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照魔機関 第3話1/2 神の目と死の穢れ

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10月14日 北みとし山中 


「そろそろ村の境界ですね」
「今のところは異常なしだね。少し休憩しよう」

 逢は頷くと、リュックサックから飲み物を取り出して口に運んだ。その間も警戒を怠らず、視線を周りに這わせる事は忘れなかった。木々の間を吹き抜ける風は冷たいが、額に汗を滲ませた今は心地良い。陽の光に照らされた紅葉の天井は美しく、思わず気を緩めてしまいそうだった。

「ただの散策で終わっちゃいそうですね」

 冗談っぽく呟いた時、風向きが変わった。山の上から吹き下ろされた風に乗って漂ってきた悪臭が鼻を刺し、二人は素早く視線を斜面の上に向けた。木々に隠されて見えないが、そこに何があるのかは瞬時に察した。

 二人は一気に斜面を駆け上がったが、積まれた石の手前で足を止めた。

「あれが境界の目印ですか? しめ縄で飾られて、まるで道祖神様のようですね」

「見た目だけは似せたのかもしれないけど、全く違うものだよ。【神の目】と呼ばれているんだ。あれは主要道路にあるものから数えて39個目だね。あまり近づいちゃ駄目だよ。境界の外にいても、僕達はあいつに歓迎されないから」

「でも、たぶんあれの後ろにあります」

 四辻は周りを見回して、数メートル先に同じように積まれた石を見つけ、「そこの石と、あの斜め前に見える石を直線で繋いだのが境界だ。斜めになってるから、石の後ろを覗き込めるかもしれない」
そう提案すると境界に沿って斜面を登り始めた。

 逢も急いで四辻を追うと、石の後ろに異様な物が見え始めた。
 それは見たところ、バラバラに切断されていた。首は腹を台座にしておかれ、転がらないように両手両足で支えられていた。目は閉じているものの、口は苦痛の形に歪んでいる。それは場慣れした捜査官が直視するのも戸惑う程、猟奇的に飾り付けられた人間の遺体だった。

「逢さん、柳田支部長に連絡して。バラバラにされた男性の遺体を見つけた、境界の内側で神の目㊴の傍にありって」

「わ、わかりました!」
 逢はスマホを取り出すと、電波を求めて斜面を登り始めた。

 四辻は首に下げた双眼鏡で遺体を観察した。

(切断に邪魔だったのか、遺体の衣服は剥ぎ取られている。引きずられた際にできたのか擦り傷が頬や両手にあり、頭部には大量の泥が付着している)

 次に、視線を遺体から土の上に移した。

(被害者男性の物と思われる衣服が散乱。大量の泥が付着していて、所々破れている。遺体は引きずられたと考えていいのかな。遺体の周りには足跡が複数。ん……足跡の大きさと形、深さがバラバラだ。それにあの遺体の周りにしかない。でも、あの二種類の足跡は——)

 ——パタパタパタ

 すぐ傍を何かが走り抜けた。四辻は素早く双眼鏡から目を放し、辺りを見回したが、何も見えない。しかし目を下に向ければ、地面に小さな足跡を見つけた。

(子供の足跡だ。……裸足で山の中に?)

 足跡は途中で途切れていた。木によじ登った痕跡はなく、突然消えたように見える。
 ふと、傍の藪が風もなく揺れた。パタパタ、ガサガサと境界の内側で、音が絶え間なく聞こえ始めた。四辻は音の方から目を逸らさず、片手をポケットに入れたまま様子を窺った。

