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照魔機関 第2話 保護施設の怪異

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10月14日 6時31分 北みとし山中

「ウギャアアアア」

 山の中でキノコ狩りをしていた男性は手を止めた。甲高い叫び声が聞こえた気がして辺りを見回すも、紅葉した木々の隙間から朝日が差し込んでいるだけで人影はない。耳を澄ますも、鳥の声すら聞こえない。不気味なほど静かだと思った。

 男性は首を傾げ、視線を地面に戻した。

「ヒイイイイイイ」

「誰かいるのか!?」
 気の所為じゃない。上の方から、確かに悲鳴が聞こえた。

「何かあったのか?」
 声の主は呼びかけに応えなかった。代りに、女性のすすり泣く声が聞こえてきた。

(こんな山の浅いところで遭難者かい? それとも、熊や猿に襲われたかね)
「おーい! どこだー?」

 不審に思いつつ、山の斜面を登った。声は段々近づいている。

「大丈夫かー?」

 声の主は、やはり彼の問いに答えない。男性は僅かに聞こえる泣き声を頼りに足を進めた。

 斜面を登り終えて辺りを見回し、彼はある一点を見つめた。木々の間に、しめ縄が飾られた石が台座に据えられているのが見えた。その周りにはいくつかの石が積まれている。

「おみとしさま……」
 手を合わせて石を拝んだ。

「うウゥ……」
 呻き声は石が積まれた方から聞こえた。
 着実に近づいている。おそるおそる石の方へと足を進めた。

「ううっウウウゥ」

 足を止めた——呻き声が随分と低い所から聞こえたからだ。

「ウウぅウうゥゥウ」

 積まれた石の後ろから、呻き声は聞こえてくる。
 何故だか冷や汗が流れ出した。額と背中をぐっしょりと濡らしながら、男性は石の後ろを覗き込んだ。

「わああああああ」

 そこには、バラバラになった人間の体が積まれていた。切断された両手の上に乗せられた首が、目を見開いて男性を見上げている。遺体は男性のようだった。しかしその口から、女性の呻き声が聞こえていた。

「ウウウゥゥ」

 遺体の髪が伸び、顔が別人に作り替わった。長い黒髪の間から覗くその顔に、彼は見覚えがあった。

10月14日 照魔機関K支部

 ヘリコプターから降りた四辻と逢を、小太りの男性が出迎えた。

「お待ちしておりました。K支部 支部長の柳田です」

「未特定怪異特別対策課の神無かんな四辻よつじです」
「同じく、日暮ひぐらしあいです」

 柳田は早速二人を屋上から建物の中へと案内した。彼は暑いのか緊張しているのか、額に浮かんだ玉のような汗をハンカチで拭っている。

「先程、鏡様からお電話をいただきました。万が一に備え、懐刀であるあなた方を遣わすと……。まさか鏡様がここまで当支部を気にかけてくださっていたとは夢にも思わず、感動のあまり受話器を落とすところでした」

 柳田は感動に声を震わせている。その様子に、逢は照魔機関内での祭神の影響力をひしひしと感じた。

「しかし、委員会の許可がなければ、いくらお二人でも村にご案内することは……」

「はい、承知しております。こちらで待機しつつ、支援するようにと仰せつかりました」

「ありがとうございます。ですが一応、現在村で起こっている天井下がり事象の捜査記録をお渡ししておきます」

 四辻は柳田からファイルを受け取ると、閉じられていた数枚の紙に目を通した。

「昨日発生したばかりなのに、よく一日でここまで調べられましたね」

「職員を総動員していますから。K支部はみとし村で新たに事象が発生した場合、速やかに捜査を行い報告することが義務付けられているんです」

「道理で、先程から支部内が慌ただしいと思いました」

 待機用の部屋に案内される途中だが、既に忙しそうに走り回っている調査員や、険しい顔でどこかに連絡している捜査員の姿がちらほらと見えた。しかし、支部の中が騒々しい理由はそれだけじゃないらしい。

