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高3男子 夏の憂鬱 ss

——7月最初の日曜日
 もう一時間も机に向かっている。進路希望の用紙は白紙のままだ。
 2階の部屋の窓の外には、緑地公園の木々が青々と茂り、紛れもない夏を感じさせていた

 6月のインターハイ予選で早々に敗退し、バレーボール部を引退した熱血部員達は、コントの早着替えのように受験生になってしまった。いや、ならざるを得なかった。それが進学校であるうちの高校の習わしだからだ。
 毎年この時期には高校の授業範囲は終えていて、夏休み前にも関わらず、一気に受験対策モードとなる。
 その切り替えの儀式となる進路希望の提出日が明日だ。
 三年生に進級する前にも提出しているが、この時期もう一度進路希望を提出し、個人面談が行われる。

 正直、行きたい大学や、学びたいとことというものが思いつかなかった。大学に進学することは既定路線ではあったが、どこにするかまでは、これまで具体的に考えてこなかった。
 同級生の中には、一年の時から志望校が決まっていて、赤本だの青本だのを常に持ち歩いている者もいた。そうでない者もこの時期には、自分の希望と実力を天秤にかけながらターゲットを絞っているのが普通だった。

 地方都市にあるうちの学校には不思議な慣習がたくさんある。進路希望に関して言えば、第一志望は国立大学というのが暗黙の掟だ。
 実際多くの生徒は国立大学志望なのだが、中には有名私立大学が本命の者もいる。その場合、第一志望には適当な国立大学を記入し、第二希望に本命校を書いて提出する。そして、通称「隠れ慶応」とか「隠れ早稲田」という風に、世を偲ぶ仮の姿で進路指導を受けるのも長年の伝統になっていた。

 白紙の用紙を見つめ暫く考えた末に、第三希望の欄に「立教大学理学部」と書き込んだ。
 それは坂下真由美の志望校と同じだ。
 直接聞いたわけではないが、確かな情報筋から「坂下は隠れ立教」と聞いていた。彼女は文系、自分は理系なので、学部は異なると思うがしかたがない。レベル的にもギリ範囲内だ。

 坂下真由美は、一年の時に同じクラスで、当時はいくらか話もする仲だった。彼女はバトミントン部のマネージャーで、練習時間中は少しも休まず、散らばったシャトルを集めたり、練習の合間に飲む麦茶を用意したり、試合形式の練習時に得点係などをしていた。
 そんな彼女がこちらを見ている暇はないと分かりつつも、週に三回あるバトミントン部が隣の練習日には、いつもにも増して気合が入った。

 志望校がない自分には、一つだけ条件があった。それは地元を離れるということ。正確には実家から通えない大学に進学して、家を出るということだ。
 父は酒癖が悪く、寝るまでグダを巻く人で、聞いているとムカついてくる。自分の不幸を人のせいにして憂さを晴らしている。不幸と言っても息子の自分から見ても自業自得で、ただ自分に言い訳をしているようにしか聞こえないそれは、ほぼ毎日繰り返される。たまに母が嗜めようものなら、物が飛んできて、決まって何かが壊れる。
 この家から出ていけるなら、大学はどこでもいいとさえ思えていた。東京でも大阪でも、どこか遠くであればあるほどいい。

 大学の偏差値が載っているサイトで大学を探そうと指でつらつらスクロールしながら、自分が行けそうな大学があると学部案内をクリックし、一通り読んでは閉じ、また他の学校を見ては閉じるを繰り返した。
 探すという行為は、探し物があるときに成立する行為であって、あてもなくサイトを徘徊したところで、お目当てのものが見つかるはずもない。果たしてサイトの終わりまで来ても、これといったところは見つからなかった。
 それでも第三希望だけ書いて出すわけにはいかないので、立教大学に近いという理由だけの大学名を二つ書いて、カバンにしまった。

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