 突然背中が叩かれ、四辻は振り返りながらポケットから手を引き抜いて隠していた物を投げつけようとした——が、寸前で思いとどまった。

「わわっすみませんっスミマセン!」

 両手を交差させて後退る逢を見て、四辻は札を持つ手を下ろした。意識を先程音がした方に向けると、気配は消えていた。

「驚かせてごめんなさい。何かあったんですか?」

 逢に聞かれると、四辻は視線を土の上に向けた。子供の足跡の他に、大きさや深さが異なる足跡が増えていた。

「神の使いか。もしくは——」
 次に、バラバラにされた遺体に目を向けた。
「——土地の穢れの原因か。断定するには、遺体を持ち込んだ犯人を捜さないとかな?」

「さっきからずっと気になっていたんですが、村の境にある神の目って、みとし村の記録にあった【おみとしさま】という怪異の目のことですか?」

 四辻が頷くのを見て、逢は続けた。

「やっぱり、おみとしさまは村の神様のことだったんですね。記録には——機関の職員は境界を超える前に、必ず祓いの儀式を済ませること——と記載されていましたが、文字通り目の前に遺体という穢れを持ち込まれたのに、おみとしさまは怒らないんですか?」

 そう口にして、逢はハッと片手で口を覆った。

「もしかして、今朝の騒動はおみとしさまの祟り!? 実は殺人に関与していた田畑さんがこの男性を殺害しておみとしさまの目の前で損壊したから、おみとしさまが怒って罰を与えたんでしょうか? トミコは、おみとしさまの別称だったりして」

「いやぁ……それはどうかなぁ。トミコは、おみとしさまの別称じゃないし」
 そう言って、四辻は神の目を一瞥したあと、その上に視線を向けた。「今なら話しても大丈夫かな」と独り言を呟くと、逢の疑問に答えた。

「君が閲覧したその記録には——みとし村とその周辺は霊が発生しやすく溜まりやすいうえ、穢れが多い——と記されていたはずだよ。つまり、おみとしさまは穢れそのものを警戒していない。あれが警戒しているのは、自分の縄張りに入り込む怪異だよ。

 それがたまたま穢れを纏っているから、村と村人はおみとしさまの加護で守られているように見える。だから……たとえ縄張りに迷い込んだのが善良な怪異でも、おみとしさまは侵入を許さない。相手が何者であれ、攻撃してしまうんだ。怪異に縄張りを荒らされることを何よりも嫌うからね」

「じゃあ——村民にはおみとしさまの加護があるが、捜査・調査に携わる職員は各自対策するように——と書かれていたのは」

「怪異と隣り合って仕事をする機関の人間は、おみとしさまの縄張りに意図せず怪異の痕跡を持ち込んで祟られる可能性がある。だから村に入る前にお祓いをして、穢れと一緒に自分に纏わり付いた怪異の痕跡も消すんだ。おみとしさまを刺激して祟られないようにね」

「……つまり、おみとしさまは相手が怪異じゃなくて、怪異の気配を纏わないただの人間だったなら、目の前に遺体を置いて猟奇的なことをしても無関心ですか……。これが人間の仕業っていうのは、受け入れがたいですけどね」

 そう零すと、逢は身震いした。

「でも、疑問は残ります。神様として祀られる怪異は、基本的に穢れを嫌うじゃないですか……四辻さんは別として」

ふふっと四辻が笑うのを見ながら、逢は質問を続けた。

「おみとしさまが、こんな穢れの多い土地に神様として留まり続けるのは何故ですか?」

「それには答えられない」

「どうしてです?」

「知り過ぎると、見つかってしまうから」

「……え?」

「さっき言った通り、おみとしさまは怪異が縄張りの中に入るのを嫌う。それは相手がどんな怪異であっても反応は変らず、怪異とそれを持ち込んだ人間を祟るだろう。だから僕達はここに来た時からずっと——おみとしさまに探されているんだよ

 ふと、逢は神の目の上に奇妙なものが浮かんでいるのに気付いた。大きな丸い風船のようだが、表面はデコボコしており、その凹凸はパチパチと色が切り替わる。瞬きのようだという感想が頭に浮かんだ瞬間、視界が暗くなった。

