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病気じゃなくなるのも怖い

ほんじつのおもひ
病気はいやなのに元気になりたくない


拙文を読んでくださるかたがた、なじみのかたがた、ありがとうございます.
本当にありがとうございます.


精神疾患とは長患いで、かなりの付き合いになる.
身体疾患もつらいが、精神疾患もつらい.
そのわりに、治る/寛解を望まない自分がいる.


◆「大丈夫」「元気そうだね」で不安になる

わたしは、主治医や心理士さんに「健康そう」と言われると、こわくなる.

抑うつ状態は苦しいことにかわりはなく、自分は幸せになってはいけないという暗示めいた考え(過去記事)とは矛盾するが、苦しいのが好きなのではない.
↑ちょっとここ文章の組み立ての順番が分からない.

・心配してほしい.
・かまってほしい.
・かわいそうな自分かっこいいー.
・不幸に酔っているのよ.

いっこずつ考えるも、意識的にはどれもぴたりとはこない.
無意識では、心配してもらい続けたい気持ちがあるようにも思う.

精神が安定しているからと主治医に言われてカウンセリングや精神科受診の間隔が長くなると、不安で心がもやもやすることが多い.
だいじょうぶとか、正常と見なされると、途端にこわくなる.

わたし:今日は頓服の処方なくて大丈夫です!
主治医:そうだね、元気そうだもんね、だいじょうぶね.

すかさず、「そんなことない、わかんない、大丈夫じゃない……」が浮かぶ.
口にはしないで、笑顔を作って病院をあとにするのだけど.


◆自信がない? 甘えていたい?

だいじょうぶだという自信がないから、他者に太鼓判を押されると不安になるのだろうか?

精神疾患を楽しんでいるわけではないし、障がい者となってなにかを享受したいわけではない.

このあたりの自分の心理は、どうなんだろう.
だって、お薬を毎日飲むのをやめたい.
お仕事だって、求められることをやりたい.

なのに、だいじょうぶだとか元気そうだとか言われると、表面上笑っても、「まだ大丈夫じゃない」と、「反論」する自分がいる.
ねっこでは、だれかに心配してもらいたい、支えてほしいと思っているのだろうか.
甘えているのだろうか.


◆通院の口実? ふつうが想像できない怖さ?

健康だと思われると不安になる.
不調でいれば、病院に通っていられるから.
抑うつ思考等等がなじみになっていて、ふつうの自分が想像できない、つまり得体の知れない状態になることを恐れているから.
そうだな、書いていて思う.これが近いのだろう.
「見捨てられ不安」を持っているわたし.
もはや、病院が居場所になっている.
元気になれば病院に行く必要はない.
だから、健康になるのがこわい? そういうこと?

生きていてはいけない自分が病院に通院すれば、ほかに生きたいひとの迷惑になる.医療費だって公費に頼っている部分がある.
病院に行く口実がほしいのだろうか.といっても、日本においては、たいていのひとが、医療を受けられる「権利」を持っている.わざわざ病んでいると思われる必要などないような気がする.


心は本当に難しい.
確かなのは「元気だと言われると不安になる」であり、なぜそう思うのかは説明できない.
矛盾も人間のさがなのだろうが、わたしが病んでいることを手放したくないのは、いったいどうしてなのだろうか(正解を認めるのはこわい――).

要読み返し・付け足し可能性あり・表現不足

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