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アビスパ福岡背番号14の系譜

はじめに

(※動画は、本記事を音声化。倍速再生推奨↑↑)

本記事では、前回に引き続き、筆者自身が影響を受けたプロサッカー選手に焦点を当て、歴史をテーマにサッカー愛を綴りたいと思います。

(※前回の記事はコチラ↓↓)

本記事を執筆するに至った経緯には、つい先日の夢のような出来事があります。

弊サッカースクール合宿内イベントとして、元プロサッカー選手の山下芳輝さん(以下敬称略)をお招きし、ストライカークリニックを開催したからです。

山下芳輝と云えば、アビスパ福岡四半世紀のクラブ史において、同クラブ在籍選手としては、史上初歴代唯一の日本代表であり、地元福岡出身のレジェンドです。

筆者自身、普段は、アビスパ福岡のサポーターでもあり、サッカー少年時代の当時、憧れを抱いていたアイドルの一人です。

そんなスーパースターをお招きし、ストライカークリニック&サイン会を開催する事が出来ました。

J1参入決定戦は“神を見た夜”として語り草に。
アビスパ福岡クラブ史上初の日本代表選出(2001年)

しかし、20年前の話なので、当然の事ながら、こども達は、山下さんの現役時代を知りません。

過去の話を後世に語り継いでいく必要性は、サッカーに限らず、常々感じていますが、歴史を紡いでいく事は、大人の役目であると考えています。

日本代表やプロからサインを貰うのは初めてという子がほとんどでしたが、奇しくも、今年は、W杯イヤーでもあり、こども達にとっては記憶に残る出来事となったのではないでしょうか?このような非日常的なイベントからも、こども達の成長に繋がる事を祈っています。

(後日談ですが、頂いたサインは、大事に飾られているとの事でした。)

アビスパ福岡背番号14の系譜
山下芳輝以降、14番を継承した面々。

歴史と云えば、サッカー先進国の場合、ナポリの10番(マラドーナ)やアヤックスの14番(ヨハンクライフ)のように永久欠番が散見されますが、アビスパ福岡の14番も神格化されて然るべき背番号の一つです。

アビスパ福岡の14番と云えば、先述した山下芳輝が代表格として有名ですが、近年では、欧州移籍後、日本代表で不動のレギュラーにまで登り詰め、イングランドの名門アーセナルで活躍する冨安健洋選手(以下敬称略)がいます。

山下芳輝同様、地元福岡出身の冨安ですが、特筆すべきは、アビスパ福岡のアカデミー出身であるという点です。

中学生年代からアビスパ福岡ユースに属し、高校3年時には既にJ1(日本のトップリーグ)でレギュラーポジションを獲得しています。

アビスパ福岡時代の14番を背負い、東京五輪に出場。
イタリア・セリエAでも14番を背負った。

又、山下芳輝や冨安以外にもアビスパ福岡で14番を託された中村北斗や金森健志は、年代別の日本代表に選出されるなど、期待の若手が背負う番号として定着しつつありました…

しかし、現状は、14番を引き継ぐに相応しい若手が台頭していない現実があり、しばしば他クラブからレンタル移籍で加入した選手が背負っていました。

(現在は、エース格で助っ人外国人のクルークス選手が14番を背負い、活躍中。)

ここからは、あくまでも独断と偏見によるアビスパ福岡への提案になりますが、14番を生え抜きの将来有望株限定の背番号とし、該当者がいない場合は、欠番とするクラブ独自の新制度導入はいかがでしょうか?

サッカー選手にとって、背番号とは、一つのモチベーションであり、誇りですが、クラブにおいては、歴史であり、伝統です。

たかが背番号、されど背番号です。

その背中には、たくさんの人々の、幾多の思いが宿ります。

『アビスパ福岡の14番をつけたい!』

そんなサッカー少年が将来のアビスパ福岡を背負って立つ存在になるかもしれません。

尚、クルークスの14番に対するアンチテーゼではなく、将来的な提案になります。

とにもかくにも、アビスパ福岡の若手選手の奮起、アカデミー含めた育成の底上げを祈念しつつ、第2の山下芳輝・冨安健洋の出現に期待しています。(無論、14番以外にも期待です!)


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