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弟という存在の不思議。

私は長女で2歳下に弟がいる。

弟とは不思議な存在だ。
幼少の頃には姉にくっついてまわり、基本的には甘えん坊でどこか頼りなく、姉の母性本能をくすぐる。

しかし、多くの男児がそうなように、小学校中学年くらいから「女子なんかにバカにされないぞ!」というオーラが出始めて中学生ともなると、もはや姉にくっついてなど来ないのである。

高校生にはお互い普通に会話ができて、親のしょぼいところなどを語ったりして、一回だけなぜか一緒に服を買いに行くことになり店員さんにカップルと間違われた。

これと言った思い出もなく日常的なやり取りも少ない我が弟。

顔だけがやたらとよく似ていて、性格や興味関心も友人や配偶者のタイプも全然異なる姉弟という関係はこの世にたったひとつの特別なものだ。

さて、そんな長女だった私のお腹から誕生したのは2人の男の子である。

兄は7歳、弟は2歳。
歳が離れているので「一人っ子を2人育てているみたい」というのが正しい感想なのだけど、やはりここでも弟とは不思議な存在だと思わされる。

兄はかなり個性が強く、何事も一筋縄ではいかない難儀な可愛い奴である。そんな兄の動向に人一倍アンテナを立てているのが我が家の弟、ちびすけだ。

兄について回り、兄が手に取るおもちゃに片っ端から興味を示し真似して遊ぼうとする。

全然操作できないのにSwitchをいじくっている姿はいじらしくて胸が締め付けられる(残念ながら兄が制限時間を使い果たしタイマーが切れた画面ばかりを見ている)。

パパにおねだりして1日の最後のご褒美であるYouTubeタイムを堪能していても、兄がピアノ練習を始めるとすっ飛んで行って鍵盤の端っこを叩こうとする。

邪魔だよ、とかやめてとか言われて可哀想だけど一生懸命駆け寄っていく姿にまた胸が締め付けられる。

兄が怒られていると気にして心配したり親と一緒に声かけをしてくれる。

兄が宿題の苦手なところにつまづいてパパとバトルしていると、すでに自分は寝かかっているのに起き上がりママママと訴えてくる。ママを兄のところへ連れて行き手伝ってあげてと言わんばかりにママを兄に押し付けるのである。

これには驚いた。普段、パパに厳しく言われママが甘すぎると怒られながらも助け舟を出しなんとか事なきを得るのをよく目にしているからだろうか?宿題が終わると満足そうにママを連れて寝床に寝に帰った。

兄の誕生祝いにいただいた「にじいろのさかな」という絵本がある。

美しい装丁、短くまとめられていながら大人の心にも響く内容、谷川俊太郎さんの訳、と間違いがない本で7年近くずっと大活躍。兄もよく読んだお気に入りの本で、かつ弟も頻繁に読んでいる、それも長い期間、というのはそうそうない。

突然、弟はこの本を兄に読んでもらいたがり、何度も頑なに兄に読んでもらっていた(よくやるページの早送りをしつつ)。

よく似た顔の兄弟が並んで座り、ちょうど兄が今の弟の頃よく読んでいた本を読み聞かせている現場を見て、私は胸に迫るものを感じた。

なぜこんなにも弟は兄が好きなのか。

兄も好きだった本を兄に読み聞かせをリクエストし、兄がお気に入りだった服のおさがりをかつて兄がそうしたように毎日のように着て。

兄が学校や習い事で家を出る時は、自分が風邪で休んでいるのに裸足でも一緒に出かけようとして…。

そして、兄のほうも、普段他人に好意をむき出しにしないくせに弟だけは可愛がっている。

そしてこの2人、私と私の弟のように顔だけやたら似ていて性格はだいぶ違う。

胎内記憶がある子どもの話をまとめた本ではよく、兄弟は母親の体に入る前に天国で一緒に遊んでいた仲だという話が出てくる。先に産まれた上の子が下の子の到来を予言するとか。こうした話は本当かどうかはわかり得ないけど、我が家の2人を見ていると、確かに縁あって見えない絆で結ばれているのだろうなとは思う。

2歳の弟は2歳の頃の兄にそっくりだ。
イヤイヤ期を抜けた3歳児はどこか、神様からの授かり物である赤ちゃんの扉を出て子どもの入り口に入ってしまうような、子どもの階段をひとつ登る感がある。人間社会のメンバーになる。

けれど、兄と弟が一緒にいる姿を見ていると、この子たちは、今の世の中の人たちがもう全員いなくなるくらいの遠い未来にまたどこかで巡り会うんじゃないかとすら思えてくる。

もしそうなら、私は近くを通りかかる猫にでも転生して見守ってみたいものだ。

つくづく、子育て体験は不思議に満ち満ちている。

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