「実は、村でまた遺体が落ちてきまして、それの対応に追われているんです。それなのに、警察からも人を寄越せと連絡がありまして……」

「おや、別の事件ですか?」
 四辻が尋ねると、柳田は困ったように頷いた。

「二時間ほど前、警察署に軽トラックが突っ込んだと連絡がありました。幸い怪我人は出ず、被害も大したことなかったようですが、運転手の様子がおかしいから、念のため診てほしいとのことで……。そういった対応はあちらの方が上手いでしょうに」

 そう言って柳田は苦笑したが、四辻は何かを思案するように顎に指を添えた。

「柳田支部長、運転手は今どちらに?」
「結局、連れてきて保護することになりました。そろそろ輸送車が保護施設に到着する頃です」

 柳田が腕時計を眺めた時だった。窓際で電話をしていた支部の捜査員が駆け寄ってきて、柳田に耳打ちした。逢と四辻はその内容まで聞こえなかったが、報告を聞いた柳田の顔が瞬く間に険しくなったと感じた。

「申し訳ございません、急用ができてしまいました。すぐ別の者にお部屋まで案内させますので」
「また新しい事件ですか?」

 四辻が聞くと、柳田はハンカチで額の汗を拭った。

「いえ、今さっき話していた軽トラックの運転手のことで、ちょっと……」「もしよければ、ご一緒させていただいても?」

 詳細は不明だが、四辻が食い気味に発言するのを見て、逢は怪異が絡んでいると察した。

「私は構いませんが……お二人はまだ、お荷物も下ろされていませんし……」
「このままで大丈夫です。中身はほとんど捜査に使う物なので」
 逢が答えると、柳田は二人の荷物を見て目を瞬かせた。

10月14日 照魔機関K支部 保護施設前

 四辻と逢は柳田の後をついて別館の保護施設へと移動した。保護施設はヘリポートがある本館から数メートル離れた位置にある長方形の二階建てで、逢が思っていたよりも新しそうに見えた。

「綺麗な建物ですね」
「うん。でも記録によるとこの建物が作られたのは1970年代だね。何度もリフォームされてるみたいだ」

「記録によると1939年にみとし村付近の町で、村人が錯乱状態で発見されたそうですね。調査を進めると、村の周りではそういった目撃情報がいくつも確認できたとか……。この施設は、その人達の為に作られた施設を立て直したのしょうか?」

 逢が確認すると、柳田が説明を始めた。

「この建物が建つ前、ここには戦後すぐに建てられた木造の保護施設がありました。完成してすぐ、最大二十人収容できた施設が満床になったそうです。戦争中に膨れ上がった鬱憤と不安が爆発して、そのような事になったと当時の調査官は記録しています」

 そう言って、柳田はカードを翳して入り口の鍵を開けた。

「ここ数年は使われませんでしたが、有事に備え、いつでも使えるように設備の手入れは行き届いているはずです」

 重いドアが開くと、建物の奥から何かの鳴き声が聞こえた気がした。耳を澄ましてよく聞いてみると、それは動物の鳴き声ではなく甲高い人の悲鳴だと気付いた。逢の表情が強張ったのを見て、柳田は苦笑いしてハンカチで顔を拭いた。

「機関の設定する防音の基準は満たしてます」

 何か言いたげな二人の目を柳田は無視して説明を続けた。

「この悲鳴の主は先程お話した、軽トラックの運転手でしょう。私は忙しさのあまり、ついおざなりな対応をしてしまいましたが、警察機関は優秀ですね。ちゃんと保護の対象者を連れてきてくれました。運転手はみとし村の村民で、今朝山にキノコ狩りに出発した後、異常行動をとるようになったそうです」

「悲鳴からして、女性ですかね」
逢が聞くと、柳田は「あっ」と声を漏らした。
「すみません、うっかりしておりました。村人という報告は受けたのですが、性別までは……」

 柳田はハンカチで額を拭った。気温はそれほど高くはないので、ストレスを感じているせいなのかと、逢は思った。

「しかし、村人が異常をきたしたのは山の中ですか……。異常を起こさせる原因は村の中にだけあると思っていたんですが」
 四辻は独り言のように呟きながら、建物の床や天井に視線を這わせた。

「そこは少し気がかりではありますが、村民ですので、おそらく錯乱した原因はいままでと同じだと思います。60年代から70年代は目撃がなく、抑え込みに成功したと思われていましたが、70年代半ば頃からごく稀にですが、村に入ってしまった運の悪い他県からの旅行者や、村に移り住んだ人間、一部の村人に症状がみられました。頻度は確実に減りましたが、消せたわけではないんです」

