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なんで政治に興味持ったの?に求められてなくてもお答えします

政治について何かを書くと、興味を持たれないどころか人が離れていくのがある種の当たり前になりつつある今、それでも書いてみたいと思った。私も含めて、「政治」に積極的に携わる人は口を揃えて"関心のない"人を嘲笑する。関心がない人たちにももちろん問題はある。でも、私は関心を持たせられない側にも問題があると思っているし、関心がある人が無い人を少し下に見るその界隈臭が人を遠ざけていると心の底から思う。だから私は、界隈にいながら一部界隈が大嫌いだ。

私のnoteを読んでくれてる人の8割くらいがいわゆる政治界隈からの入りではないからこそ、あえて私がこのコンテンツに対する私のイロイロを書いてみたいと思う。つらつら。少し長くなるが、ぜひ読んでほしい。


先生になりたかった

現実的に今最も効果のある社会のアプローチは、やはり政治か教育だと思う。「システムを変える」か「人を変える」かのどちらかだ。

大学に上がる時、私は学校の先生になりたかった。好きな先生がいたとか学校が楽しかったとかそういう気持ちもないわけじゃないけど、私に教員という目標を与えた大きなきっかけは「生徒指導」だった。

3年生の夏、私は生徒指導の対象になった。まあ、好き勝手やっていた高校生だったと思う。だけど、呼び出された時、何で呼び出されたのかは分からなかった。心当たりも無かった。呼び出された先で、私と、1人のクラスメートのLINEのトーク画面が印刷されたA4の紙を見せられて、これはなんだと聞かれた。そこには私と、折り合いの悪かったクラスメートの子の会話が印刷されており、私は私の言い分を書いていた。もちろん自分が送ったものだったけど、これはなんだと聞かれても答えられない。でも、そこに書いてあったのは私の意見であり、法に触れることも書いてなければ死ねや殺すなんて言葉ももちろん書いた記憶はなかった。だからなんで、個人間のやりとりが第三者によって文句を言われるものになっているのか、それが否定されるべき内容なのか、私には分からなかった。

その後のことは正直あまりはっきりと覚えていない。ただ、机を4つ並べてその周りを人がギリギリ通れるくらいの広さの空間に、2人の相性の悪い先生と共に閉じ込められて、怒鳴り散らされて、「お前が悪いと認めなければ警察に行く」だの、「クラス全員に問い詰める」だの、そんなことを詰問された覚えがある。私は男の人の怒鳴り声を聞くと過呼吸になってしまうのだが、そんな私を見たもうひとりの先生は「あんたがそんな被害者になれる立場じゃないでしょ」「人間としておかしい」と、息ができなくなる私の横で喚いていた。

「生徒指導」という期間は、反省のためにある。隔離され、多くの先生たちと話す時間を与えられ、反省文を"書かされた"。正直、余計に分からなくなってしまった。先生たちの中には、個人間のやり取りの中で、その内容でそんな指導になるのはおかしいと言ってくれる先生もいたし、この経験をバネに頑張りなさいなんて的外れなことを言う人もいた。思い返せば、あの件を本当におかしいと叫んでいたのは私のことを元から気に入らなかった先生たちばかりだったのに。我慢しなさい、あなたの言い分もわかる、そう言いながらその問題の本質から目をそらし続ける人間が教育者として在り続けることが気持ち悪かった。私は"大人"が嫌いになった。

意見を言うことは悪なのか。向けられる悪意に言葉を返すことは悪なのか。私を隔離したことで、何か良いことはあったのか。大人が100%悪いと言えないもので、子どもの人格を否定することが許されて良いのか。

息ができなくなる私の横で私を軽蔑した目で見るあの教師を、私は一生忘れることはないだろう。私のような思いをする子を二度と出してはいけない。そう思って、私は学校の先生になろうと思ったのだ。


私が政治に出会った日

「先生になりたい」が過去形になったのは、大学3年生の初め頃だった。さっきの冒頭で、「世の中を変えるためには政治か教育しかない!」なんて書いたけど、そんなことに気付いたのはつい最近のことで。

教職課程を進むうちに、学校という組織の仕組みが分かってくる。そうしていくうちに、学校の先生になったからと言って、その枠の中で私のやりたいことはやれないのではないかと感じるようになった。学校という場所ではたらく「先生」たちに求められていることは、国が決めたことを決められた範囲の中で満遍なく一定の条件を満たすような子どもを育てること。つまり、決められたルールの下でそのルールに則って指導や学級運営を行わなければならないのだ。そんなこと分かっていた。分かっていたが、教員に求められることを学べば学ぶほど、同時に私があの時不信感を抱いた「私のことを否定しないのに声はあげてくれない先生たち」がなぜそうだったのかも分かった。その瞬間、私が目指すべきは教師ではないのではないかと思い、教員を目指すことをやめたのである。

