していくことで、意味付けしていく
いわば、後発的要素で変わっていくんだと
僕は信じている

悩んでいる暇など一切ない
親父に残された時間も残り僅か
健康な僕たちだって、余命が限られている

余命宣告されても動じないくらいの
人生を、本気で歩んでいこうと
今回のことで、改めて決意させてくれた

親父とおかんの間で生まれてこれて
ホンマに幸せや、ありがとう

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