 柳田はそう説明したが、四辻は何かを思案しているのか、首を傾げる仕草をしている。

「まあ、精密検査の結果が出れば原因は分かります。最近は凄いですよね、穢れの量も測定器を使えば数値化できるそうじゃないですか。一昔前は霊感持ちの感覚に頼るしかなかったので、特定の職員にかかる負担が膨大だと問題視されていました。機関の研究部には本当に頭が下がります」

「科学は怪異に立ち向かう人間の武器ですから」

 突然目を輝かせた逢に、柳田は少し驚いた表情を浮かべた。四辻の口からは笑いが漏れた。

「昔から科学者達は怪奇現象に向き合ってきました。有名なのは、発明王トーマス・エジソンが研究していた霊界通信機でしょうか。彼は人間の魂もエネルギーの一つと捉えて研究を重ねていたそうです。
 他にも、霊媒の体から放出されて霊体を物質化させると考えられたエクトプラズムなどがありますが、当機関の研究部はそれらの研究を下敷きに研究を重ね、遂に怪異は——依り代という物質と霊体で構成された異次元の生き物——だということがわかったんです。
 そうなるとこの世に生きている肉体を持つあたし達と彼らの違いは何なのかと疑問が湧いてきますが、物質と霊体の比率だとか、霊体の強度の違いが関係しているんじゃないかと、今も議論がされています。測定器の発明はこの問題を解決する手掛かりの一つになるんじゃないでしょうか」

 逢は「それから——」とまた口を開こうとして、柳田が呆気にとられたような顔をしているのに気付いて我に返った。

「す、すみません。つい……」

 顔を赤くして俯いた逢に気を遣ってか、柳田は朗らかに笑った。

「なかなか面白いお話でしたよ。もしかして、日暮捜査官は、元は研究部に所属されていたんでしょうか?」

 そう言いながら、柳田は管制室と書かれたドアを開けた。

 逢は入ってすぐ、いくつか置かれているモニターが目についた。映像はどれも空の部屋を映しているようだが、何の意図をもって設置されたカメラとモニターなのかはすぐにわかった。

「あれ、担当者は席を外しているようですね……。まあいいや、簡単に説明させていただきます。このモニターに映っているのが、保護対象がいる部屋の様子です。安全の為、壁は入り口も含めて全てクッションで覆われています。レベルに合わせて拘束などの処置をさせていただきますが、全て安全の為です」

 逢の想像通り、保護対象を監視するための設備のようだ。空の部屋を映しているだけなのに、逢はモニターの映像に寒気のようなものを感じて僅かに身震いした。

「錯乱の治療方法はないんでしょうか?」
「いえ、一つだけ治療薬があります、イレイザーですよ。ですが使用した後もしばらく状態は安定しませんから、この施設は必要です」

「イレイザー……?」
「はい、あのイレイザーですよ。あれも便利ですよね、開発されてすぐは副作用が強すぎると問題視されていましたが、最近はそれもほとんどなくなったとか。私は情報部の出身なので、現役時代重宝させていただきました」

「柳田支部長」
 四辻が唐突に口を開いてモニターのうち一つを指差した。
「一つ故障しているようです」
 画面は真っ黒になっており、右上には「信号なし」の表示が出ている。

「ん、あれは——」柳田の顔が強張った。「保護された村人がいるはずの部屋です。先ほど担当からは、問題なくカメラは動いていると連絡があったはずですが……」

「たしか、精密検査の最中だったはずですね。部屋に案内してください」

 四辻の声に緊張の色を感じ取った柳田は滝のような汗を流した。

10月14日 照魔機関K支部 保護施設地下

 案内役の柳田先頭に廊下を抜け、階段を地下へと駆け降りる。部屋がズラリと並んだ地下の様子はまるでホテルのようだと場違いな感想が逢の頭を過った。

「一番奥、右側の部屋です。か、鍵はこれを……」

 体力の限界を迎え、ぜぇぜぇと鍵を差し出した柳田を置いて、四辻と逢は部屋の前へと廊下を駆け抜けた。悲鳴は廊下に反響しており、どこから聞こえているのか最早わからない程になっている。

