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読書と本棚 〜 ボクの思うビオトープ


阿久津隆 


『本の読める場所を求めて』
より


読書という行為を通して 僕は 自分が たしかに生きてきたという事実
生きてきた時間、記憶
それが ふわふわと飛んでいってしまわないように
楔を打ち込んでいるのかもしれない

本を買って読んで 本棚に並べるという行為は
一冊 一冊の記録を しまっていくようでもあるし
それが 集積された 本棚という場所は 
人生の膨大な 記憶が 棲みつく ビオトープ のように思えてくる

その背表紙に指が 触れた瞬間
いや 目が触れた瞬間 ざわざわと 息づくものがある

息づきは 思いもよらない記憶の連鎖を
呼び込んだりもする


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阿久津隆さんの

素晴らしい文章を紹介させて頂きました


昔、本棚の中身というシリーズで エッセイのようなものを
書いていた時期がある


それは、実際の本棚ということではなく
本棚とは つまり メタファーであり、ボクの思惟を ただ垂れ流していたものだ

本というモノを介して


そんな感じで 中には 読んだことも無い本さえあった

そこから想起されるモノがあれば
その思惟を書くことは可能だ

そんなボクのある意味、テキトーとも言えるような企みに
何人かの人が 便乗してくれて

巷で流行っている 本棚の中身を僕もやってみます
という
流れのようなものがあった
ごく一部の場所ではあるが、、、



自分にとって
人生で大切にしている事は この場所でも
何度も記事にしてきたが

自分以外の他者と関わる事で 築き上げる
こころの奥深い場所でのつながり、なのである


ここで書いたものであれば


あの世にもっていきたいもの
などにも 
そういう想いを記した


すなわち、ボクにとっての ビオトープとは
自分以外の他者とのかけがえのない記憶の棲家、
なのである


本は、もちろん大好きだし
読書は 人生に於いて かなり 重要な知的財産を育むものとして ボクの中では
位置付けられている


そして、
それ以上に大切だと感じているのが 今 書いた事だ


他者とのかけがえのない記憶


ボクの本棚とは人生、そのものであり
愛おしく狂おしい ビオトープ そのものだ


それを 築く為に
ボクは 自分に関わってくれた 大切な人との記憶の
楔を 日々 打ち込んでいる


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