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在宅介護、被介護者1人につきせめて2.5人のマンパワーが欲しい

在宅介護が幸せにできている、おじいちゃんやおばあちゃんから、いつもありがとうって言ってもらえる。
今までお世話になったんだから我々が介護するのは当然のこと。
そんな家庭もないこともないのかもしれない。

何ヶ月、何年、何十年、
介護はどのくらいかかるか、正直よくわからないケースも多いと思う。

私の祖母は脳出血を起こし、後遺症で右麻痺が残った。
リハビリはしたが、基本的には車椅子とベッドの生活だ。
祖母は幸い運動神経が抜群で、杖があれば歩けるようにまで回復したが、祖母の気力が続かなかった。
病になり、不自由な自分を受け入れることすら、つらかっただろうことは今にすれば想像に難くない。

意識はいつもとてもしっかりしている。
言葉も救急搬送された時とは断然違い、かなりしっかり話せる。

祖母は所謂家付き娘。彼女が生まれ暮らした家に帰ってまた一緒に暮らしたい。
父の想いが一番強かったように思うが、祖母本人も同等に家に帰りたいと願った。

私もそれは当然だと思った。
祖母は生まれてこの方、70年以上この家を土地を離れたことがないのだ。
祖母にはご近所友達も多数いる。
きっと甲斐甲斐しく会いに来てくれるだろう娘も2人とも外孫たちひ孫たちとも車で15分程度の距離だ。
彼女の想いを尊重したい、私も祖母の自宅での少しでも快適な暮らしの一助になりたいと考えた。




舐めていた。完全に在宅介護を舐めていた。
完全に家族、叔母や叔父、いとこたちの言葉を信じたことも、甘々だった。



父はまだ現役サラリーマン。
弟は公務員数年目。
妹は学生。
専業主婦の母と仕事のドクターストップがかかっている私。
そして、早期退職後悠々自適だが、足に生活に支障のない軽い事故の後遺症を持つ祖父。

誰が介護のキーパーソンになるか、必然的に母だった。

介護は嫁の仕事というか、時間が空いている人がやるものかな?
母は用事がなければ家にいることも可能だし、車の運転もできるので、各種手続き等も可能だ。
それだけではなく、確かに父が仕事を辞めるには早すぎる。
当時は短絡的にそう思った。

でも、今思えば、正直辞めてもらってもよかったような気もする。
介護離職のすすめでは決してない。
あまりにも父は介護に無関心で、非協力的だったから、結果的にそう思うようになってしまっただけの話だ。
自分の親なのに、父の妹2人もそうだった。
身体が不自由になった祖母に、叔母たちは力になろうと会いには来ることはなかった。

祖母は自宅に戻った生活では杖をついて歩くことは叶わなかった。
持ち前の運動神経で車椅子への移乗は得意だ。

祖母は基本ベッドで過ごす、脳の病気は再発もある。
だが、祖母の部屋に誰かがつきっきりで過ごしてはいられないのが現実だ。
家庭内に用事や異変を知らせるための、チャイムを祖母が押しやすいところに設置した。
少し安心だ。

ーーまさか、このチャイムがあんなに頻繁に鳴るとは思わなかった。

祖母は脳出血を起こす前から、若い頃から、強迫的とも言える頻尿だった。
ベッドに寝たきりになり、祖母も不安だったのだろう。
その強迫性が増した。

15分、短いと10分、5分足らずでトイレに行きたいとチャイムを鳴らす。
認知症で少し前にトイレに行ったことを忘れている訳ではない。
本当にその時々でトイレに行きたいのだ。

車椅子に乗せて、トイレの介助をし、また車椅子からベッドに戻ってもらう。

しかし、また何か用事の続きをしようとするとチャイムが鳴る。

さっき行ったばかりだから、今は行かなくても大丈夫だよ、なんて言葉は届かない。
絶対にトイレに行く。
日常的に在宅しているのは、母、私、祖父。

祖父は日中は遊びに出かけたり、庭仕事をする。
母は主婦としての無給の家事や買い物などの仕事がある。

私はよく休んで回復を待ちましょうという状態なので、可能なら自室にいたい。

が、祖母をトイレに連れて行く、部屋に戻る、また祖母のトイレ介助のループ。

母も祖父も積極的にトイレの介助もした。
祖父は夜もお構いなしのトイレ介助を意外にもがんばった。
私も不眠という特性上、夜間も動いた。

母が生活に必要な買い物に出かけたら、私が必ずやらなくてはならない。
20分すら祖母だけを置いて留守にすることはできない。

タイトルの訴えが伝わっただろうか?
そして、ここまでの介護に関しての実子である父の存在感の無さ。

あまりチャイムが鳴らない時、祖母は眠っている。
それがいつかは毎日予測がつかない。

ケアマネさんと医師に相談し、夜は眠剤を飲んでもらいましょうと提案を受けた。

介護経験者は聞いたことがあるだろう。マイスリーの処方。
しかし、祖母のトイレへの強迫的な想いはマイスリーの効果を超越する。
眠剤の効果でフラフラふわふわしながらも、やっぱりトイレに行くまで譲らない。
夜間、祖母の転倒の不安があり、祖父1人では連れて行けない、私も一緒に介助する。

眠剤は祖母の危険と家族の負担が増すだけとなり、処方は無くなった。
このような眠剤取り止めまでの一連の流れも経験がある方も多いかもしれない。
理由については、それぞれ、認知症のための徘徊だったりするかもしれない。介護が必要になる人の昼夜逆転問題は深刻だが、なかなか解決も難しい。

認知症介護の経験は、私は実はない。
想像だけでは語れないが、やはり1人で介護するなんて本音は厳しいのではないだろうか?

私が体験した在宅介護は、3人でやっとまわっていた。
それでも、介護する側のやりたいことは全て後回しか諦める。
まだ祖父も当時は戦力側だった。

半年足らずで母と祖父、合わせて10kg以上痩せてしまった。
母は、以前と変わらずの食事量を作り、母も祖父もしっかり食べていた。
祖母は多少の介助は必要だったが、片手でも器用に綺麗に食事を摂ったので、他の家族も食事は割と以前と変わらずに摂れていた筈なのだ。
私は痩せようがないくらい元から痩せているのに、それでも痩せた。

私のメンタルも悪化していたが、家族に訴えることは出来なかった。
母の心身の負担を慮り、父とは更に分かり合えなくなったと思った。
弟妹は論外、まだ若く未来ある人生を絶賛邁進中だ。

介護ってとにかく人員が必要なのだ。
介護離職するしかない人もそれは出てしまう。
今の社会構造上、当然の流れになってしまう。
でも、それは明るい人生の選択とは私は思えない。
なのに、この現実をしっかり受け止められる人間は結局経験者だけなのだ。
もしくは介護従事者の方。

だから、経験者の1人である私が微力ながら発信してみた。
影響力のない私が発信してみた。
深刻な社会問題なのに、経験しないとわからないことがたくさんある。

だから、この記事は誰かに届くといいなと、こればかりは心から願う。

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