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故郷(ふるさと)は、セピア色(SFショートショート)

 あらすじ
 地球人が宇宙服を着なくても生活できるよう未来の進んだテクノロジーで地球に似た環境に改造された火星を描いたショートショートです。すぐ読める掌編です。よければお読みください。


 火星の赤道地帯を長さ4000キロメートル、深さ7キロメートルに渡って引き裂くマリネリス峡谷は、ハルトの生まれ故郷である。
 レンガで作られた家の窓からひょろ長い、巨大なもやしのような木が生い茂る緑の森が広がっていた。
 火星に移住した人類が植樹したものである。子供の頃ハルトは地球のそれに比べてひょろ長い草の生えた丘を駆けまわり、透明な天蓋の彼方に見える火星の空に、青い夕焼けが訪れるまで遊んだものだ。
 春には散っても、地球の3分の1しかない重力のためなかなか地面まで花びらが落ちない桜景色を楽しみ、夏には大人の拳大まで成長した巨大なセミやカブトムシを獲って、秋には野球のボールなみに大きく育った栗を食べた。
 そして冬には地球のそれよりもゆっくり地面に落ちてゆく雪を集めて雪だるまを造ったり、雪合戦に興じたのである。
 子供の頃、家族は祖父母と両親と、ハルトの五人暮らしだった。
 地球の日本で生まれ育ち、大人になって火星に移民としてやってきた祖父母は、ハルトがヴァーチャルテレビでしか感じた事のない地球の話を、折りに触れてしてくれた。
 地平線まで、大量の水を満たした海。その海を泳ぐ、今は絶滅した巨大なクジラ。
   祖父が沖縄の海に潜った時、その目を楽しませてくれた色とりどりの熱帯魚。
 太古の人類が今に残した住居や墓や仏像や古墳等の遺跡達。火星のそれよりも、太く短く育つ草木。
 晴れた日には、どこまでも広がる青い空。マリネリスから観るよりも、激しく光り輝く太陽……。
 だがその地球は、増えすぎた人類が大量の森林を伐採したため砂漠化が進んでいた。人類の作りだした有害な廃棄物による大気や土壌の汚染も深刻な物になっていたのだ。
 それとは逆にハルトの故郷のマリネリスは、パラ・テラフォーミング計画が進んで不毛だった砂ばかりの峡谷に森が生い茂り、草原や田畑が広がっていた。
 一方の地球は温暖化で海面が上昇し海抜の低い島は水没し、石油やウランやメタンハイドレート等の有用な資源は、すでに掘りつくされている。
 人類の一部はチャンスを求め、月やスペースコロニーや、火星に移住を開始したのだ。
   ハルトの祖父母もそうしてここにやってきた移民の中に含まれていた。
 最初の移民は、パラ・テラフォーミングされたマリネリス峡谷に住居を定める。渓谷の上部を全て透明な天蓋で覆い、巨大な温室にしたのである。
 この温室に地球人が呼吸できる大気を満たし、植物を植え、鳥や昆虫や人類に無害な獣を放ち、田畑を作り、家を建て、川や湖を作ったのだ。
 湖沼の水は晴れた日にはその一部が蒸発し、透明な天蓋の下に雲を作り、やがてそれは重たくなって雨を降らせた。
 降る雨は再び川や湖となったのだ。祖父の口癖は『一度は地球に帰りたい』だったが、ハルトには理解できなかった。
 火星こそが、彼の故郷なのだから。
 人類の故郷である青い惑星は、ヴァーチャル・リアリティ越しに知る、おとぎ話の世界でしかない。
 やがて歳月を重ねるにつれ、太陽系における地球と火星の地位が徐々に逆転していった。
 火星人口は百から千、千から万、万から十万、十万から百万、百万から一千万と次第に上昇したのに対し、地球はピークの80億から70億、60億、50億へと減少する。
 人口が減った理由は全地球規模の少子高齢化もあるが、戦争や飢餓や圧制から逃れ、あるいは職を求めて、宇宙へ移住する人が後を立たなかったからでもあった。
 人類にとって恥ずかしくも情けない話だが、23世紀になっても地球上から戦火の絶える時はなく、アジアやアフリカで核兵器が使用され、放射能汚染された地域も出たのだ。
 核攻撃で、大勢の人が瞬時にして亡くなった。ヒロシマやナガサキの教訓は生かされなかったのである。