 預かった鍵を差し込み、目的の部屋の引き戸に手をかけた四辻は、すぐ後ろにいる逢に視線を送った——危険だから下がって、ということらしい。逢は頷くと、四辻の影に隠れた。

 勢いよく開け放たれた部屋、遮蔽物がなくなった悲鳴はさらに大きくなった。四辻の後ろから部屋を覗き込んだ逢の目に、四畳半の部屋の中の様子が映り込む。中央にはスラックスとブラウスを着た小柄な女性が一人、背中を向けて蹲り、後頭部を両手で押さえて顔を床に押し付けるようにして泣き叫んでいる。
 部屋の中を見回すと、電極の外れたポータブル脳波計や測定器らしき大型の装置が警告音を鳴らした状態で置かれているものの、他に人影は見えない。

 ようやく追いついた柳田は、部屋の中を見るなり青褪めた。

「こ、これは一体何事ですか!? うちの職員は!?」

「それを今から調べます」

 四辻は静かに答えると、部屋の中に足を踏み入れた。
 彼が躊躇う様子もなく当然のように中央で蹲る女性を起こそうとするのを見て、逢もおそるおそる部屋に入った。彼女は真っすぐ測定器に向かうと、画面を見て目を見開いた。

「四辻さん、気を付けてください! 穢れの値が測定範囲を超えて高値です」

「やっぱりか。道理で建物に入った時から美味しそうな匂いが……っと、邪悪な気配がすると思った」

「この建物に入った時から、ですか?」

 四辻の返事に逢は何かを思いついたのか、肩にかけたバッグを下ろし、中からハンディ機器を取り出して起動した。測定値をレシート様の紙で印刷して部屋の番号を書き込むと、部屋の外へと駆け出した。

「ひ、日暮捜査官どちらへ?」
「すぐ戻ります!」

 柳田は廊下を引き返す逢と女性を抱き起した四辻を交互に見ながらおろおろとしていたが、結局部屋の中に入って保護対象らしき女性の様子を窺うことにした。

 四辻は片手で女性を支え、もう片方の手の人差し指と中指を立てて女性の首の辺りを縦に切るような動作をした。その途端、ずっと泣き叫んでいた女性は糸が切れた操り人形のように脱力して倒れ込んだ。四辻は咄嗟に両手で彼女を支えると、そっと床に寝かせた。

「こ、これは……」
 女性の顔を覗き込んだ柳田は動揺のあまり声を震わせた。
「彼女は、うちの職員です! 保護対象の村人じゃありません、何が起っているのですか!?」

「彼女が村人じゃないことは後ろ姿を見た時からわかっていました。ブラウスとスラックスなんて、どうみても山に登ってキノコを採る恰好じゃありませんから。それより、お気付きですか?」
 
 四辻が人差し指を口の前に立てたので、柳田は自分の口を塞ぎ、周りの音に集中した。そしてあることに気付いた彼は、おそるおそる小声で四辻に話しかけた。

「神無捜査官、彼女は気絶したように見えますが、どうしてまだ……悲鳴が止まないのでしょうか」

柳田の言う通り、部屋と廊下にはまだ人の悲鳴が木霊している。

「反響しているせいでわかりにくいですが、悲鳴を上げている人は複数います。おそらく、この部屋で精密検査を行っていた職員の方々でしょう」

 四辻はそう言って立ち上がり部屋を出ると、向かいの部屋の戸を開けた。中には部屋の中央で蹲る白衣姿の青年がいた。それを確認して隣の部屋を開けると、同じように蹲る白衣を着た女性が見えた。次々と部屋を開けていき、職員全員がバラバラの部屋に閉じこもっていたことを確認すると四辻は、困惑した表情を浮かべた柳田に向き直った。

「神無捜査官、これはどういうことでしょうか。さっき私達がモニターを見た時、職員達は映りませんでしたよ」

「あの時はまだ、全員最初の部屋にいたのでしょう。しかし、僕らが一階の廊下を抜けて階段を下り、地下の廊下に着くまでに少なくとも二分はかかりました。その間に、職員の方々はこのようにバラバラに閉じこもったのです」

