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寝かしつけるのも大変!病気の自覚の無い認知症の母の自宅療養 

(「認知症の母 肺炎だけじゃなかった~!病気発覚」の続きです)
 私の母は2019年に認知症とわかり、2022年5月には要介護2となりましたが、介護サービスをフル活用して一人暮らしを続けています。今年(2023年)早々に肺炎になり、しばし自宅療養することになりました。検査で肺気腫で心不全になっていたことが判明。肺炎は予想してましたが、驚きの病が発覚し、私の理解力も対応力も追いつかない…。
 医師に自宅療養と言われ、「はぁ」と答えるのがやっとでしたが、冷静になってみたら認知症の母が自宅療養なんて無理~!どうする、私!?

 病院から実家に帰ると母は部屋着に着替え、リビングのソファーにどっかと座り、目を閉じ動こうとしません。ソファーのある場所が家で一番暖房が効いており暖かいこと、また身体全体がむくんでおり、目を開けているのもかったるい状態だったからです。
 しばらくすると「寒い」と何度も繰り返すので、昨年まで使用していたガスストーブをリビングまで持っていき、「家の中が寒すぎるから、これ使おう。」と声をかけましたが「使わない」と返事。使い方を忘れたのか…、ううむ。火を使用した暖房は、認知症の母には危険と思っていたので、それ以上すすめることはできませんでした。
 室内の寒さは厳しく、エアコンだけでは家の中が全く暖まらなくなっていました。部屋は隣室とつなげて開け放しているのに、母はリビング一部屋分の出力しかないエアコンを設置。エアコンの出力が実際に使用する部屋の広さの1/2未満なので、仕方ありません。実際の広さに合わせたエアコンにすると、価格が跳ね上がるのでそうしたのでしょう。認知症になるかなり前から、母の貯金は無くなっており、家計は自転車操業状態でした。カードで服を買い続けるより、エアコンの方が大事なのに…、愚かな母です。

 暖房で対応できないなら、着て寒さをしのぐしかありません。服をチェックすると、防寒下着を着ておらず薄着…。これじゃあ寒いのはあたり前!そうだった、母は服装の調整も自力でできなくなってるんだった。
私:「お母さん、こんな薄着では暖房つけても寒いよ。医者から安静にと言われてるから、もうパジャマに着替えて寝て。」
母:「誰か来たら出なきゃならないから、このまま座って休んでるからいい。」
私:「誰かが来ても、具合悪いんだから出なくていいの!来ても大した用事じゃないから、ほっといていいの!医者に寝ているように言われてるから、着替えて寝て!」
母は認知症のため、新しい記憶を保持できません。この会話を10回以上繰り返しつつ、なんとかパジャマに着替えさせ、寝かせました。

母:「寒いから湯たんぽ。お湯をわかすから起きる。」
私:「今お湯をわかしてるから、寝てて!」
母:「寝てると誰かが来たら困る。」
私:「具合悪いから、出なくていいの!」
母:「湯たんぽのお湯沸かす。」
湯たんぽを入れるまで、この会話の無限ループ…。湯たんぽを布団の中に入れると、ようやく落ち着きました。んん、掛布団の下、タオルケットしか無い!寒いよ、これじゃあ!
服の調整も出来なくなってるんだから、寝具の調整も自力じゃ出来ないですよね…。見落としてました。押し入れから毛布を出して、掛布団の下に入れます。
母:「毛布、日に干してからじゃないと臭う。湿気てるし。」
私:「大丈夫、湿気ても無いし、臭ってもいない。」
母の「毛布干せ」コールは、めんどくさくなり無視。

 母は一人になったら安静にしないとならないことを忘れ、また寒い部屋でソファーにすわり続けそうです。ソファーの前の机の上、カレンダーの下、台所の机の上、玄関前の扉、玄関ドア、5箇所に「外出禁止。肺炎のため、絶対安静、寝る。寝ないと肺炎が悪化し、入院する。」脅しも入った貼り紙を貼り、母に「寝てるのよ。寝ないと入院よ。」と声をかけ、実家を出ました。
 その日は19時に実家に電話をし、届いてる宅配弁当を食べるように、食べたらすぐに寝るように、母に伝えました。

 4日後の次の診察まで、自宅療養することになった母。私が4日間ずっと実家に通うのは無理。帰宅後、我が家で家族会議をし、この自宅療養をどう乗り切るか、方針を決めました。
 この自宅療養をどう乗り切ったは、「病気の自覚の無い認知症の母の自宅療養 続編」で。


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