42歳限界ワーママの、嫁、妻、母、企業人、個人のブレンド状況
結婚したら「奥様」とか「お嫁さん」と呼ばれ、子どもができたら「お母さん」と呼ばれ…
自分が薄まっていく思いがするという話はよく聞く。
確かに、お母さんになった途端、おしゃれだった人が、急にすっぴんでボサボサになったりするから一大事だ。もはや別人だもの。
年末に「嫁業も妻業も、なんもできてなくてやばやば」とぼやいたら、noteの世界でお世話になっているまるさんかくさんが興味深い視点から記事を引用してくださった。
もし解釈を間違えていたら申し訳ないけど、まるさんかくさん視点はこんな感じだろうか?
「女性としてさまざまな仮面をつけて演じ分けるのでなく、私は私でありたい」
きっと、まるさんかくさんはどこにいても何をしても「あなた」なんだ。けども、どうやら、一番自分が自分でいられると思う「職業人」から一歩離れて「母」とか「嫁」とか「妻」とかの文脈に立つ時、どこかしら着心地の良くない洋服のように私っぽくない私がむくむく立ち上がって違和感があるのではないか?と思う。
周囲がそれを期待したり、無意識に自分でそのような責務を課したり?、「ジェンダー」もいうのがひとつのキーワードのよう。男性は結婚しても息子のまま、子どもができても独身の自分を保持している人、いるもんなぁ…と思う。
きっと、まるさんかくさんは古くからの友人といるときや、職業人でいるときが心地よく過ごせるのかもしれない。そこまで自分の軸が確立してるってすごく素敵なことだと思う。
さて、ここから私の話をしたい。
いきなりだけど、自分にはなんの価値もないと思って長年生きてきた私は「年収」というものができて「助かった」と思った。生きてていいよと言われた気がした。
結婚するときの配偶者に求めることはただ一つ。「私にサラリーマンでいさせてください」。そうでないと死んじゃうとすら思っていた。
幸い、「どんどん稼いでいいよ!ぼく家事も育児も苦手だけどねぇ、ははは」という感じの稀有な男性と結婚した。子どもができても「収入」がない自分は存在価値がないと思っていたから「母」の役割の一つに「現金収入を得る」が内包されている家族に恵まれたことはラッキーだった。よって母という役割はうまく私と統合されていった。
もちろん、母であるからには稼ぐだけではダメだ。子の健康を維持し、躾をし、学びを促し、将来に種を蒔き、安心安全な居場所を守る。これはやりがいがある大仕事だった。学習意欲を掻き立てられるし、仕事と生活をどう両立するかチャレンジするのが楽しかった。
子どもの希望が些細なことでも叶っていくのを見ると嬉しかったし、子どもたちの成長を見るとずっと無価値な人間だと思った私に価値が芽生えきた。神様は、無価値だと思って下ばかり見てる私を不憫に思い子を授けてくれたのかもしれない。
この点、まるさんかくさんは確立された自分のままでご家族と出会ってるので、素敵な人生だなあと思う。
せっかく家族一緒に生きているなら、夫の夢も叶えようではないか!と妻業の統合も図っていく元気も出てきた。かつては子宝に恵まれたら妻と嫁はクリア、と勝手に思っていた世間知らずな自分に喝を入れたい。
さまざまな業の統合はこれからだ😂
現在地はこんな感じ。
私という人生の個人事業主が私だとしたら。
現金収入は企業人としての私から
友人などの人的資産は独身時代の私から
冥土の土産は子どもたちから
人生を閉じゆく基盤を妻の私から
金も家も失った時の社会的な帰属意識としては嫁の私から…
というように、さまざまな私から資産を引っ張ってきて生きていると思う。
だから、友人、子どもに関わる人(お医者さんや先生やママ友)、夫や義理家族、仕事で関わる人は私という人生事業の取引先のようなもので、多少の相性というものがあるから緩急つけつつ大切にしていきたいなぁと思っている。
んで、嫁や妻に関しては、昨年ほぼ活動できてなく0点に近いので改善の余地がある。と言っても、母親業もサラリーマン業も赤点だったと思うけど😂
点数より大事なのは、自分が笑顔で前を向いて過ごせることかな?と思う今日この頃だ。
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