 火星の夜空に輝く地球は美しい。太陽からも火星からも近いので、金星(ヴィーナス)と同じ位、ひときわ光り輝いて見える。
 火星にもしも地球と同じように生命が生まれて進化を遂げ、人類同様高度な知性を持ったとしたら、夜空にきらめく地球にこそ、かれらにとっての 『美と愛の女神(ヴィーナス)』の名をつけたかもしれないと、ハルトは思った。
 ホロテレビのニュースが伝える地球の過酷な現実を、感じさせない美しさだ。
   その、人類の母星から移民が飛躍的に増え、マリネリスの人口は23世紀初頭、1億人を突破した。
 そうなるとマリネリスだけでは手狭になり、火星全体をテラフォーミングしようというプランが地球と火星、二つの惑星の星会議員の間で持ちあがってくる。
 これに現実味を加えたのが、ナノマシンの技術的進歩だ。すでにナノマシンは医療分野で、華々しい成果を収めていた。
 メスで人体を切り開かずにガンに侵された患部まで血流に乗って到達し、レーザーでガン細胞を駆逐したり、注射をせずに薬品を患部に届けたりしていたのである。
 ナノテクノロジーのそんな進化によって、微細な機械を埋めこんだ1万個の突入体を火星の地表にばらまくというプランがリアリティを持ちはじめたのだ。
 ナノマシンが地中から吸いあげた物質で火星全土をすっぽり覆う透明な天蓋を作るという人類史上最大規模の、壮大な計画だった。
 天蓋で覆われるため、その下の火星全土が巨大な温室になり、表土の下の永久凍土は急速に溶けて解き放たれ、気圧と気温は上昇する。
 そこに地球と似た大気を作るというプロジェクトだ。マリネリスの各地で反対デモが起こったが、火星政府の方針は揺るがなかった。
 ラグランジュ・ポイントに、火星と同じ重力を再現したスペース・コロニーを建設し、多額の金をマリネリスの住民に払うのと引き換えに、そこへの移住を奨励したのだ。

「懐かしいな……」
 ハルトは眼前に横たわる、ひょろ長い木々で構成された森林を見ながらつぶやいた。空には地球上で育つよりも大きく、ふっくらと成長した鳥達が飛んでいる。地球なら、この体型では絶対飛べないに違いない。
 このマリネリスを訪れたのは、本当に久しぶりだ。すでにハルトを含めた一億人の全住民はここを離れ、地球と月の間のラグランジュ・ポイントL5に浮かぶスペースコロニーに移住している。
 火星で生まれ育ち、地球の重力には適応できないリュウ達のため、コロニーの重力は第四惑星とほぼ同じに設定されている。
 未だにリュウは太陽も見えなければ砂嵐もないコロニーの生活に違和感を覚えるのだが、コロニーで生まれた孫達は当然ながら、その生活を当たり前として受けとめていた。
 火星全土のテラフォーミングが完成したら、第四惑星に移住できるのだが、中にはコロニーに残る者もいるだろう。
「そろそろ行きましょう」
 妻が手を引いた。結婚した時2人共まだ20代の若さだったが、今ではどちらも80代の老人である。昔の80歳と違い、まだまだ元気な年齢だが、それでも顔には皺ができ、髪は白く薄くなり、体のあっちこっちが絶えざる不調を訴えている。
 ハルトは肺を、妻は心臓を過去に病み、今は手術で人工臓器と交換していた。
  火星全土がテラフォーミングされた後マリネリス峡谷のような低地は、水を満たした大河になってしまうのだ。
 かつて地球でダムを建設した時に村が水没したように、レンガでできた家々は、大河の底に沈んでしまう。
 同じように、バイキング2号が着陸したユートピア平原やイシディス平原、アキダリア平原、クリュセ平原は大海となる。
 ヘラス平原は、巨大な湖となるだろう。火星の大地に点在する大小無数のクレーターは、湖や池へと変化を遂げる。
 新しくできた海や川には、低重力のためにフグよりもふくらんだ魚達が泳ぐようになるだろう。
 火星は宇宙から見たら、地球のような青い惑星となり、何もかも今とは変わってしまうに違いない。
 やがて見渡すマリネリスの景色が霞んだ。
   自分の流した涙のせいだと気づくのに、少しばかりハルトは時間を必要とした。
   ぼやけた景色はまるで記憶の彼方にある、セピア色の光景だ。








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