その当時、イベントを通じて高校生の視野を広げる、平たく言えばそんな感じのイベント企画をやっていて、教員ではないにせよある程度の場を作ることで若い人たちにアプローチする方法があることは分かっていた。だから、プランナーやソーシャルワーカーのような立ち位置で、自分が苦しかったころの世代に関わっていけたら良いなと漠然と夢がシフトしていた。

玉木雄一郎衆議院議員、国民民主党の代表と初めて会ったのはそんな時だった。これが私の「政治との出会い」である。恥ずかしいとも思えないくらい当たり前に、私は政治を知らなかった。興味もなかったし、自分とは交わることのないものだと思っていた。だが、いろんな偶然が重なって、初対面で30分強、国会議員とほぼサシで自分のことを話さなければならないというまあまあ面白いシチュエーションに巡り合った。

ほとんど私の話がメインだったのだが、結果として今ほど政治に積極的に関わるきっかけとなったのが、後半ギリギリ、私の地元が鹿児島で、玉木さんの地元が香川、いわゆる「田舎」出身という共通点から起こった話。

大学生となり上京してきた私が多くの人と関わる中で、「私も東京で高校生活を送っていたら何か変わったかもしれない」と何度も思った。鹿児島の片田舎、電車もないようなところで生まれ育った私の悩みは、閉鎖的な環境から生み出されていたものがほとんどで、もっと多くのものに触れる機会があれば、もっといろんな人に出会えていれば、と、大学生になってからの出遅れ感に悩まされていた。もちろん、やろうと思えばできたことなのかもしれない。地方でも、頑張っている高校生はたくさんいる。それでも、都会に住む人々の価値観や多様性、そして日常に溢れる刺激は高校生の時の私が得たくて得たくて仕方なかったものだった。

「子どもは生まれてくる場所も、親も、環境も、選ぶことはできない。だけどどんな人にでもチャンスだけは平等に与えられるような社会を作ることが、政治の役割。」

玉木さんが言ったその言葉は、まさに私が作りたい社会そのものだった。同時に、どこの会社でどんな人たちの話を聞いても漠然とモヤモヤしていた、あらゆる"できないこと"の根源を解消するものが政治なんだと気付かされた瞬間だった。


とはいえ

21歳ぱにゃちゃんは、そんなことに気付いたところで、政治と関わるってどういうことやねんと思っていた。正直これは今も思っていて、政治は関わるものではないような気もしている。関わるとか関わらないとか、関心があるとかないとか、そういうものを差し置いてそこに存在するもの、それが政治なのだろうなあと、政治赤ちゃんのぱにゃちゃんはお昼のワイドショーを見て思っていた。

そのあと、立て続けに大きな出会いが訪れる。伊藤孝恵参議院議員との出会いだ。語弊を恐れずに書くが、玉木さんを"超政治家"だとすると、伊藤さんは"超政治家じゃない人"だったのだ。バチバチのエリート真っしぐらで若き国政政党党首として日本の真ん中に立つ玉木さんと、あらゆる職を巡り巡った後に全くの政治素人から国会議員になった伊藤さん。この、一見対照的な人間が同じ肩書きを持っている(衆参の差はあれど)ということが、これまためちゃくちゃ面白いなと思った。

伊藤さんは出会って2回目くらい、トータル30分ちょいしか話していない私に、「あなたは私に似ている」と言った。出会った瞬間から伊藤さんのことが好きだった私は、伊藤さんのSNSを追うようになった。政治との出会いにいたのが玉木雄一郎だとすれば、私の政治の入り口を開いたのは伊藤孝恵だと思う。

そこから、与党と野党の違いもろくに分からなかった私を「仲間」として事務所に出入りすることを許可してくれた伊藤さんを皮切りに、Twitterやテレビのニュース、あらゆる政治系イベントに参加する機会を経て、私は政治の面白さを知った。そして今は、自分がフリーランスとして活動しているクリエイティブの分野で政治にも関わってみたいなと日々いろんなことを模索している。


政治という親の話

私が政治に興味があるとか、政治界隈でたまにお仕事をしている旨を周りの友達、一緒に働く人、親に話すと、「は?あんたが?なんで?」というリアクションを120%確実に取られる。そのくらい、私と政治にはパッと見親和性がない。でも、だからこそいろんな人が話を聞いてくれるし、話ができるし、私もいつも偏らずフレッシュな感覚を失わないでいられる。国民民主党の看板やアドトラックを見かけた多くの友達が、写真を撮って、「ぱにゃのじゃん」と言って送ってくれるような環境になってきたことに、失笑しつつも面白いなと思う。