「おっと、やっぱり教えるのは良くなかったね。逢さん、たとえ無意識でもあれは見ちゃ駄目だよ。幸い、まだ気付かれてないからよかったけど……」

 耳元で忠告されて、ようやく四辻の手が自分の両目を塞いだのだと気付いた。

「目を合わせたら最後、君は保護された村人達と同じように錯乱して、最悪死んでしまうよ」

「村の神様が……村人を祟り、殺したんですか……?」

「逢さん、多くの神を神たらしめるのは、祟りを恐れる人の心だよ。中には慈愛に満ちた神もいるかもしれないけどね」

 目隠しが取られると、先程みた風船状の何かは消えていた。

「……まさか、みとし村事象の、人間の精神に影響を及ぼす何かの正体は、村の神のおみとしさまですか!?」

「正確に言えば、おみとしさまは原因の一つにすぎない。だけど、あいつは何十人もの人を不幸にしたよ」

 逢は冷や汗を流し、おそるおそる四辻の顔を見上げた。彼はいつも通りの涼しい顔をして神の目を観察しているが、何故だか胸騒ぎがした。

「神様が人を祟り殺すなら……まさか、そんな……四辻さん、あなたも……?」

「僕? 僕にそんな度胸はないよ。でも、そうだなぁ……好物を横取りされたら、ちょっとムッとしちゃうな。うん、うっかり末代まで祟っちゃうかもしれないね」

 クスクス笑う四辻を見て、急に馬鹿馬鹿しくなった逢は神の目に意識を向けないよう、議論に集中することにした。

「食いしん坊オバケの四辻さんはさっき違うって言ってましたけど、やっぱり、田畑さんが恐れていたのは、おみとしさまの祟りなんじゃないでしょうか? ここで見た何かを思い出した途端、彼はパニックを起こしてしてしまいましたから……」

「仮説を思いついたんだね、聞かせてくれるかな?」

 逢は頷いて話を続けた。

「彼はきっと村を出て直ぐ、怪異の気配を帯びて境界を跨いでしまったんですよ。ここは霊が発生しやすく、溜まりやすい土地ですから……。

 彼が口にしたトミコという名前、おそらく地下に現われたあの怪異の名前だと思います。彼は朝、山の中でトミコさんに取り憑かれた。でも彼はそれに気づかず境界を跨いで、おみとしさまに祟られてしまった」

「トミコさんがあの地下に現われた怪異と同一存在というのは、僕も賛成だよ。でもね、彼の錯乱に、おみとしさまは関わっていないよ。だって錯乱の原因は確実にトミコさんだったからね。怪異を取り除いた後に彼が元に戻ったことが、その証拠になる。おみとしさまが関われば、彼は一瞬でも元には戻らなかったと思うよ。

 それに彼が祟りではなく、呪いと言ったことが僕の中で引っ掛かっている。彼は『あんたが俺達を呪った』と言った。村の神に対して『あんた』とは言わないんじゃないかな」

「……言われてみれば、そうですね。つまり彼が恐れている呪いの原因は、トミコさんで間違いないということですか。でも、どうして田畑さんは彼女をそこまで怖がるんでしょう?
 それに彼の言葉を信じるなら、他の村人達まで彼女の呪いを恐れているように思えます。田畑さん達は、その人に何をしたんでしょうか?」

 逢の視線を受け、四辻は少し目を伏せた。

「昔、おみとしさまは、ある理由で村人を祟ることがあった。怪異の気配を持ち込んだかどうかじゃなくて、あの村で行われていた悪い風習の影響だよ。でも、機関がその風習を廃止させるように動いたから、1960年以降はおみとしさまが村人を祟る事は完全になくなった

 だけど、それ以降もみとし村周辺で錯乱状態の人が保護された事例はあった。いくつかは旅行者が怪異を持ち込んでしまって、おみとしさまに祟られたからだ。だけど……村人が錯乱した事例もあったらしい。その原因は祟りじゃなくて、人為的な要因だったんだ。機関はあの村の悪い風習を完全には断てなかったんだよ」

「な、何ですか……それ? 意図して人を錯乱させる風習って、どういうことです!?」

「答えられない。だけど……田畑さんが目撃した怪異、トミコさんはその因習によって亡くなり、村人達を恨んで悪霊になったと考えて良いと思う。そんな彼女の復讐の意志に触れたから、あの施設で怒りの記憶が呼び起こされてしまったんだよ」