「で、ですが、なぜ職員達はこのような事を?」

柳田の質問には答えず、四辻はふわりと笑った。

「柳田支部長、この建物に響いている声、不自然だと思いませんか?」

「……言われてみれば、この施設の防音は徹底したはずなんです。それなのに、どうしてこんなにも響いているんでしょうか」

「それだけじゃありませんよ。ずっと複数の人間から、同じ女性の悲鳴が聞こえているんです」

 そう言われて、柳田は改めて職員達の様子を窺った。性別、年齢、体格が異なる職員達が、同じ女性の声を同じ声量で上げている。

「この声の主が全員を操り、このような行動をとらせたのです」

 四辻はそう言うと、視線を出口へ向けた。柳田も視線を向けると、ちょうどハンディ機器と紙の束を持った逢が戻って来るのが見えた。

「ざっとこの施設内の穢れの値を計測してきました」
 逢は息を切らしながらレシートを床に並べ始めた。

「しかし日暮捜査官、先程穢れの量が測定器の測定範囲から外れていると仰ったじゃありませんか」

「あの測定器は旧式なので融通が利きませんが、こちらのハンディ機器は新型です。たとえ妖怪変化のお腹に入っても、測定だけは正確に行えます」

 逢が答え終わるのと、場所の名前と数値の書かれたレシートを施設の構造に沿って並べ終えるのはほぼ同時だった。

「穢れの量ですが、建物の外はほぼゼロです。でもこの建物の中に入った途端、数値は旧式の測定器で測れないほど跳ね上がりました。建物の中は全体的に数値は高いですが、二階、屋上と、上にいくほど数値は下がります。
 そしてこの地下で最初に入った部屋と、この廊下、入り口付近の部屋の数値は同じです。この建物を覆う穢れの原因は、この土地にあるんじゃないでしょうか」

 逢の報告を受けた四辻は柳田に鋭い視線を向けた。

「柳田支部長、この建物が建つ前は木造の保護施設が建っていたと先程おっしゃっていましたが、戦後すぐのあの時代、まだイレイザーは開発途中だったはずです。ここに収容された人達は、どうなったのですか」

柳田はハンカチで滝のような汗を拭った。

「と、当支部が保管している資料によると、拘束により危険行動をやめさせるのには成功したものの、感染症や栄養失調、過剰な身体拘束による弊害で全員亡くなってしまったそうです。そのため当支部は、これを教訓に保護対象の安全と衛生面を重視し、この施設を建設しました。

 しかし、この施設ができて直ぐの頃、怪奇現象が頻発したそうです。そこでようやく、被害者達の怒りの念が土地にまで染み付いていたのだと気付いたのです。私達は、せめて彼らが安らかに眠れるように、毎年供養とお祓いを重ねてきました……」

 柳田が答え終わる頃には、廊下に木霊する悲鳴が収まっていた。ただエラーを起こした測定器の警報音だけが空間に響いている。

「四辻さん、あの測定器がエラーを起こさなかったことから、今日まで施設は正常に運営できていたと思います」

「僕もそう思う。あの声の主がここに現われたことで、この土地に眠る怒りの記憶が呼び起こされたと考えるべきだろうね」

 逢の測定値が警報を鳴らした。画面を見た逢は思わず息を呑み、四辻に向かって叫んだ。
「数値が異常に上昇してます!」

「うん、来るね」

 ——バチッ

 何かが弾けるような音が聞こえ、逢と柳田は階段の方へ目を向けた。廊下の奥で蛍光灯が音を立てて砕け、落ちるのが見えた。

「気配を消してやり過ごします。良いというまで声を出さないように」

 数枚の札を手にした四辻が二人の前に立つと、ふわりと白い糸が逢と柳田の周りを囲んだ。全ての蛍光灯が砕け落ち通路を暗闇が支配するのは、それとほぼ同時だった。

 目を凝らせば、微かに光が差し込む仄暗い階段の下に、何者かの姿が見えた。長い髪、小柄な影、女性だろうか……? 陽炎のように揺れる影は、瞬きの内に見えなくなった。
 逢は思わず口と鼻を押えた。生ごみが腐ったような悪臭が辺りに立ち込め始めている。測定器の数値は上昇を止めない。すぐ近くに何かがいる。

