見出し画像

最初の道~小説『花埋み』~

日本の女性医師第1号、荻野吟子おぎのぎんこさん(本名はぎんさん)。西洋医術開業試験に合格し、官で公認した最初の女性医師。

吟子さんの生誕日である本年4月4日。Googleの日本版トップページに掲載されたイラスト(ヘッダー画像)を偶然見て、初めてこの女性医師と、その生涯が数年前に映画化されていたことを知った。

今では女性医師がいるのは当たり前であり、わざわざ女性医師の日を選んで診察を受けることも可能だ。

何事にも『初めて』があり、最初の道を作った人が、一番大変な苦労をする。最も大変だった、公認女性医師の先駆者が荻野吟子さんだった。

運よく手に入った小説『花埋はなうずみ』によると、荻野吟子さんは嘉永~大正初期にかけて生きた人。

女性は道具のように扱われ、女性の方も、それを当たり前だと思っていた時代。

女性に医師免許が与えられた前例はなく、女性は学問はおろか、職業など持つべきでないと考えられていた世の中で、西洋医になるなど、聞いたこともなく、常識外れであり、狂気の沙汰だった。

女性医師になる決意を伝えた吟子さんに、母親は言う。

(中略)荻野の家からは学問狂いの女が出たと皆様も陰でわらわれます。(中略)荻野の親戚縁者もみな嗤われます。

小説『花埋み』より

泣き続ける母親を見ながらも、吟子さんの気持ちは変わらない。婦人病に罹り、屈辱的な診察を受けた吟子さん。せめて女のお医者さんなら…女人禁制だった医学の道に風穴を開けることを意識したのは、この頃だった。

病気を恥じ、隠して診察を受けないまま、命を落とした女性が大勢いた時代。

今のままではあまりに女が可哀相かわいそうです。女に責任がないのに、一番苦しんでいるのは女です

吟子さんのセリフ 小説『花埋み』より

自身が病気を抱え、女性医師の必要性を身をもって体験した上で、女性のために尽くしたいと願っていた吟子さん。

時代の移り変わりとともに、最初は吟子さんに向けられていた冷たい眼差しが、畏敬と好奇心に変わっていく人々の変化の過程。

そして、徐々に増えていく女性医師の数。

女性に医師の道を拓くという宿命を背負ったかに見えた、荻野吟子さんの62年の生涯を描いた小説『花埋み』。

吟子さんの切り拓いた道には、後に続いた多くの女性たちにより、現在、大輪の花が咲いている。

※この小説には英語版があるようです。英語版のタイトルは『Beyond the Blossoming Fields』。『花埋み』の著者名を見た時ドキッとしましたが、最後まで無事に読めました(^^;

英語版『花埋み』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?