「あの施設で亡くなった人達は、全員みとし村の因習の被害者だったんですね……」

日暮逢の捜査ノート

錯乱とおみとしさまについて

・神の目とは、村の神おみとしさまの目のことらしい。おみとしさまは怪異が境界に入らないように探していて、もし境界内に怪異を持ち込んでしまうと、怪異だけじゃなくて持ち込んだ人も祟られるらしい。
 本部委員会が境界内に入るなって言ってた理由がやっとわかった。

・おみとしさまは、みとし村の風習に機関が手を加える前、村人に危害を加えることがあったらしい。村の因習に影響されていたからのようだ。
 でも1960年以降の村人の発狂の原因は、祟りじゃなくて人為的な要因だったらしい……。

田畑さんを発狂させた怪異、トミコさんについての考察

・保護施設の地下で見た怪異は、悪霊化した村人の女性、トミコさんと推定。

・田畑さんは山で作業中、女性の声が境界の方から聞こえたって言ってた。声の主はおそらくトミコさん。でも発見したのは男性の変死体だった。トミコさんと遺体の男性は知り合いなのかな?

・おみとしさまは怪異が縄張りに入る事を嫌う為、悪霊化したトミコさんが境界の中に入れたとは思えない。つまり、遺体をバラバラにして飾るように置いたのは、人間の仕業ということになる。とても正気とは思えない。村の因習と関係あるのかな……?

10月14日 みとし山 神の目前


「そういえば、柳田さんは何て言ってたのかな?」
「至急応援を向かわせるとお返事をいただきました」

「ありがたいね。僕達は境界に入れないし、遺体の回収は支部の人達に任せよう。その間、僕達は足跡の方を追ってみようか」

 逢に双眼鏡を渡すと、四辻は遺体の下を見るように促した。

「足跡が二種類ありますね。一つはあたし達が登ってきた方向から続いていますから、田畑さんが遺体を見つけた時に付いたものでしょう。
 でも、もう一つは誰のでしょう? 境界の外から入って、出ていったように見えますが……。それと、何かを引き摺った形跡もありますね」

「遺体を引き摺って、ここに運んだ犯人の痕跡かな」

 逢は思わず双眼鏡から目を放して四辻を見た。
「あまり信じたくありませんが、やっぱりこれをやったのは、本当に人間なんですね……」

「だって、遺体は自然発生しないよ。何か理由があって彼は殺され、このようにされた。ただ、全部が殺人犯の仕業だとは断言できないけどね」

 四辻はそう言って、バラバラの足跡を指差した。

「四辻さん、あの足跡は何ですか? どうして神の目の周りにだけあるんでしょう?」

「あれは【神の使い】として報告されている怪異の物だよ。おみとしさまの一部で、怪異を探す触手のようなものだと考えられている。でも、本当はどうなんだろうね? 今回の事件を見るに……ん、今の段階では不透明だね。言及は避けよう」

「何ですかそれ……」

「それよりも、犯人の足跡を辿ってみよう。あの遺体について、何か分かるかもしれない」

「山に入る道は、あたし達が入った北側の道以外にもあるんですか?」

「うん。僕達が入ったのは北側だけど、もう一つ、西側から続く道があるみたいだ」

 逢に聞かれると、四辻は地図を見せた。

×:遺体発見現場
オレンジのマーカー:西側の道

「足跡はこの西側の道に続いてる。西側の道は途中で枝分かれして南の方にも続くみたいだね」

 そう言って歩き始めた四辻を、逢は追いかけた。

「三叉路……あまり縁起のいい場所とは言えませんね。この土地なら余計に何か性質の悪い怪異がいそうです」
「そうだね、だから僕は好きだよ」

 逢は歩きながら四辻を一瞥したが、足跡を観察する彼は気付いていないようだった。

神無かんな四辻よつじ、か……。前から思っていましたけど、四辻さんの名前って偽名ですよね」

 四辻の足が止まり、琥珀の目が足跡から逢に移った。

「あ、動揺したってことは当たりですね!」

 四辻は琥珀の目を揺らしたが、すぐに下を向いてまた歩き始めた。

「……仮に僕の名前が偽名だったとして、何か問題があるのかな」

「特にないです。でも、興味深いですよ。普通名前を付けるときって、縁起の良い物から名前を借りてくるじゃないですか。でも神無四辻は真逆です——辻には辻神という魔物が出るのに、守ってくれるはずの道祖神様がいない——って意味に聞こえます。
 どちらかというと、魔寄せ、ですね。四辻さんって、ニックネームを好物の名前にしちゃうタイプでしょ?」