「囲め 囲め おみとしさまは笑って見てる 辻と境に目ぇ置いて 悪い子いないか見張ってる 次に閉じるのだぁれ

 耳元で、頭の上で、至る所で歌が聞こえる。縄や木が軋むような音が周りをぐるぐる回っている。
 四辻は札を手にしたまま、自分達の周りを回る気配を目で追っていたが、やがて通路の奥に視線を向けたまま動かなくなった。その様子を見て、逢は自分達の周りで聞こえていた音が小さくなっていくことに気付いた。

 四辻に声をかけようとして、逢はその寸前で堪えた。彼はまだ、声を出して良いとは言ってない。しかし——

「消えた? あっ」
 柳田が自分の口を押えるよりも早く、風を切る音が聞こえた。縄の軋む音と共に、首を押さえた柳田の体が宙に浮きあがった。
 驚愕した四辻が視線を向けると、上を向き、首を引っ掻いて足をバタつかせている柳田の姿が見えた。四辻は咄嗟に手にしていた札を投げつけた。

 断末魔のような甲高い声の後に、柳田が天井から落下した。落下の拍子に痛めたのか片足を押さえて呻いているものの、致命的傷はなさそうだ。

「……逢さん、彼を頼んだ。もう危険はなさそうだから」

 四辻はスマホを取り出すと、ライトで素早く辺りを照らした。通路の真ん中で光を止め、倒れている人影に駆け寄った。土だらけの野良着を着た男性が白眼を向いて気を失っていた。

「保護対象を発見したよ」
「あたしからもご報告があります。建物を覆っていた穢れが消えました。先ほどの、四辻さんの札が効いたようですね」

 柳田に応急手当をしながら、ハンディ機器を使った逢は安堵の笑みを浮かべた。

「そうだと嬉しいんだけど、今回は運が良かっただけかな」

 逢は思わず四辻の顔を見上げた。暗いせいで表情までは見えないが、苦笑するような声が彼の口から洩れるのを聞いた。

「さっきのあれは、本体じゃない。彼女は保護対象の村人を感化させ、自分の意志をここに運んだんだ。そしてこの土地に眠る村人達の怒りの念を呼び起こした。あれは、ただの幻だよ。だから僕の札で消えて、土地に染み付いた怒りの念も再び眠りについた」

 四辻はそう言って、困ったように溜息を吐いた。

「もし本体と会ったら、今のような対処はできないと思う。もう一度接触する前に、あれの正体を暴いて祭神に報告しておきたいな。そうじゃないと、今度は僕達二人共——あれに殺されてしまうよ」

 その後、痛みから回復した柳田支が応援を手配し、地下にいた職員全員と保護対象の村人は救出された。柳田を除く全員に目立った外傷は見られなかった。しかし怪異に襲われた全員の首には、縄で締めたような跡が残されていた。

日暮逢の捜査ノート

襲われた職員について

 支部の医療部と協力して検査を行った結果、あの保護施設にいた職員全員が、保護対象の検査を始めた直後からの行動を思い出せなくなっていると判明した。脳波に異常は見られず、四辻さんが言う通り、一時的に催眠状態に陥っていたと考えられる。

 被害者達の首についた縄で締めたような跡は痣になっているものの、検査結果を総合的に見て時間経過に伴い消えるものと結論が出た。施設内の医師と研究員が経過観察してくれることになった。

 柳田支部長の首にも同様の痣ができている為、同じく経過観察してもらう。レントゲンで見ると足は骨折していなかったようで、一安心。

 保護対象の男性の検査については、四辻さんに考えがあるらしく先に事情聴取をしてもらうことになった。医療部はすぐにでも薬(イレイザーという治療薬?)を投与する必要があるって訴えていたけど、四辻さんは譲らなかった。医師は一応納得してくれたみたいだけど、こんなに四辻さんが頑固なのも珍しい気がする。

保護対象の情報

 あたしが検査をしている間、四辻さんは保護対象の身辺調査を進めてくれていた。免許証によると、始めに聞いた通り、保護対象(田畑さん)はみとし村出身で間違いないらしい。彼の家族も、彼はキノコ狩りに行くまでは異常行動はなかったと証言したそうだ。

