「いじめ」について考察してみた
はじめに
近年、多くのメディアで取り糺される事が多い「いじめ問題」
それらを見聞きする中で我々は意識することが多くなってきた。
子供を持つ親は特に顕著で、学校を危険視するケースもあるだろう。
何故「いじめ」は無くならないのだろうか?
私達の身に何が起きているのか改めて理解を深めなければ
この問題について真に迫る事はできないのではないか
そう思い、これらを個人的な解釈を含め考察録をここに記したいと思う。
現状の認識
まず、私達が意識せずとも見える範囲で起きている事象を考えてみる。
発生している場所は主に小・中・高の各種教育機関である事が多い、
被害者はそこに在籍している生徒が多いが、稀に教師も被害を受けている。
直近では宝塚の養成所内で「いじめ」が発生していることが話題になった
事からも何らかの教えを学ぶ場所において発生する現象と考える。
またメディアで取り出される多くの被害者は亡くなっているケースが多く、
「いじめ」が発生すると場合によっては自死に至るということも分かった。
ただし、これはメディアの性質的な問題かもしれないが、比較的重度なケースのみをメディアで扱っているだけかもしれない。
実際には私達が見えないレベルで比較的軽度な内容の「いじめ」も
どこかに隠れ潜んでいるのかもしれない。
それらを認識するには教育機関に勤めていないと判別は難しい。
現状の問題
メディアから受けた認識を元に考えると、「いじめ」の問題の軸は
人の生死が大部分を占めているのではないだろうか?
亡くなった被害者の遺族のコメントや被害者自身の生い立ち、
人間性など同情せざる負えない部分から我々は情緒を得ている。
本来であれば「いじめ」の行為自体を問題視しなければならないが、
私達の多くは、人の生死から何らかの情動が発生している。
その延長線上に「いじめ」という問題への危機感や不平等感などの
問題意識が生まれているのではないだろうか
つまり、本来の問題への意識よりもそこから付随する別の要素を
問題視していることが今だに「いじめ」という概念が存在している
要因ではなのかもしれない。
「いじめ」の構成要素
「いじめ」を考察するに辺り、次に原因を考えていかなければならない。
ここではメディアでも詳細な情報は語られない構成部分、
すなわち「いじめ」の内容や発生した経緯について
自身の経験や他者からの伝聞などを元に考察していく。
主な構成部分としては「疑心・攻撃・排除」に分ける事が
できると考える。(単語が適切かどうか熟考の余地はある)
「疑心」について
「いじめ」の加害者側において多くの場合、被害者に対して
何らかの疑心を抱いているケースが多い。
「なぜ、アイツは○○なのだろうか?」
「なぜ、そんなことをするのだろうか?」
これらが発端になりがちである。
もう少し噛み砕くのであれば、身体的特徴のあるものであれば、
「なぜ、アイツは私より鼻がでかいんだ?」などをキッカケに
加害がエスカレートしていくのである。
精神的な面でも同様に何らかの疑心を抱く要因が
被害者側にあることが往々にしてあり、
それらが「いじめ」の始まりとなるのである。
「攻撃」について
攻撃とは必ずしも何らかの痛みを伴うものではなく、
何らかのアクションのことである。
前項で述べた疑心をまずキッカケにし、加害者は
被害者に対して何らかの攻撃を行い、
それに対しての被害者からの反応を伺うのが自然な流れである。
この反応が今後の被害者と加害者の関係を左右する分岐となる事が多い。
より正確に言えば、「排除」に繋がるかどうかに大きな影響を及ぼす。
以下の表を見てほしい
![](https://assets.st-note.com/img/1708752808833-DSlN6orWNu.png)
被害者側のアクションが加害者にとって良いか悪いか(プラスorマイナス)
加害者側にとって脅威となり得るかどうかを(高or低)で組み分け
それによって起こる結果を示したものである。
必ずしもこの表通りになる訳ではない事を予め了承してもらいたい。
表を元に例を挙げるならば、
「AさんはBさんに対して攻撃を行った。
BさんはAさんに対して反撃として暴力を行った」
この場合、表のNo.3に辺り、加害者のAさんは受けた脅威度に伴い
いずれかのアクション(排除or除外or友好)に移行する。
(ここでの排除とは関わらない逃避行為を指す)
よくある「いじめ」のケースとしてはNo.2が多い
「AさんはBさんに対して攻撃を行った。
BさんはAさんに対して反撃は行わず、辞めて欲しい旨を発言した」
こういったケースの場合、加害者側は被害者の反応を見て楽しさを得る。
その場合、繰り返し攻撃を行い続ける場合もあり得る。
全ての例を述べるとキリが無いため、本投稿の最後に記載しようと思う。
この攻撃によって精神的苦痛を受けたことから
自死を迎えるケースが最も多いと言える。
「排除」について
何らかのアクションに伴い、加害者側が被害者に対して排除しようとする動きが起きた時、これは完全に「いじめ」と呼ばれる行為に移行する。
「攻撃」の段階で「いじめ」になるケースも往々にしてある為
必ずしもこのフェーズまで到達しているとは考えにくいが考察していく。
まず加害者は被害者を自身の取り巻く環境から文字通り排除しようとする。
具体的には明確な悪意のある行為を行い、被害者に不快感を与える。
被害者は精神的苦痛を伴う為、自死や不登校など様々な方法で
これらの悪意から逃避しようとするケースが考えられる。
よくメディアなどで親族が「いじめ」の事実を知らず
突然の子供の死によって初めて知るケースは少なくないだろう。
これは被害者が内向的・平和主義的な考えの場合に起こりやすいと考える。
迷惑や心配をかけたくないという子供なりの配慮などもあるだろう。
「いじめ」の発生原因
構成要素については前項で述べた通り三段階に分けられることを理解した。
しかしながら何故、それらの段階が発生してしまうのか
なぜ「疑心」を抱いてしまうのかそれらを追求しなければ
本質を見極めることはできないと私は考える。
私達は一体何をしているのだろうか?
これらは子供だけでなく、大人にも関係してくるのではないだろうか?
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