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子どもの成長記録。落とし物なくしものの多い小1男子へ。大切なものをなくす気持ちがどんなか味わってみようか。

消しゴムは3個、鉛筆削り2個、鉛筆1本。
この春から小学一年生になった息子のなくしものの数だ。

鉛筆は保育園の時からあるストックだし、消しゴムはしまじろうや生協の景品だし、鉛筆削りも使わなくなったクーピーから拝借しているから、気も軽い。

けど、なんでそんなに簡単になくせるのか、疑問に思う。もちろん、名前シールはもれなくつけている。

消しゴムは、2回戻ってきたから(のべ5回なくしている!)ちゃんと落とし物を確認したりはしているようだ。一応、ランドセルには予備の消しゴムを入れてあるけど、毎度使わずに帰ってきている。後ろめたさか、なくすことは良くないと思っているとは思う。

保育園や幼児教室では物をなくして帰ってくることは一度もなかった。先生たちに手厚く見守られフォローされているのだろう。やはり、小学校は一段レベルアップしていると思う。

我が家はいわゆる甘やかしタイプだと思う。
折り紙や落書き帳、カラーペンなどはどんどん使っていいよと言って前のめりに補充してきた。本も、常に年齢に先んじたものが棚にある。

かと言って、使いきれないほどの物を持つことはなく、服や靴はくたびれるまで使い倒すし、買い物自体をそんなにしない。その代わり、物を買ってもらえないことへのコンプレックスや、物に対する執着を薄くしてあげたいと心の奥底で思っていた。

「古くなったらより合うものを買おう」「なくなったらまた買えば良い」など、物ならまた買えることを示唆することが多かった。私はものをそうそうに買い与えられないおうちの子だった。その反動な気がする。

そうしておきながら、「このiPad動作が悪い!新しいのが欲しい!」などと息子に言われると、簡単に買い替えられないよ!とモヤモヤする。

とある日、息子が持ち物につけていたお気に入りのキーホルダーがなくなっていた。

しっかり摘んでカチっと外さないと外れないはずのものなので、盗られたのかも?と不安にもなる。けど、どこかに引っかかって取れたのかもしれないし、学校に伝えるべきか悩む。そもそも、学用品でもないもので、なくして困るものは学校へ持参しないのが常識。学校に持っていく持ち物につけなければよかったと後悔した。

お気に入りだけあって、このキーホルダーは息子のお守りだった。

私は悩んだ。
同じキーホルダーを買ってあげるべきか。

このキーホルダーは出かけた先で買ったものだ。

実は楽天市場に同じものが売っていることを確認した。買い物かごに入れようとして、手を止めた。

大事なものをなくした「喪失感」を味わうのもいいんじゃないかと思ったからだ。
イジワルだろうか?

値段に関係なく、思い入れのあるものは替えが効かない。ないことで大切なんだとより深く感じるだろう。そんな気持ちもまた息子の心を耕してくれる気がした。

簡単に買い替えられないとわかっているからか、新しいのを買ってほしいとは言われていない。まだ、学校にあるかもしれないよと伝えている。自分で探そうとするだろうか。それもまたよい経験だと思う。

昔、二十歳のお祝いに母からプレゼントされたネックレスをなくしてしまった。それも外国で。持っていくべきではなかったと後悔している。それからずっと探してもう20年以上。もう見つかるわけがないのだけど。

結果として母からもらったものの中で一番、そのネックレスについて考えてる時間が長いし、大切にしているもの一位なんだと思う。なのに手元になく、矛盾している。

こう考えていくと、大事なものっていうのは、それ自体がないと困るというより、そのものに込めた想いの濃さやものにまつわる思い出の彩りの豊かさなんかのほうに大事さが隠れていると思う。

母のネックレスの例だと、それは母と私の関係性だ。私の母親は「娘にしてあげたいこと」に対する想いが強かった。ネックレスはその象徴だ。

そんな母を重荷に感じたこともあるけど、歳を重ねそれが母なんだと温かく受け入れ始めた。なくしたネックレスは、当時重荷から逃げたかった私の無意識の現れかもしれない。結果として、なくしたことでより逃げられなくなった。

いつか母を失っても、不在のネックレスを介して母を思って過ごした時間の積み重ねが私を支えてくれるのかも、とぼんやり思う。

ゆくゆく、息子の心の中に残る大切なものがどんなものか。楽しく想像しながら見守りたい。

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