 以下は、事情聴取のビデオ記録を文字起こししたもの。
「」が四辻さん

「こんにちは。僕は捜査官の神無四辻です。お名前は、田畑さんでお間違えないですか?」

 あーあーあー
(田畑さんは奇声を上げながら、落ち着きなく体を前後左右に揺らし、視線を宙に泳がせている)

「軽トラックの助手席に、キノコが入ったびくが置かれていました。おそらく、今朝あなたが山に登って採ってきたキノコでしょう。今のような状態でキノコ狩りができたとは思えませんから、ご家族が言う通りあなたは山に登るまで、いつも通りに生活できていたのだと思います」

(田畑さんは時折奇声を上げ、体を揺らしている。椅子が床に固定されていなければ、椅子ごと倒れていたかもしれない)

(部屋の中に入ってきた医師らしき男性が、遠慮がちに四辻さんに何かを耳打ちした。おそらく、これ以上の尋問は困難ではないかと訴えたと思われる)

「そうだね。じゃあ、あと一つだけいいかな。田畑さん、あなたは僕の言葉を理解していて、わざと分からないフリをしているんじゃないですか?」

(一瞬、田畑さんの動きが遅れたように見えた)

「つい先程までは、あなたの意識はあの怪異の支配下にあったのでしょう。しかし、怪異が消えたことで、あなたは正気を取り戻した。あなたは僕達の話を聞いて、錯乱を装うことに決めたんだ」

(先程の医師が四辻さんの肩に触れて制止の言葉をかけた)

「僕の相棒は分析のエキスパートです。彼女にかかれば、あなたのそれが演技だとすぐに分かる。なので、取引しましょう田畑さん。あなたが本当のことを話してくれるなら、僕達はあなたとあなたの家族を保護すると約束します」

(田畑さんの動きが止まった。視線は四辻さんを真っすぐに捉え、彼を認識しているように見える。そして、深く頭を下げた。四辻さんの推理は当たっていたみたい)
(それを見た医師は驚いたように四辻さんから手を離して、後ろへと下がった。事情聴取を続けさせてくれるようだ)

「ありがとうございます、田畑さん。では早速、山の中で何があったか教えていただけますか?」

保護対象(田畑さん)の証言

 騙すようなことをして悪かった。村に帰りたくなかったんだよ。正直に話すから、助けてくれんかな。

(四辻さんが頷くと、田畑さんはホッとしたように話し始めた)

 兄さんの言う通り、俺は自分の山でキノコを採ってたんだ。村の人間は、里山に先祖代々の土地を持ってるんだよ。俺のは村の境界の近くにあって、村の中から行くよりも、北側の細い道を軽トラで登って、あとは歩きで獣道を登った方が早く着けるんだ。だから俺はいつもと同じように山を登って、境界の近くで作業してた。

 キノコが見つからなくなって、そろそろ帰ろうかどうか迷ってた時、声が上の方から聞こえた。たぶん、女の声だったと思う。

 誰の声だって? んと、……あぁこりゃ、何ておっかねぇことを……トミコ……。

(田畑さんの様子に異変が起こった。目は細かに揺れ、四辻さんを見ていないように見える)

 だってしょうがねぇじゃねえか。俺一人が何か言ったところで何も変わりゃしねぇ。それに、あんたを追い詰めたのは俺じゃねーぞ。兄貴達のやったことなんか知らねぇ。

 ウウウウウ

 ウワーーーー!!

(田畑さんは叫び声を上げて頭を机に叩きつけた)

 すまんかった! あんたの恨みはよくわかったから! あんたが村を呪ったんだって、村の奴らも分かってるから、だから許してくれェーー!

(四辻さんは素早く立ち上がり、彼を拘束した)

(医師は焦った様子でペン型の注射器を取り出し、田畑さんに注射したようだ。鎮静剤だろうか?)

