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まっすぐなもの、まがったもの

久しぶりにnoteを更新しようと思ったのは、夜中の気まぐれである。こんな時間まで起きているのは、実に1年ぶりかもしれない。昔は平気で長時間働いていたはずなのに、今はもうとっくに体が追いつかなくなってしまった。26歳、老いるにはまだ早い。


仕事

政治の世界で働いている。

特に隠しているわけでもないが、公にすることもあまりなかった。それはどこかで、政治というものに線を引きたい私がいたのだと思う。なんとなく近寄りがたい、そういうものには私も近寄りたくなかったから。今ここで働いてもう4年目になろうとしているのに、ずいぶんと矛盾している。

あとはなんというか、面倒くさいのである。何がとは言わないけれど。

でも、最近なんとなく言いたいような気がしてきたのである。ほんとうに、気まぐれ。


Z世代

日本を変えるか
外国に逃げるか

この言葉をこの1年で何人から聞いただろうか。そのくらい、この国の若者は日本の未来に疲弊している。努力していないわけでもない、斜に構えているわけでもない、現実がそこにあるのだ。肌で感じる感覚は、何者にも勝る「現実」だ。

プライドと実力が見合っていない

Z世代に対して、これまたこの1年で何度も耳にした言葉である。世代間の考え方の格差は、トレンドの変わるスピードに比例してどんどん広がっている。こんな世界に、誰がした。政治が悪いのか、大人が悪いのか、子どもの質が悪いのか。

私は実力に見合わないプライドを持つ人間を、なんだか尊く思ってしまう。「個の時代」になってようやく、日本人は実力を伴わないプライドを持てるようになったのだから。

とにかくみんなが、ざっくりと疲れている。
でもなんだか、自分のことは割と好き。
嫌い嫌いと言いながら、つい自分をかわいがってしまいたくなる。そんな世代。

かわいくて、生意気で、愛せてしまうね。


この国は終わるのか

最近の報道を、そしてその報道のあり方を見ていると、この国はほんとうに終わっちゃうのかななんて思う瞬間が無くもない。無くもないということは、あるのだ。終わっちゃうのかな、って思う。

日本が好きですか?と聞かれれば私は好きだと答える。好きか嫌いか聞かれているのだから、好きか嫌いかで答えればいいのだ。

でも多くの人は、「日本が好きか」の問いに、日本がいかにダメかを答える。あまり回答になっていないわけだけれど、私はそれを聞くのにハマっていて、それぞれがそれぞれに面白い。

ありていな言葉で言うと、「好きの反対は無関心」なのであって、嫌いな理由が出てくると言うことはまだ希望を捨てていないような気がして嬉しくなる。そしてそのダメなところ全ては、日本にまだ改善の余地がある部分だったりするし、なんならダメなところを述べている本人がその理由の当事者だったりする。

政治への関わり方がわからない
社会への関わり方がわからない

手軽にすべてにアクセスできる時代に、すべてに振り回されて、すべてを見失ってしまうことは、果たして愚かなのだろうか。分からないことを分からないままに、「ああ自分あんまり分からないな」と思える気付きが、なんとなくある人はめちゃくちゃ救える気がしてしまって。あ、私がじゃなくて、その人自身が、その人自身の未来を、まだ終わらせなくていい気がしてしまうのだ。


個の時代

個の時代に生きる我々は、簡単に孤独になれる。個の時代は、孤の時代であり、少子化が進むこの国ではきっとこれから子の時代になる。子連れ様にキレている場合ではないのである。個が集まって、世界を作るのだから。孤な個と個が交わって、子を生んで、社会を築く。そんなシンプルで自然で動物的な「在り方」を、たまに思い出しては私は保守的だなあと思う。

伝統的で、本能的で、極めて動物的なことには、時代の変化で揺らいでも変わらないエロスがある。性的な意味ではなく、なんというか、尊さみたいなもの。

個の時代を生き抜く我々は個の思想を持って然るべきだけれど、自分たちが動物であることを忘れてはいけない気がしてしまうのだ。人は何も、特別では無いのだから。


まっすぐなもの、まがったもの

躁鬱の傾向があるのはなんとなく察していて、自分比で躁な時に考えることは、だいたい本能に基づいている。

誰かに対する感情ひとつとっても、指先が触れるだけで思わず身震いしてしまうほど誰かのことを愛しく思うことは、本当に最大の快楽だと思う。誰かを愛するということは、いつも気持ちが良い。

愛しさが毒に変わる時のあの醜ささえも、椿が枝から落ちるような儚さを感じて好きなのだ。一見歪んでいるすべても、どこかの角度から見ればまっすぐだったりする。誰かを傷つけない毒は、自浄できるならそれもまた尊かったりして。

まっすぐなもの、曲がったもの。
他人の愛に引き寄せられてしまうのは、それに触れたいと思う本能なのかもしれない。


政治と歪な愛

政治の世界はあらゆる方向への愛憎が渦巻いていて、なんだか癖になってしまうのだ。

まっすぐなものも曲がったものも、時折人を刺し殺してしまうほどの大きな思いも、それら全てが凄まじいエネルギーで、正直毎日向き合うには非常に疲れてしまう。一度知ったが最後、死ぬまで目の前に存在してしまうのが政治。それを取り巻く愛憎に、心を乱されては死んでしまう。

この国の未来は、愛で保てているんだと思う。
だからきっと、大丈夫。

あなたに愛している人がいるなら。

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