見出し画像

死ぬことも人生の行為の一つ【超訳】自省録18日目

・今日の超訳

自らの義務を果たすことも、死ぬことも、人生の行為の一つに過ぎない。故に、環境がどうであろうが、周囲の人が何と言おうが、死ぬ間際だろうが、気にせず自分の義務を果せ。

・引用原文(第6巻2章より)

「君が自分の義務を果たすにあたって寒かろうと熱かろうと意に介すな。また眠かろうと眠りが足りていようと、人から悪く言われようと責められようと、まさに死に瀕していようとほかのことをしていようとかまうな。なぜなら死ぬということもまた人生の行為の一つである。それゆえこのことにおいてもやはり「現在やっていることをよくやること」で足りるのである」岩波文庫 神谷美恵子訳 自省録より

・ちょこっと解説

・「現在やっていることをよくやること」とは小生が高校時代、最も衝撃を受けた哲学者、シノペのディオゲネスの格言である。ディオゲネスは犬儒学派(ぼろ服で過ごす。地べたで寝る等「自然のままに生きる」ことを原始的な思想を持った哲学一派)に属し、ろくにものを持たず樽の中に住み、哲学にふけったという哲学者兼狂人である。しかし、多くの人から愛され、アレクサンドロス大王をして、「生まれ変わることができるのならば、私はディオゲネスになりたい」とまで言わしめたという逸話を持っている。

・マルクス・アウレリウスも少年期、犬儒学の教えを実践して、「真実好き(ヴェリッシムス)」と呼ばれていた。皇帝になり、犬儒学の教えからは離れる人生になっても、心の中で犬儒学の教えは生き、影響を与えていたという証左だろう。

・繰り返し指摘になるが、マルクス・アウレリウスは生も死も善悪で測れるものではないことを、何度も自省録中で著している。そして、死は恐れるものでないことも指摘している。マルクス・アウレリウスの死生観は、失敗を極度に恐れる世代とも呼ばれる小生らゆとり世代の人々に是非届けたい。失敗しようが恥をかこうが、死んだらチャラである。そして、自分の義務に誠実に努めているのであれば、外野の戯言などまったく気にしなくていいのである。


最後まで読んでいただき、ありがとうございます!楽しんでいただけたら幸いです。また、小生の記事は全て投げ銭形式になっています。お気に入り記事がありましたら、是非よろしくお願いします。サポートやスキも、とても励みになります。応援よろしくお願いいたします!