「あぁ、なるほどね」

 四辻が笑うのを見て、逢は首を傾げた。

「違うんですか? 名推理だと思ったんですけど」

「いやいや、ごめん。半分当たってるよ。君が言う通り、神無四辻は偽名だよ」

「やっぱり! 本名は何て言うんですか?」
 そう口にして、逢は僅かに頭痛を感じて立ち止まった。頭痛が収まった後に顔を上げれば、いつの間にか四辻が足を止めて逢を見つめていた。

「……本名は内緒。それにこの名前、それなりに気に入ってるんだ。覚えてもらいやすいみたいだし」

 四辻が歩き始めたので、逢は急いで追いかけた。

「神無四辻って、寧ろ覚えにくくないですか? どっちが名字で名前かわかりにくいし」

「そうでもないよ。僕のあだ名、辻神だったし」

「魔物の類だと思われちゃってるじゃないですか……」

「ふふっ。実は神無四辻ってね、文字通り——辻神も道祖神もいない四辻——って意味なんだよ。だから、僕にぴったりだと思って」


————閲覧中のページは、フィルターにより保護されています————【神無四辻 事象】
当機関が初めて■■を確認した時、■■■は、守り神の■護が及ばぬ辻に顕現し、■■を食らっていた。

その■■たるや凄まじく、中世以前は朝に■■、夜には三百の■■■■を飲■■していたと推測される。

 ■の凶暴さ■■、■■■辻神と混同され■■■■、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■。

 機関が■■■■■怪異の■■■■■■■■■■■■■、■■世に招■■■■■■、召喚■■、■■■■■■■■■■■■■不明。
 ■■■■■■■■■、■■■■■■■■■■■て捕食■■■■、■■■■■■■隷属す■■■■■■■■■■■。

 ■■名は【■■】
 ■■■■■■■■■■■■■■■■。

 人の姿■■■■■■、神無四辻を名乗っている。

(やっぱり、これ四辻さんの正体に関する報告書だ。やっと思い出せた……。でもこれ、誰が何の為に書いたんだっけ?)


10月14日 みとし山 西側


 少し山を下りたところで、四辻が足を止めた。

「何かありましたか?」
 そう聞くと、彼が人差し指を唇の前で立てたので、逢も足を止めて耳を澄ませた。

 近くの藪から物音が聞こえてくる。

「ぁ……をぁらえ……づめ」
 聞き取りづらいが、何かを訴える声のような物が繰り返し聞こえていた。さらに、パキパキ、ピシピシと枝が折れる音が聞こえだした。

 何を思ったのか、四辻が獣道を逸れて音や声の方に歩き出したので、逢は道を見失わないように近くの枝に帽子の紐を結んで吊るして、四辻の後を追った。よく見れば、犯人の足跡は茂みの方へ続いている。

 足を止めた四辻は、枯草の中に何かを見つけたらしく、視線を下に向けたまま佇んでいた。追いついた逢が彼の視線の先に目を向けると、長形に掘られた穴が開いていた。深さは膝丈ほどで、土は周りに盛られたままになっている。

「犯人は、最初はここに遺体を埋めようとしたのかもしれないね。足跡もほら、この穴の周りに沢山あるよ」

「穴をここまで掘ったのに、どうしてここに埋めなかったんでしょう?」

「それはまだわからない。でも、埋めようとしたということは、遺体を隠したいと思ったからじゃないかな。だけど犯人は考えを改めて、遺体を埋めずに、あの場所に置いて帰った」