政治はどうしてもその単語の持つ敷居が高い。でも、今となっては政治に関わらず生きてくってどうやって生きてくの?というくらい、無意識に関心が向くようになっている。

「政治は生活」という言葉があるが、私は、政治は親のようなものだと思っていて、"誰しもが生まれた以上は何かしらの形で関わらざるを得ない、かけがえのないものにも関わらず離れたり失ったりするまでその重さに気付かない"みたいな。そういうやつだ。
私たちは生まれ落ちたその瞬間から国の仕組みのもとで生きてきた。去年までの私がそうだったように、そこにいるだけでは、有り難みも、その価値も、もはやその存在さえも霞んでしまうほど政治は当たり前にそこに存在している。政治に無関心でいられるということは、裏を返せばとても幸せなことなのである。同時に、政治という親が病気になったり、失われたりしてしまうと、国は一気に崩壊する。だから、政治の子である私たちがちょこちょこ政治を監視してあげなければいけないのだ。


政治に無関心な若者は悪かどうかなんて誰かに決められるもんじゃない

政治を知る/関わる手段は意外と簡単で、テレビから流れてくるニュースや、学校で習うことに少し疑問を持って見るだけでいい。昨今大変素晴らしい時代になっているので、少なくともこれを読んでいる皆様のお手元にはスマートフォンという素晴らしい文明の利器が備わっているはず。

分厚い本を開かなくても、専門家に会いに行かなくても、「なんでだろう」と思うことや、その疑問の対象に対して向けられる世間の声を、いろんな形で見ることができる。その色々に、少し目を向けるだけで世の中の見え方は90°くらい変わると思う。いや、90°分しか見えてなかった世界が、270°分くらい、見えるようになるはずだ。残りの90°は、無理して見なくてもいいと思う。

私たちには、国を作る権利が与えられている。
私たちが生きやすい世の中を、私たちが判断していい仕組みが日本にはある。まだあると信じたい。目の前のことを嘆く背景には、それがそうなってしまっている理由がある。自分が嫌だなと思うことの背景に何があるかを知ろうとすること、それが、生活を変える一歩であり、「政治に関心を持つ」ことにきっと繋がる。

政治に関心を持たない若者は悪だろうか。
私はそうは思わない。

これだけモノや情報が溢れる社会で、政治というコンテンツが埋もれてしまうのは、政治をする側のパフォーマンスにも問題がある。それは誰がなんと言おうと一因として絶対にある。でも、実際に政治を知る前の私と今の私を比べたときに、損をしないのは今の自分だろうなと思う。から、難しいこと考えたくない人は損したくないから知っとこくらいの気持ちで良い。

若者が雑に扱われてるとか、親が死ぬほど働いててしんどそうとか、奨学金とか、バイトしても苦しい生活とか、そういうの全部、本当にビビるほど世の中のあらゆることは政治に結びついている。だから、良いとか悪いとかじゃなくて、政治はマジで知ってて損はないと思うし、より多くの人が当事者意識を持つことで5年後10年後の社会は確実に変わると思う。少子高齢化が叫ばれる中で、母体数の少ない若い世代が政治を見ずして若い人たちの環境が変わるわけがないのだ。

私たちの親が私たちに幸せになってほしいと願うように、きっと私も子どもができたらその子の幸せを願うだろう。だから、今すぐに何か変わらなくても、自分と、自分の周りの幸せのために、私は政治と生きたいと思っている。政治と自然に共生できる時代を、私たちが作らなければいけないのだ。


あとがきのような何か

さて長くなりましたが、別にこの話にオチはない。ただ、「なんで政治に興味持ったの?」と聞かれることがとんでもなく多いから、どこかで私の今の政治観をまとめておきたいなとは思っていて、ここにたどり着きました。

私が政治に出会ったのは、1年前の11月26日。今日は私の政治赤ちゃん2年目のスタートなのです。去年の私と、今の私と、見えてる景色はだいぶ変わっていて、私はそれが良いとも悪いとも言えません。嫌なこともたくさん見えちゃう。でも、すごく面白い。それだけです。

私は投票権が権利である以上、分かりやすく関われる政治である"選挙"自体に行くことが目的になる政治勧誘が好きじゃないので、ここでみんなまずは選挙に行こう!なんてことは書かないし、先述した議員さんたちが所属する国民民主党を応援してね!なんてこともあまり求めていない。というか、色々な分裂があった結果これだけいろんな政党がバリエーション豊かに増えているわけなので、まずはぜひそれらを知ってほしいなと思う。知った上で、その選択肢に私が応援している人たちが入ってくれたら、それはそれでとても嬉しい。

物心ついたときには安倍晋三が総理大臣だった国で私は生きてきた。安倍晋三は悪じゃない、なんならウチらの青春JAPANを作ったと言っても言っても過言ではない(過言)。

でも安倍さんがそろそろ総理大臣じゃなくなるかも!という今、私のこの文章を最後まで読んでくれた人たちの中で本当に1人でも良いから、この後どうなるんだろうって考えてくれる人がいたら、私はこれを書いた意味があるなと思う。安倍さんがもっかい総理やればいいじゃん!という意見も、もちろんあると思うし。

オチはないけど、終わります。
高校生の私に届くといいな。
なんだかんだ、あなたの違和感は未来を作ってるよって。

おーわりっ


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