(田畑さんが喚く声や机が叩かれる音で聞き取れなかったけど、四辻さんは医師に何かを抗議したように見えた。でも、医師は取り合わなかった)

(四辻さんは苦虫を嚙み潰したような険しい顔で様子を見ていたけど、田畑さんが落ち着きを取り戻すのを見て拘束を解いた)

(田畑さんは、何が起ったのか全く分からない不安げな様子で周りを眺めている)

 あの、すんません。軽トラに乗って山に行ったはずなんだが、途中から何も覚えとらんくて……。ここは警察かい? 何かマズイことしちまったかね……。

(田畑さんの記憶が欠落している?)

10月14日 照魔機関K支部 車庫


 逢が一通りの作業を終えた頃、タイミングを見計らったかのように、四辻から着信があった。内容はざっくりと、取り急ぎ山登りの服装に着替えて車庫に来て欲しいというものだった。
 
 逢が車庫に向かうと、彼女と同じようにウィンドブレーカーを着て帽子を被った四辻が一代の車の前でタブレッドを操作していた。運転席には支部の職員らしき男性がいて、逢に気付くとその場で軽く会釈をした。

 みとし山に向かって走る車の中で、逢と四辻はお互いに得た情報を共有した。四辻が山に登ろうと言ったのは、田畑が山の中で見た何かの正体を確かめたいと思ったかららしい。
 

黄色いマーカー:田畑さんが通った道
赤い点:村の境界

「田畑さんが入山したのはこの辺り。作業していた場所は、かなり村の境界に近いみたいだ」

「境界って、何か目印がないとうっかり超えちゃいそうですね。あたし達は入っちゃいけないことになってますから、ちょっと不安です」

「境界の上には、所々いくつも石が積まれているはずだから、すぐわかるよ。昨日の夕方まで村で発生中の、天井下がり事象を調べていた職員達がその辺りを歩いて、異常がないことを確認したらしい。何かあったとしたら、その後かな」

「ビデオを見ましたが、田畑さんは何かを思い出した途端、取り憑かれたようにおかしくなっていましたね。何があったんでしょう……」

「あれは最初の時と違って、パニックを起こしただけだよ。だからあんな処置をしなくても良かったのに」
 四辻が苦い顔をするのを見て、逢は首を傾げた。その様子に気付いたのか、四辻は「いや、何でもないよ」と取り繕った。

「約束通り、彼と家族を保護するように手配を進めてもらっているよ」

「そういえば、検査もせずに、よく彼のあれが演技だって分かりましたね」

「診療部がさ、検査もせずにイレイザーを使うなんて言うから、鎌をかけるしかないと思ったんだ。地下で彼を錯乱させた原因は取り除いたから、彼は正常に戻ったはずだと予想していたんだよ。
 彼がおかしくなった原因と、今まで報告された発狂の原因は別物だって、冷静に考えれば支部の職員なら分かるはずなのにね。施設内に怪異が発生したから、焦ってたのかな」

「あの、四辻さん……」
 聞こうとしたものの、いざその時になると躊躇してしまう。首を傾げる四辻の琥珀の目を見ながら、おそるおそる疑問を声に出した。

「イレイザーって、記憶に作用する薬なんでしょうか? もしかして、さっき田畑さんに使ったのも……」

「そうだよ」
そう答えて、四辻は視線を窓の外へ向けた。
「でも、後で彼のカルテを見てごらんよ。そしたら彼の症状が、君のその記憶障害とは全く違うってわかるよ」

 逢は四辻の返事がいつもより素っ気ないような気がしていた。記憶が頻繁に飛ぶ所為で、彼の事もあまりよくわからないはずなのに、なぜか納得がいかないことがある時の声色に似ていると直感した。

日暮逢の捜査ノート

疑問点

① 記録にあった通り、みとし村には人の正気を奪う何かがあるようだ。現在は支部の活躍で発狂の目撃件数は減っているけど、完全に封じ込められた訳じゃないらしい。
 でも四辻さんが言うには、今回の田畑さんの錯乱の原因とみとし村で調査されている原因は、別物のようだ。

② 田畑さんが恐れている呪いとは何か。保護施設の地下で見た怪異と関係がある? 彼はトミコという女性の名前を呟いていた。彼と村人達はその人の恨みを買うようなことをしたんだろうか。

次にすること

 私と四辻さんは田畑さんが見たものを調べる為、獣道を辿ってみることにした。積まれた石が村の境界の目印らしい。超えないように注意!