「行動に一貫性がありませんね」

 逢が現場の写真を撮影すると、四辻は待っていたかのように手袋をして土を掘り返し始めた

「ちょ、ちょっと! 四辻さん、どうしたんですか?」

「土の下から角が覗いてるのが見えたんだ、ほら、財布。他にも何かあるかな……ん、鍵があったよ」

 逢が四辻に新しい手袋を渡すと、四辻は早速財布の中身を調べ始めた。

「中の現金とクレジットカードはそのままになってるね」
「死因はまだわかりませんが、他殺だったら、金銭目的による犯行じゃなさそうですね」

 次に免許証を見つけた。男性の名前と住所を伝えると、逢は忘れないようにノートに書いた。

「住所によると、被害者の足立さんは……六敷町むいしきまち、みとし村からずっと西にある町に住まれていたようですね」

「加害者もその町に縁があるのかもしれないね。町から一番近いのはこの道だ。誰にも見つからず一刻も早く遺体を始末したいと考えたなら、この道を選んでも不思議じゃない。
 足跡は一つだけだし、被害者は町で殺されて、ここまで運ばれたのかもしれないね」

 四辻はそう言って、足跡を見て首を傾げた。

「……しかし、不思議だね。ここから下には、遺体を引き摺った跡が全くないよ」

「一輪車のようなものを使った跡もありませんね。となると——」

 逢は、下の道から穴の方へ歩いて来た足跡と、穴の周りにある足跡の深さを測った。

「——同じ土を踏んだ足跡ですが、ここまで来た時と、穴の周りで作業していた時のを比べると、深さが違います。ここに来た時の足跡の方が深い、つまり、犯人の体重は来た時の方が重いんじゃないでしょうか」

「すると犯人は、遺体を背負って登ったということかな。それなら、引きずった痕跡がないのは納得だ。でも、そうだとすると、犯人が遺体の扱い方を変えた理由が余計気になるね」

「処理方法じゃなくて、扱い方ですか?」

「うん。遺体を背負って登るのは重労働だ。だけどその方法を選んだから、僕は犯人が遺体を傷付けないように、注意していたからなんじゃないかと考えてしまう。

 衣服が遺体の傍に散乱していたことからも、バラバラにする直前まで着せていた可能性は高い。きっとこの犯人にとって、遺体はただの処分に困る物じゃなかったんだ。亡くなったあとも、一人の人間として認識し、できるだけ丁重に扱おうとしたとか……そんな気がする。

 それなのに、途中から遺体を引き摺って登って、最後は激しく損壊してバラバラにしている。とても同じ人間の仕業だと思えない」

「途中から別人がやった、というのはどうですか? 埋めようとしたのと、遺体を損壊した猟奇的な犯人は別人だったとか」

「共犯者か。でも、遺体を運んで戻った足跡は一つだけだよ」

「まさか——同じ靴を履いて、前を歩く人の足跡に重ねて歩いた——なんて無茶は言いません。実行役と指示役がいたとか、犯人が元々精神に問題を抱えていたという可能性はどうでしょう。そうじゃないと、まるで途中から犯人の中身だけが変わったみたいですから」

「中身が変わって別人になった、か。表社会の考え方なら、多重人格障害で説明が付くかもしれないけど」
 四辻は虚空を見上げた。
「機関の視点で考えると、取り憑かれたという可能性も考えないといけないね」

「え!?」

「だって、ここは霊が発生しやすい土地だから。遺体を埋めようとしたのと、遺体をバラバラにしたのは、多重人格ではなく一つの体を使った全くの別人っていうのも、ありえてしまう」

「でも、おみとしさまは他の怪異が縄張りに入るのを嫌うんでしょ? 怪異の仕業を疑うなら、バラバラにしたのは、おみとしさまとその使いってことになっちゃいませんか!?」

