道徳を研究する気概
昼から冷蔵庫にあったとろけるチーズ3枚と静岡ビールを飲んでいる。
というのも、今日は朝4時に目覚めてしまい、4時から仕事をしていたからである。
正確には、2時半に目覚めてしまった。
妻はまだ横で寝ている。
起きて、仕事をするにも早すぎる。
4時まで横になり、いくらか寝たと思う。
いくらか寝た中で、4時すぎに起き、迷わずPCのスリープ機能を復活させる。
朝から原稿に取り組み始めた。
…そうなのだ。
仕事といえば、土日は原稿を書くことが多い。
先週は3連休だった。
土曜日はセミナーだったが、
残りの日曜日・月曜日は原稿を書いている。
原稿といっても、自主的なものである。
セミナーを受けたレポートを書き続けていた。
先月は、セミナーでの発表もあり、レポートを書くことができなかった。
今月は、公務以外は時間がある方である。
今日は、そのレポートの一部を公開しようと思う。
以下に、引用する。
(ちなみに、引用の仕方は、少しずつ行う。一つ一つを掘り下げて述べるため、断片的な引用になってしまうことに了承願いたい。)
教師の「書く力」を鍛え、子どもと自分を伸ばす
このように題したレポートである。
書くことが最近、楽しい。
教師の「書く力」は、本当に如実に差が出ることを感じるのである。
私に「書く力」があると言いたいのではない。
私は修業の身である。
お世話になっている先生の話を聞き、記事を拝読し、学び直す中で、「書く」ことの大切さをひしひしと感じる。
S先生は、もともと道徳の専門家ではなかった。
赤裸々に「はっきり言ってよく分からない。」と道徳研究通信第1号の冒頭の書き出しがあるくらいなのである。
その先生が今や道徳教育の専門家として、日々現役教員や教職大学院生に刺激を与えている。
その先生がセミナーで言われたことを引用する。
与えられた機会を生かそうとする姿勢
↓
関わる人もおもしろく
そして、次のようにも道徳研究通信でまとめられている。
一つのテーマを徹底的に追究し続ける
これが、31歳の頃の姿である。
みなさんは、31歳の頃、どうしていただろうか。
恥ずかしながら、私は当時、大変力のない教師だった。
学級を上手くまとめられず、毎日その日暮らしの授業をしていた。
今、振り返ると、「書く力」がなかったからである。
あの頃、「書く」ことに、もっと触れておけば、もっと力をつけていただろう。
だからこそ、学びへの貪欲さが「書く」ことに表れていると思う。
以下に、S先生の言葉を自分なりに言語化したものを引用する。
「よく分からない。だから、学ぶしかない」
S先生の言葉である。
その気概は、気概のある人に響く。
いくら若くても、気概がなければ、心に留めない。
いくら歳を取っていても、気概があれば、はっとさせられる。
私は後者でありたい。