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【句集紹介】吉野の花 原石鼎句集を読んで

・紹介

原石鼎(はらせきてい)は大正期に活躍をした俳人の一人である。

秋風や模様のちがふ皿二つ
秋風に殺すと来る人もがな

と言う句に代表されるように、小生は、

「秋風の俳人」

として石鼎のことを記憶している。(上の句は同じ柄の皿を買いそろえる余裕がないほどの貧困を。下の句は不倫駆け落ちをした際、相手の夫が、自分を殺すために、秋風とともにやってきたらいいな、という願望を詠んだ、かなりロックな句である)

虚子に師事し、ホトトギスの同人であったわけなのだが、作風は写生の匂いを残しながらも、俳諧味に溢れ、豪快にして自由。ホトトギス全盛の大正期において、石鼎のような作風の句は異様な存在感をもっており、どちらかといえば、自由律俳句の種田山頭火に近い『感覚的』な句が多い印象である。

いいかえればとても現代的な句なのである。

本句集は、家業(医)の修学を諦め、文士として放浪の旅をしていた石鼎が、帰郷前に立ち寄った吉野において詠んだ句以降をまとめたものである。

立ち寄ったと言っても、足掛け2年ほど吉野に滞在することになる石鼎。よほど帰郷したくなかったのであろう。しかし、そんないわゆる、逃避地において俳句に開眼するのだから人生何があるのかわからない。(ちなみに帰郷後、医者である父親から医者になれなかったことを叱責され、勘当。再び旅に出ることになる

「深吉野の石鼎」と虚子に称された、俳句に目覚めたての石鼎のみずみずしい感性を、厳選10句から、感じてもらえあれば幸いである。

・厳選10句

鹿垣の門鎖し居る男かな
頂上や殊に野菊の吹かれ居り
高々と蝶こゆる谷の深さかな
花影婆娑と踏むべくありぬ岨の月 

(*岨(そば)…山の切り立ったけわしい所。がけ、絶壁の意。)

あから様に月みせる木の間ありにけり
寂しさに又銅鑼打つや鹿火屋守 

(*鹿火屋守(かびやもり)…秋の季語。秋の稲田を獣害から守るための監視小屋。そこを守る人のこと)

秋風や模様のちがふ皿二つ
秋風に殺すと来る人もがな
下萌や鳥籠吊れば籠の影
門の花静かに白し花曇

・作者略歴

明治19年(1886年)3月19日生まれ。島根県出身。家は代々医師。本名は鼎(かなえ)。京都医専中退後放浪の旅をする。やがて、高浜虚子にみとめられ、大正4年上京してホトトギス社に入社。10年「鹿火屋(かびや)」を創刊、主宰。飯田蛇笏、前田普羅らと大正俳壇で活躍した。昭和26年(1951年)12月20日死去。65歳。(デジタル版 日本人名大辞典+Plu参照)

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