 木々が揺れた。それが風のせいなのか、別の何かがいるのかわからず、逢は表情をこわばらせた。

「おや、社員証を見つけたよ。彼は、六敷商事の社員だったらしい」

 平然と捜査を続ける四辻を見て、逢は気合を入れ直した。

「支部に報告します」
 スマホを取り出して電波を探していると、獣道の枝に吊るした自分の帽子が視界に入った。帽子がやけに揺れているのが気になったからだ。

 きっと、さっき風が吹いたせいだろう。でも、周りの枝葉はもう揺れていない。

 何となく視界にいれながらスマホを耳に当てたその時——帽子の中から泥に塗れたつま先が覗いた。

「四辻さん!」

 叫んだものの、瞬きをする内に帽子から足は消えていた。おそるおそる近づいて中を見ると、ひび割れた泥だらけのスマホが入っていた。

「遺留品かな」
 いつの間にか四辻が逢の後ろから帽子の中を覗いていた。
「たぶんさっきの足は、僕に穴が開けられた場所を教えてくれた怪異と同じ怪異だと思う。もしかしたら、自分を殺した犯人を見つけて欲しいのかもしれないね」

「だったら直接渡してくれてもよかったのに……。帽子が泥塗れです……」

「残念だけど、それは目印の為にもここに置いておこうか」

 四辻はそう言うと、自分が被っていた帽子を逢に被せた。

「さ、遺体の場所に戻ろう。応援が来るとしたら村にいる捜査官達だろうし、そろそろ現場に着くんじゃないかな」

「四辻さん、帽子」
「被ってていいよ、日射病予防は大事だからね。僕は平気だけど」

「いえ、四辻さんの方が——」
 逢は続く言葉を飲み込んだ。「四辻さんの方が体が弱い」なんて、どうしてそんな根拠もないことを言おうとしたのか、自分で自分が分からなくなった。

 少しだけ感じた頭痛に、逢は頭を押さえた。

「大丈夫? 少し休んでから戻ろうか。ほら、水分もちゃんと取ろうね」

 四辻は逢のリュックからペットボトルを取り出すと、逢に手渡した。

「ありがとうございます」と口にしながら、この時に限ってなぜか逢は、四辻に心配され、看病されることへの違和感を感じていた。

「そうそう、応援に来てくれる職員達のことだけど、天井下がり事象を担当している捜査官が来たら、少し揉めるかもしれないね。加藤捜査官の方はよく知らないけど、太田捜査官はきっと曲者だよ。

 もしこの事件が彼らが追っている怪異と関係していれば、僕達にはあっちの事件の捜査権がないから、彼は僕達からこの件を取り上げたがるかもしれない。でも、僕としては解消したい疑問があるし、もうちょっとこの事件と向き合っていたいんだ」

「委員会の命令は無視ですか……」

「村に入らなければ問題ないよ。それに、今回は全部村の中で起った事件じゃなさそうだし、手分けした方が早いよね」

「何となく、あなたの考えが分かりました」

 逢が苦笑すると、四辻は悪戯を思いついた子供のように笑った。

「この現場のことだけど、柳田支部長に確認したいことがあるし、僕の方から彼に連絡しておくよ。ふふっ鏡様が彼に僕達のことをよろしく言っておいてくれてよかった」

「……あの、四辻さん。支部長さんが天井下がり事象の捜査内容が書かれたファイルを、捜査権限を持たないはずの四辻さんに渡したのは、ギリギリ命令違反にならないからなのかと思っていましたが、まさか……」

 四辻は人差し指を口の前で立てると「ナ・イ・ショ」と片目を閉じた。

「あまり鏡様に悪い影響を与えちゃダメですよ」

「心配しなくても、鏡様は先代の巫女の影響を受けて、したたかにすくすく育ってるよ。僕達を案じてくれているのは本心だと思うけどね」

「知りたくなかったー」
 逢は溜息を吐いた。
「でも、四辻さんが調べると決めたからには、最後まで付き合います。太田捜査官を説得するのに、何かあたしにもできることはありませんか?」

 そう聞くと、四辻の視線が逢を案じるような物に変わった。

「助かるけど、今朝のこともあるし、無理しちゃダメだよ」

 また少し頭痛を感じた。膨れ上がる違和感と罪悪感を払拭する為、逢は何か言葉を紡ごうとした。だけど、出てくるのはいつもの軽口と違い、

「ご心配をおかけして、申し訳ございません」
 なぜか、そんな畏まった言葉が零れた。


第3話2/2に続きます