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1ページ〜自己紹介〜

先ずは私の説明をしなければいけません。
どんな人から話を聞くのか。
よく思われるのは、あなただから出来たんでしょ笑?
才能があるんでしょ…。
元々、口がうまかったんでしょ笑?
コミュニケーショが取れるんでしょ笑?
営業に向いてたんでしょ笑?
私も今でもそう思います。
私の上司にそう思います。
そして、そんな風になれませんよと。

私の大好きなイチローさんは、仰っています。
「小さいことを積み重ねる事が、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています。」

そういうことが出来たんでしょ笑?

いえいえ…。

私は、技術職で働いていたサラリーマンの父とダイエーで布団売りをしていた母。
そして3歳の年上の姉の4人家族で生まれました。
決して裕福な家庭ではありませんでした。
小学校の5年生まで団地で育ち、小さな時に母からよく言われた言葉は、『ウチはお金ないから』と何かを買ってもらうことも出来なかった記憶があります。
何よりも、団地での生活は、2Kの部屋に中学2年生の姉と小学校5年生の男の子が住んでいました。

プライベート空間もなく、部屋は布団を3つ敷くと部屋はぎゅうぎゅう笑
2Kといっても部屋の大きさは約5畳が二つ。
その中に姉の勉強机があったので、私には勉強机がなく、タンスの上が私の机でした…。

今から考えると、よくあんなところに住んでいたなと思えるくらいの住居です。

父は、朝から1.5時間かけて会社へ行きます。
毎朝5時半に起きて6時20分に出る。そして、会社へ8時について仕事に向かう。
父は、そんな生活を毎日していました。

私は、現在45歳。
小学校1年生か2年生の時のこと。
覚えているのは、ファミコンが流行り、スーパーマリオブラザーズというゲームが大ヒット。
みんながファミコンを持ち始めた時に、私は目が悪くなるという理由でファミコンを買ってもらえず…。
サンタさんにファミコン欲しいと書いたら、本が枕元に置いてあり、サンタさんは欲しいものをくれるなんてないんだ…と思った記憶が未だにあります。
そして、小学校の学年が上がるにつれて、ドラクエが流行り、みんながドラクエの話題をしているとき。
自分はやはり、ファミコンを未だに買ってもらえなかったので、ドラクエの下敷きが当時あったのを見て、必死で呪文を見て、勝手に想像を膨らませる毎日でした。
※こんなやつです笑
同じ世代の人は懐かしい…
今の若い方々は、これ見て楽しめるがわからないと思います…

でも、ドラクエが出来なかったから。
周りの子達が羨ましくて仕方なかった。
そして、友達の家にドラクエをしている姿を見に行く。そんな小学生でした。
ただ、そんな純粋だった時期を経て、
6年生になるときに父が職場の近くでマンションを購入して、引っ越しました。
そして、新しい小学校に転校しました。
そんな、小学校6年生の時期にある出来事が起こります…

新しい小学校でいじめられました。
理由は、調子に乗っていること。
そして、そのクラスの中心メンバーの子の取り巻きの子に対する態度が偉そうだったこと。
なんで、あいつがあんなに偉そうなんだ…。
あいつ調子に乗ってんちゃうと…。

続く


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