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「いじめはなくならない」っていじめって言葉を遣うからだと思うよ
だって、
それって犯罪だよ
って教えれば、かなり抑止力にもなるのに。
そして、きちんとその重さに向き合わせてあげたらいいのに。
それでもわからないとなると、シンプルにケアが必要。
それでも、ことが起こったら、被害者のケアが最重要。
そして、加害者の本気の反省と更生と家庭環境のフォローもめちゃくちゃ本気で必要。
連鎖させないなら、ここが重要だとも思う。
被害者の声と子供がいじめに遭ったらかわいそうって思う声は聞くけど、自分の子供が加害者になる心配の声は少ない。
自分の家庭が歪だと親も家族の誰もが気が付かないのだから、どうにもならないまま。
加害者も未成年だから守るとか、人権があるとかで(それはそれで大切なんだけど)、本当の声は簡単には聞けない。
だからだろうか、
大人になってもいじめがある。
社会人になるとハラスメントって言葉ではまろやか過ぎるもので亡くなる人もいる。
そう、ここ数年で湧き上がる様々なハラスメントも度を過ぎれば、単に条例違反や犯罪行為だ。
いじめがなくならないのは、いじめで終わらせる社会だからだと思う。
その上、学校や会社が認めないのは建前上のことなのかわからないが、認めて対処することが何故一般化しないのだろう?
管理責任だから?
この件については、管理責任から外して考えてみたらどうだろうか?
教室で起きたことも、会社の中で起きたことも、担任1人のせいでもなければ、上司1人の責任でもない。
更にその上の誰かの責任として罰するとかペナルティを与えることではない。
いじめやハラスメントと呼ばれるものについては、私はそれでいいと思う。
責任者が加害者である場合はもちろん除いて。
いじめもハラスメントもまろやか過ぎる言葉なのに、その言葉に逃げるのは何故なんだろう?
刑事罰がない年齢でも、誕生日を迎えれば急に刑事罰が適用される年齢になる時が来る。
なのに、なんで教えないんだろう?
いじめはなくならないって諦めてる社会が私はなんか嫌いだ。
いじめられたんだけど、いじめはなくならないって体でなくす気がない社会が嫌いだ。
なくならないから、いじめられないための対策をするのが最適だと考える人もきっと嫌いなんだと思う。
現状は被害者をフォローすることに全力な社会になるのが第一歩なのかもしれない。
でも、大人が諦めたらずっと続いていく。
いじめが。
読んでくれる人が限られた私のnoteだけど、今日は真剣に感情を書いてみた。
感情だから、批判されてもいい。
私はいじめって言葉がこれまでもこれからもきっと嫌いだ。
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