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#1 『科学者とあたま』

高校生のときに受験勉強でたくさん読んだ坂口安吾、寺田寅彦、鷲田清一あたりを今読んだらまた違う感覚が味わえるんじゃないかと思って今回は寺田寅彦の『科学者とあたま』を読むことにした。

簡単にまとめると、
・科学者になるにはあたまがよくなくてはいけない
・科学者はあたまが悪くなくてはいけない
この2つの一見パラドキシカルな命題から、「あたまのよさ」の「あたま」とは何を意味するのかを明確にしていく話だ。

いわゆる頭のいい人はある程度見通しがきくため、全体を見てわかった気になったり、リスクがあったり結果の価値を見込めないものに取り組まなかったりする
一方で、頭の悪い人は前途に霧がかかっているため楽観的で危険が伴うことにも物怖じしなかったり、常識的にわかりきったと思われることに疑問を見出す
そのため、分析力や推理力などのいわゆる頭の良さも危険や失敗を気にせずに新たなことに飛び込む頭の悪さもどちらも持ち合わせている必要があるのだ。


受験生のときは読解として読んでいたのでそこまで自分の中にこの文章を落とし込めていなかったが、今改めて読み返してみるとすごく刺さるものが多いなあと、、

ここに書かれている頭のいい人の姿が自分に重なりすぎて自分が今まで目を背けてきたことを目の前に突きつけられたような感覚だった。
好奇心自体は旺盛でいろんなことに興味があるけど、新しい環境にとびこんだり新しいことを始めるときにリスクとか先のことを色々思い悩んで結果やらないみたいなことが多く、とりあえず後先顧みず行動していろんなことにチャレンジしてる人にいつも憧れを感じていた。

結果の価値が見込めないからとかリスクがあるからとかって理由をつけてチャレンジしないことを正当化してたのかなあなんて思ったり、、、

この話って基本的にはずっと理論だけの人と実践にうつせる人の対比で、理論だけ並べても実践して行動に起こさないことには何もしていないのと同じだといわれているような気がして今の自分を見直すいい機会になった気もする。


留学に来てから自分の性格において「恥」という感情が大部分を占めているのを実感していて、行動に移せないで机上の空論だけをどんどん広げてる自分って失敗とか新しいことに挑戦して上手くいかない自分を認めたくないっていう感情が強すぎるのかもしれないなって考えたりもした。というのも、恥という概念が日本特有のものであるということについてメルボルンで生活するようになってより考えるようになったからだ。


しかし、もしかしたら私は寺田寅彦が言うように「ただ『人間は過誤の動物である』という事実だけを忘却している」だけかもしれない。ある種この言葉が言い訳となってこの先失敗する自分を正当化してくれる、チャレンジへの一歩を後押ししてくれる支えの言葉になるかもしれない。

もういっそう頭がよくて、自分の仕事のあらも見えるという人がある。そういう人になると、どこまで研究しても結末がつかない。それで結局研究の結果をまとめないで終わる。すなわち何もしなかったのと、実証的な見地からは同等になる。そういう人はなんでもわかっているが、ただ「人間は過誤の動物である」という事実だけを忘却しているのである。

「科学者とあたま」 寺田寅彦


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