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定時に帰る人が管理者になることで解決する問題があるのでは?

ここ最近、これまで仕事をサボったツケなのか仕事ムードにどっぷり浸かりnoteの記事がお仕事ネタばかりである。

しかしながら、私生活では、自分の食べかけや嫌いなものをよだれのついた手でつかみ私の口に放り込む2歳のちびすけのせいで風邪を引きかけてすでに死んでいる。

大人の風邪はなかなか子どもにうつらないのに、子どもの風邪は大人にすぐうつるし、打撃が強いのなぜ!?

さて。

昨日、「人が辞めていく職場、やる気を吸い取る職場」で何が起きているか観察して分析した記事を書いた。

もちろん、他のパターンもあるだろうけど、こちらもまたあるあるなのか、思ったより読んでくださる方がいたようで…ありがたやありがたや。

クオリティを高めるという大義名分で際限なく口を出す上司やステークホルダー、仕事のプロセスも結果もコントロールできない無力感に、上がらない仕事の効率や評価。

これらにやる気を削がれる人々。

私はちょっとズルいが効果がありそうな策を思いついた。

それは、一定の時間制約の中で仕事の成果を出すことにコミットした人が管理者になればよいのではないかということである。

無制限に時間をかけて、結局、時間をかけない場合と何が違うのか分かりづらいなんてあんまりだし、効果の最も高い方法を決められた時間内でやることに重きを置いた方が良い気がしている。

時間をかけたらよいものができるから時間をかけたい、という人が勝手に時間を使うのも困りものではある。しかし、過剰労働で離職が相次ぐよりマシに思う。

管理者は不必要に人の時間を食ってはならないのではないだろうか。とすれば、管理者が手に負える仕事の総量にリミットがあるのがよいと思う。(もちろん、人が根本的に明らかに足りない辛い状況の方もいる。しくしく。)

リミットは人間であれば実質的に24時間日あたり、というのがあるのだか、持ち越し持ち越し全てを使い尽くそうとする人はどちらかと言うと時間制約のない人が多い気がする。

ちなみに、私の過去のすばらしいと思える上司たちはやむを得ない場合を除き基本残業しない派が多い。だから、ワーママが、とかは言わない。

ただし「良い仕事」の指標に、仕事は時間あたり効率を、ぜひ取り入れていただきたい!

それによって、救われる人たちがいるのではないかと思うから。

あれ?これはタイパの話なのか? 
最近の若者に学ばなければならないかもしれない。

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